綿津見國奇譚
三、いさかい
「帰るったら、帰る! ホデリ族の世話になんかなるもんか!」
三日で傷の完治したニシキギは、部屋の中で暴れ回った。あまりに騒ぎ立てるので部屋に鍵をかけ、しかたなく閉じこめたのだった。そして、力が使えないよう石も取り上げていた。それでもニシキギは、扉や窓を壊して何度となく脱出を試みるのだった。
「困りました。クサナギさま。このままでは鎖につなぐか、檻にでも入れなくては毎日家の修理に追われてしまいます」
ニシキギを見張っていたシラヌイが、ため息をついた。
「うむ。このままでは勇者の志気もあがらない。フサヤガ国の動きが怪しくなっているというのに」
クサナギも頭を抱えた。ニシキギはクサナギの話さえ聞こうとしないのだ。グレンは、ニシキギに対してすでに反感を抱いている。ホムラは表面には出さないが、複雑な思いを抱いているにちがいなかった。サクヤとマツリカは胸をいためていた。
「あいつと話してみます」
申し出たのはシタダミだった。彼自身ハヤト族で、しかもホオリ族の邑で育っている。ニシキギの思いをわかってやれるのは自分しかいないと思ったのだ。
「ニシキギ。話をしようよ」
「なんだよ。おれはおまえなんかに用はない」
「ぼくはハヤト族だ。シタダミっていうんだ」
「なら、裏切り者だ」
「ちがう!」
押し問答をしながら、ようやくシタダミは自分の身の上話をするところまでこぎつけた。
「ぼくの父はハマクグに殺された、前の宰相カガシラだ」
「うそだ。出任せを言うな」
「本当だ。ぼくはサクヤと旅をしてきて、ハマクグがどれほどひどい政治をしているかこの目でみてきた。それで、母さんは何も教えてはくれなかったけど、父がハマクグに殺されたということに確信を持った」
「ふん。ハマクグさまは立派な方だ」
「玉座にふんぞりかえって酒ばかり飲んだくれてるあいつが? あいつはベニヒカゲに利用されてるだけだ」
「ベニヒカゲさまの悪口を言うな!」
「いい加減に目を覚ませ。おまえの乗ってきたあの怪物は、おまえの友だちだっていうじゃないか」
できるだけ平静に話そうと努力していたシタダミだが、だんだんと語気が荒くなってきた。
「シタダミ、むだだ。そいつは勇者の資格なんかない。六人だって戦える」
部屋の外で話を聞いていたグレンが、たまりかねて入ってきた。グレンとニシキギはにらみ合い、部屋の中には、重苦しい険悪なムードが漂った。
「わー」
突然、ニシキギは大声をあげると、いきなり窓から飛び出した。
「石! おれの勇者の石は?」
ニシキギが強く念じると、クサナギの部屋にあった石は、ニシキギのもとに飛んできた。石を手にしたニシキギは、たちまち高く飛び上がると邑から出ていった。
クサナギやシラヌイはただちにニシキギを追いかけた。その時、家畜小屋では、カササギがニシキギの気を感じて、飛び立とうとしていた。
「だめよ。カササギ。あなたは薬を飲んだのだから安静にしていなくては!」
しかし、カササギは、ユズリハとシノノメの制止を聞かず、屋根を突き破って飛び立ってしまったのだった。
クサナギとシラヌイは、ホデリ邑を取り囲むように広がっている樹海の上空で、ニシキギに追いついた。
「戻れ! ニシキギ。君はホオリ邑に行く必要はないんだ」
「うるさい。ほっといてくれ!」
しかし、クサナギのいうことを信じないニシキギは手斧をふりあげて斬りかかってきた。ホオリ族で三年修行を積んできた腕は、十四才の少年とは思えぬほどのものだ。不安定な空の上を飛びながらも、その敏捷さには目を見張るものがあった。
むろん、まだ実力ではクサナギの方が遙かに上だ。ニシキギは軽く振り払われてしまった。悔しがって再び斬りかかろうとするところへ、シラヌイが叫んだ。
「わからずや!」
すると、ニシキギは今度はシラヌイに斬りかかった。斬り合いはしばらく続いたが、やはりシラヌイの方がわずかに勝っている。そこへカササギが飛んできた。
「くそう。怪物まで手なずけたのか!」
「ニシキギ。ちがう。それは君の友だちのカササギだ」
クサナギが必死で説得しようとしても、ニシキギは聞かなかった。カササギは悲しそうに一声鳴くと、クサナギとシラヌイに離れているように、というようなしぐさをした。クサナギとシラヌイは、顔を見合わせうなずき合うと、怪物の後方へと退いた。カササギはニシキギと向き合った。
「ふん、今度はおまえが相手か。怪物」
「ニシキギ。おれだ。わかってくれ」
だが、その叫びはむなしく、ニシキギには怪物の声にしか聞こえない。
カササギは翼を広げ、ニシキギに覆い被さった。襲われたと思ったニシキギは手斧をふりあげ、渾身の力を込めて怪物の胸元を切り裂いた。
「ギャー」
血しぶきが上がり、怪物はまっさかさまに地面に落ちていった。シラヌイはすぐさま怪物の後を追って降下した。そして、落ちながら人間の姿にもどったカササギを抱き上げて、再び上空へと飛び上がった。
「ふん。ざまあみろ」
ニシキギが捨てぜりふを言って去ろうとしたとき、クサナギは彼の腕をとらえ、平手でほおを殴った。
「見ろ! 今おまえが斬った怪物だ」
シラヌイの腕には、胸から血を流し息も絶え絶えのカササギが抱かれていた。
「カ、カササギ。おまえ、どうして」
「ベニヒカゲに……だまさ……れた。仇を……とってく……れ」
ニシキギは急に体中の力が抜けて、中空に立っていることができなくなり、落下しはじめた。しかし、地面に激突する寸前でクサナギに抱きとめられた。
「クサナギさん! シラヌイさん!」
二人が邑にもどるとグレンやホムラ、シタダミが駆け寄ってきた。サクヤとマツリカも外に出てきた。シノノメとユズリハの姿もあった。
「ニシキギはまさか……?」
「いや、ショックで気を失っただけだ」
「カササギ?」
シノノメが真っ先に近づいた。シラヌイはカササギの体を静かに横たえた。胸からは鮮血が流れている。シノノメは声をつまらせ泣き伏した。
「なんていうこと……。ベニヒカゲの血が流れて、人間に戻ったのね」
マツリカが進み出てユズリハに尋ねた。
「ユズリハさま、薬湯は残っていますか?」
「ええ、まだ一度しか飲ませてないから」
「じゃあ、すみません。少しでいいんですけど、持ってきていただけます?」
ユズリハが薬湯を取りに戻っている間、マツリカは手際よくカササギの体の血をきれいにふき取った。そばにいる者たちが息をのんで見守る中、ユズリハが持ってきた薬湯をカササギの上に振りかけるとカササギの体は白い美しい鳥に変わっていった。
「人間を生き返らせるわけにはいかないから……」
白い鳥は空高く舞い上がり、上空をしばらく旋回したかと思うと、やがてどこへともなく飛び去った。
看護室の寝台で目を覚ましたニシキギは、まだ混乱していた。
あれほど信じていたベニヒカゲが、カササギを怪物にしたことへの憎しみと、そのカササギを、自分の手で殺してしまった懺悔の念が、カササギの悲鳴とともに頭の中でうずまいていた。
「おれは……何をやってたんだ」
手のひらで光る聖霊石をみつめながらニシキギは悔やんだ。大粒の涙が頬をつたう。ニシキギは次の瞬間、