綿津見國奇譚
四、妖剣オボチ(淤煩鉤)の太刀
「アカマダラさま、ベニヒカゲが」
肩に傷を負ったコジャノメは、勇者たちとは別の塔の螺旋階段を上って、天守の最上階にあるアカマダラの部屋に転がり込んだ。
アカマダラの部屋には、壁の一面が大きな鏡になっており、そこには城内で起こった出来事がすべて映し出されていた。
玉座に座ったアカマダラは、頭から黒い布ですっぽり覆われていて、その本当の姿は誰も見たことがなく、顔は目だけが赤く不気味に光っていた。先ほど死んだベニヒカゲも力を与えてもらいはしたが、その真の姿を知らなかったのだ。
「ふん。わかっておるわ。すべて鏡に写っておった」
「あんな大口を叩いておいて、よくもまあアカマダラさまに泣きついてこられたものだ」
シロヒトリは冷ややかな目つきを向けた。
「め、面目ございません。今一度わたしに力を!」
コジャノメはなんとか生き延びようとアカマダラにへつらっている。アカマダラはシロヒトリに目配せした。シロヒトリは黙礼して奥の部屋に行くとやがて戻ってきた。そして、
「コジャノメ殿。もう一度特別チャンスをくださるそうだ。アカマダラさまの大切な宝剣だ。さあ受け取るがよい」
と言って一振りの妖剣を差し出した。コジャノメは喜んで近づくと、鈍く光るその剣をうやうやしく受け取ろうとした。しかし、次の瞬間。
「ぐわっ」
妖剣を手にしたとたんコジャノメは尺取り虫のような本来の姿になり、たちまちその生気は魂もろとも剣に吸い取られ、跡形もなく消えてしまったのだ。
床に落ちた剣はコジャノメの生気を吸い取ったため幾分輝きを増していた。それをシロヒトリが拾い上げ、アカマダラに手渡した。
「ふん、まずいな。寝起きの時くらいうまいものが食べたい」
妖剣から声がした。アカマダラがこれをなだめた。
「まあ、がまんしろ。これから獲物がやってくる。とびきり上等だぞ」
「なんだ。勇者か? 千年ぶりの」
「そうだ。ほかに賢者もいる」
「そいつぁ、ごちそうだ!」
妖剣は怪しく光った。この剣は意志を持ち、しかも唯一勇者や賢者を倒す力がある。千年前の戦では、二人の勇者と一人の賢者がこの剣の犠牲となった。戦の後行方はわからなくなっていたが、アカマダラの台頭とともにこの剣も復活したのだ。
オボチの太刀というこの剣はもともとホデリ族のものだった。神の宿るクブツチ(頭椎)の太刀といわれ、四千年前、ホデリ族が分裂して、ホオリ族が誕生するきっかけとなった剣だ。邪悪な心を持った者がこの剣を盗み、力ずくで世を支配しようとしたため、ホデリ族の多くの者が道を誤り、あるいは殺されたのだった。
そして、勇者の出現で平和が訪れたのち剣の行方は知れなかったが、千年前の戦でこの剣を持ったヤタガラスが人間たちを蹂躙し、各部族を混乱に陥れた。
この時も勇者とホデリ族の賢者によって国が統一され平和は訪れたが、ホデリ族は剣を取り返すことはできなかった。まさにホオリ族が今まで完全に滅ぼされなかったのはこの剣の存在が大きかったのだ。
ホデリ族のもとにあってクブツチの太刀は正しく使う者の力になっていた。しかし、長い間邪悪な者の手にあったせいで、すっかり血に飢えた妖剣オボチの太刀となってしまっていた。
地上の本当の平和のためには、この剣を取り返さなくてはならない。しかもこの剣を扱えるのは、術をつかえるホデリ族(ホオリ族)の者だけなので、クサナギが勇者の補佐をするのはこの剣を取り返すためでもあった。
「アカマダラよ。いくか」
