綿津見國奇譚
三、ヒムカ
「ヒムカ!」
クサナギは、森に隠れたヒムカを探しに行った。やんちゃなヒムカは、しょっちゅういたずらをしては森に隠れる。いっしょにふざけていた子供たちも、隠れているはずだった。もちろん、透視能力があるので見つけるのは簡単だが、相手は子供なので、その力は抑えていた。
パシ
突然、木の実がクサナギの肩に当たり、続いて雨のように、ぱらぱらと降ってきた。
「いたた。こら、やめろ」
「あははは……」
子供たちは、おもしろがって木の実の雨を降らせる。しかし、次の瞬間子供たちの体はふわりと宙に浮かんだかと思うと、すとんと地面に落ちてしまった。
「あいたたた」
「いたあい」
「いたいよお」
「クサナギのばか」
みな口々に叫んだ。子供たちを落としたのはもちろんクサナギの力だった。
「だめじゃないか。木の実がみんな落ちてしまった。力をこんな風に使ってはダメだといっただろう」
クサナギは、見る間に落ちた木の実を元通りにした。
「すごーい」
木の実を落とすことはできても、元に戻せない子供たちは、ただ驚くばかり。
「君たちは力が十分でないんだから、こんなことをしてはいけないよ」
「はーい。ごめんなさい」
子供たちは素直に声を揃えて謝った。
「さあ、剣の時間だ。びしびしいくぞ」
他の子供たちは、クサナギと一緒に歩き出したが、ヒムカだけは、その場にぽつんと立ちつくしていた。
「どうした。ヒムカ」
ヒムカは、口をとがらせて目に涙を浮かべている。そしてクサナギをにらみつけると、森の奥へかけだした。
「ヒムカ!」
クサナギは追いかけてヒムカをとらえた。けれどヒムカは泣きながら言った。
「ぼくは、賢者の群れにいる資格なんかないんだ。みんなのように、木の実一つ、落とす力さえない!」
「ヒムカ。いいんだ。君はそのままで。君には剣の才能があるじゃないか」
「でも、クサナギはぼくが嫌いでしょ。いつもぼくの目を見て話してくれない」
クサナギはその言葉に呆然とし、ヒムカをつかんだ手の力がゆるんだ。そのすきに、ヒムカはクサナギの手を振り払うと、森の奥へと走っていった。
(そうか。そんなふうに思っていたのか……)
クサナギは、他の子供たちを鍛錬所につれていき、指導を他の者に頼むと、急いで森に引き返した。
ヒムカは、がむしゃらに走ったため、見知らぬところに入り込んでしまっていた。あたりはうっそうと繁った暗い森で、心細くなったヒムカは、思わず叫んだ。
「クサナギ! クサナギ!」
しかし、クサナギがここにいるわけはなく、ただ、ざわざわと木々の葉ずれの音がするばかり。悲しくなったヒムカは、ぽろぽろと涙をこぼした。
そのとき、ヒムカの耳元にささやく声がした。
「まっすぐ行きなさい。ヒムカ」
不思議と恐怖は感じなかった。ヒムカは声にうながされてまっすぐ歩いた。すると、森はとぎれ、目の前に、泉がわき出る小さな草地が現れた。
深い緑の、美しい泉のまわりには、色とりどりの花が咲き、そこだけ時が止まったような静けさだ。あたりに漂う空気は、りんとした気高ささえ感じさせる。ヒムカは、しばらくの間、声もなくその場に立ちつくした。
「ヒムカ……」
声とともに、泉の水面がにわかに明るくなった。ヒムカは近づいて泉をのぞき込んだ。
水面に写ったものは、はじめはにぎやかな都のようすと、宮廷の人々だった。ホデリ邑の、のどかな景色しか知らないヒムカは、別の世界のことかと、胸をわくわくさせて見入っていた。
しかし、平和な世界は、一転して残酷な戦の場面に変わり、ヒムカは一瞬目を背けた。その時またしても声が聞こえた。
「ヒムカ、よく見るのだ」
おそるおそる、もう一度水面をみると、今度は三人の人の姿が映し出されていた。目を凝らしてみると、それはまだ少年のクサナギと若いムラクモ、美しい女の人だった。
女の人の苦しむ顔が見えると、次の瞬間、小さな赤ん坊の姿がふたつ映し出された。ヒムカには、そのうちの一人が、自分だということがなんとなくわかった。そして女が母親だということも。
母親が死に、もうひとりの赤ん坊がさらわれたいきさつも、泉は詳細に映し出した。その後、ヒムカがクサナギに抱かれ、ホデリ族の邑に迎えられたところで、もとの水に戻った。
ヒムカは身じろぎもせず、ただぽろぽろと大粒の涙をこぼすばかりだった。
(ぼくは……。普通の人間の子供だったんだ)
ふと、顔を上げると、ヒムカは廃墟に立っていた。びっくりして泣きやんだヒムカは、そのあまりにも無惨な景色に背筋が寒くなった。
その廃墟の中、まるで走馬燈のように幻が浮かんでは消えていった。それはハヤト族の兵士に引き立てられ、殺されるクシナダ族の人々の姿であり、現在の圧政に苦しむさまざまな部族の姿だった。
「いやだ。やめて!」
ヒムカは思わず叫んだ。すると、あたりはまたもとの泉のほとりになっていた。
「勇者よ。クシナダの末裔よ……」
再び声がした。澄み切った、あたりに響く涼やかな声だ。
「力がほしいか?」
「はい、ぼくもみんなのような力が」
ヒムカは臆することなく答えた。
「それは、復讐のためか?」
ヒムカは、しばらくの間考えて、答えた。
「いいえ、この国のみんなの幸せのために」
すると、今度は声のかわりに、一陣の風が吹き、ヒムカのまわりをとりまいた。それはとてもすがすがしくさわやかな風で、ヒムカの胸に下がった、ペンダントのルビーの中に吸い込まれていった。