綿津見國奇譚
第四章 決戦前夜
一、再会
「何かが飛んでくる」
修練所でマツリカがつぶやいた。ちょうど朝の訓練を始めようとしていた時で、勇者のほかに、若い賢者たちも十数名集まってきていた。一同は浮き足だった。
「敵か?」
「いえ、邪悪な気は感じません。でも……」
マツリカは精神を集中して空を見つめた。とたんに険しい顔つきになり西の方を指さした。
「たいへん! 皆さん、気を集中してください」
マツリカの号令で、皆は心を一つにして念じた。まもなく現れたのは、ホオリ族の邑から逃げ出してきた、怪物の姿のカササギだった。その背にはシノノメとニシキギが乗っており、スセリ媛の遺体もくくりつけられている。
七日の間休みなく飛び続けたカササギは、もう力がつきようとしていた。勇者と賢者たちの気に導かれてようやく地に下りると、ぐったりとして動かなくなった。背中のシノノメは気を失っており、ニシキギは虫の息で、意識がなかった。
邑人が怪物の背から二人をおろし、看護室へ運び入れた。そしてスセリ媛の遺体はクシナダ族の者たちがていねいに運んでいった。
「母さん!」
「シノノメ!」
シタダミとサクヤが駆け寄ると、シノノメはわずかに意識をとりもどし、ニシキギの聖霊石琥珀を差し出して見せた。それはニシキギの体液が、空気に触れて結晶となったものだ。
「ああ、着いたのね。勇者です。最後の一人……」
直ちにシノノメの矢傷の手当てと、ニシキギの怪我の手術が行なわれた。シノノメの必死の介抱のおかげで血は止まっており、傷も少しはふさがっていたため、ニシキギは一命をとりとめたのだ。まだ意識は戻らないが、しっかりした呼吸をするようになっていた。そして安静にするため、族長のムラクモと世話をする薬師のユズリハが部屋に残った。
「シノノメさま。こちらの部屋をお使いください。ここなら静かに休めます」
クサナギは、歩けるようになったシノノメを寝室に案内すると、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。たいへんなご苦労をかけてしまって」
「いいえ、クサナギ。ずいぶんとりっぱな若者になられましたね。お父さまはさぞやご自慢でしょう」
「まだまだです。それに……」
クサナギが言いかけた時、シノノメはその言葉をさえぎった。クサナギが自分の失敗からサクヤをさらわれたために、シノノメにいらぬ迷惑をかけたと言おうとしていたのがわかったからだ。
「クサナギ。わたしに勇者を紹介してくださいな」
「しかし、そのお怪我では……。それにお疲れでしょう。今日はこのままゆっくりお休みください。シタダミもサクヤもそのつもりで遠慮しているのですから」
「いいえ、ここにきたら疲れは吹き飛びました。ここの空気は元気をくれます」
「それでは皆にここへ来てもらいましょう」
「わあい。待ってました」
すぐにシタダミが飛び込んできた。
「なんだ。後をつけてきたのか」
「うん、だって久しぶりなんだもん。母さんの顔見るの。ほら、サクヤもおいで」
ドアの陰からサクヤがおずおずと顔を出した。
「だって、シタダミはたくさんお話ししたいことがあるでしょ」
「なに遠慮してるんだよ。おまえにとっても母さんじゃないか」
「でも……」
サクヤの後ろにはホムラがいたのだ。ホムラのことを思うと、手放しでは喜べないサクヤだった。ホムラの顔を見て、シタダミははっとした。
「ごめん。ぼく、ついうれしくて」
「おいらのことなら平気だよ。母ちゃんは母ちゃんじゃないか」
ホムラはニコニコしている。するとシノノメは優しく声をかけた。
「今日からわたしが、皆さんのお母さんになるわ。なんでも遠慮しないで言ってね」
「ほんと? おいらの母ちゃん?」
一番喜んだのはホムラだった。グレンも近づいて自己紹介した。
「ぼくはグレンです。勇者の中では一番年上です」
「そう、シタダミはいいお兄さんができてよかったわ」
グレンは頬を赤くした。その後ろから話したくてうずうずしていたヒムカが、身を乗り出した。
「シノノメさん、ぼくはヒムカです。あの、妹がお世話になりました」
シノノメはヒムカの手をそっとにぎると、涙を流した。
「まあ、おじいさま……の、御上の面影が」
「ぼく、おじいさまが治めていた時のようないい国を取り戻すためにがんばります」
「ありがとう。わたしもできる限りお手伝いしますわ」
「ちぇ、ヒムカばっかりかっこいいこと言っちゃって」
シタダミが冷やかすとグレンが言った。
「ひがむな、シタダミ。これからおまえも、余分なおしゃべりよりも、気の利いたこと言えるように精進するんだな」
「ちぇっ」
ひかえめなマツリカは、自分の番をじっと待っていたが、ほかの連中の話が弾んでしまったので、言い出しかねていた。そのようすに気づいたサクヤが、マツリカの手を引いてシノノメの前に連れていった。
「シノノメ。マツリカさんよ。すてきなお姉さま」
「まあ、ほんと。すてきなお嬢さんね」
「でも、戦う時はすごい迫力なんだよ」
と、シタダミが口をはさんだので、マツリカはぽっと頬を染めた。
「ほら、またよけいなことを……」
グレンがシタダミをたしなめた。
「クサナギ。ちょっと……」
夕食の後、再び子供たちとクサナギがシノノメの部屋で話をしている時、薬師(くすし)のユズリハ(譲葉)がやってきた。クサナギと同い年で方技官の娘だ。
クサナギが、ユズリハといっしょにニシキギの休んでいる部屋に行くと、ムラクモが暴れるニシキギをおさえているところだった。
「クサナギ、こいつを縛りつけてくれ」
「うるさい。離せ! おれはホデリ族の世話になんかならないぞ!」
「鎮静剤を飲ませようとしてもこれでは」
ユズリハは困っていた。しかたなくクサナギは父の言うとおり、ニシキギの両手足を、寝台の四隅にある天蓋の支柱にヒモでくくりつけた。
ニシキギは、ホデリ族の特別な薬を使ったことと、本人が勇者でもあるため、傷はわずか半日でだいぶふさがった。ところが意識をとりもどしたとたん、ホオリ族の邑へ帰るとわめきだしたのだった。体の動きを封じたところで、鎮静剤を飲ませると、しばらくは騒いでいたが、やがて寝息を立てはじめた。
「これで明日の朝まで大丈夫でしょう。おじさま、念のため、賢者の若い方を見張りに立てては」
「そうだな。今夜はそうしようか」
ムラクモは数人の若者を呼んで、交代で見張らせることにした。
「ねえ、クサナギ。あの生き物はどうしたらいいのかしら。空いてる家畜小屋にいれたんだけど、今日一日水しか飲まないの」
「じゃあ、シノノメさまに聞いてみよう」
クサナギがユズリハを伴って、シノノメの部屋に戻ると、そこにいた子供たちは、グレンとマツリカ以外は眠ってしまっていた。
「はしゃぎすぎて疲れたのね。勇者といってもまだ子供だわ」
ひざにもたれて、寝息を立てているシタダミの髪をなでながら、シノノメは笑った。ホムラとヒムカは、ベッドに大の字になっている。サクヤはマツリカにもたれていた。
「寝台をとられてはシノノメさまが休めないではありませんか」
「クサナギさん。もう少ししたらぼくが部屋へ運びます。ただホムラはちょっと無理だから手伝ってください」