オボチの太刀は、老人のようなしゃがれた声でいった。アカマダラは、オボチの太刀をつかんだまま玉座から立ち上がった。三メートルはゆうにある巨人だ。
「お待ちください。アカマダラさま。あなたさまが行くまでもありますまい。若輩ながらこのわたしが……」
シロヒトリがアカマダラを遮った。
「いや、わしが直々にいってすぐにかたをつける。オボチの太刀も勇者の血を欲しがっていることだし」
そう言って太刀を一振りするとアカマダラは部屋から出ていった。シロヒトリはその後ろ姿を見送りながら、薄ら笑いを浮かべていた。この若者の冷たい心は誰にも計り知れなかった。
「まもなく最上階だ。アカマダラがいるぞ。油断するな!」
ヒムカの声にみんな身を引き締め、口を真一文字にむすんで階段を駆け上った。
(すっかり勇者らしくなったな)
クサナギはわずかの間に成長したヒムカをたのもしく思った。
天守の最上階で、ついに勇者たちはアカマダラと対峙した。黒ずくめの正体のわからない相手に一同は息をのんだ。
山のように大きな体。その手には妖剣オボチの太刀が不気味に光っている。
「来たな。勇者ども。今度はわしの勝ちだ。この世のすべてはわしの物だ」
「黙れ! おまえなんかにいいようにはさせない!」
ヒムカが叫んだ。
「そうだ。よくもベニヒカゲをつかっておれをだましたな!」
ニシキギもさけぶと斧をかまえた。
「ふはははは……。威勢だけはいいな。こわっぱ。ごたくはいい! さっさとかかってこい!」
まずサクヤが矢を射た。そしてシタダミが飛苦無を投げた。しかしそれらはことごとくオボチの太刀にはねかえされ、そのあと切り込んだヒムカも剣を振り払われ、ニシキギも手斧も軽くあしらわれた。ホムラの大鎚でさえわずかに刃こぼれさせたものの、その刃をうち砕くことができなかった。
マツリカは、最初からアカマダラの正体を透視しようと試みていたが、いっこうに見抜くことができず焦りを感じていた。
「クサナギさま。なにかおかしいのです」
「どうした。マツリカ」
二人は、視線をアカマダラからそらすことなく、テレパシーで話し合った。
「これほどの存在感と妖気があるのに、正体が見えないのです」
「うむ。たしかに。わたしも探ってはいるが……」
思い切ってマツリカは気を集中させ、アカマダラに放った。マツリカの気は緑色の光の玉となってアカマダラに命中した。
「きゃあっ」
しかし、アカマダラをその気の力で倒すことはできず、その体を覆っていた布を焼いただけで、力は跳ね返され、マツリカの体は吹き飛ばされてしまった。
「マツリカ!」
「おいらにまかせて」
飛ばされた先にホムラがいたため、その柔らかな体で支えられ、マツリカは怪我をせずにすんだ。
「ありがとう。ホムラ」
その時、ヒムカが叫んだ。
「ああっ なんだ、こいつ!」
マツリカの力でアカマダラの正体があらわにされたとたん、勇者もクサナギも驚きの声をあげた。なんと、アカマダラには体がなかったのだ。ただ顔とおぼしきあたりに赤い目が光るだけで、その手に持っているはずの妖剣も宙に浮いているようにしか見えなかった。
「くそ。これじゃあ戦いようがない」
ヒムカもあせりを見せ始めた。
驚き呆れる勇者のすきをついてアカマダラが妖剣をふりあげた。
「きゃあ」
それはサクヤめがけて振り下ろされた。サクヤはとっさに弓をかまえたが、バランスを崩し、うまく射ることができなかった。
「あぶない!」
ヒムカは飛んでサクヤをかかえ、代わりに攻撃したシタダミの飛苦無がアカマダラの目に命中した。
「ぎゃあ」