綿津見國奇譚
「それでも、わたしはおまえに憎しみの心を持って欲しくなかった」
「じゃあ、母さんはこいつを許すの? 許せるの?」
「許せないわ。でも、許せない心がわたしを苦しめるの。忘れるように努力しても……。 だけどカガシラさまが、あなたのお父さまが復讐を望んでいるのかしら……。人を憎めとおっしゃってるかしら」
「あ、義姉上。助けてくれ。何でも言うことをきく。そうだ。宝石でも金貨でも好きなだけ……」
ハマクグは必死で命乞いをするが、シノノメは哀れむような視線を向けて言った。
「あなたのような人がカガシラさまの弟だなんて……。でも、憎むことはやめます。そんな醜い心を持ちたくないのです」
そしてシタダミを促した。
「行きましょう。シタダミ。本当の敵はホオリ邑にいるわ」
「いやだ。ぼくは復讐する。こいつをなぶり殺してやるんだ!」
バシッ
シノノメは息子の頬を打った。
「母さんのばか!」
「落ち着いて聞きなさい。この男はまもなく死にます。おまえの手にかかるまでもなく、自ら招いた欲望のために死ぬのです」
「ふん。ばかなことを。まもなくフサヤガ国の軍隊が来る。おまえなどひねり潰してくれる」
血まみれの体でうめきながらも不敵に笑うハマクグに一瞥すると、シノノメは黙って部屋を出た。そしてカササギの背に乗るとハヤト族の邑から飛び立った。シタダミはしぶしぶついてきた。
ハマクグの高笑いが宮殿に響いたが、すぐにそれは絶叫に変わった。入れ違いにやってきたホウジャクの命令で、ハマクグはフサヤガの兵士によって斬り殺されたのだった。
上空からフサヤガの兵士が続々とハヤト族の都へと進軍しているのが見えた。