綿津見國奇譚
「えーっ、やだよ。ぼくらでなんとかしようよ」
「でも、あの山を越えなくちゃならないのよ。うまく抱えてあげなきゃ、この方に負担がかかってしまうわ」
「う……」
ヒムカはクサナギを頼らないで何でも自分でしようと決めた矢先だった。シタダミとの口げんかで、つい親離れ宣言を気取って大見得を切ってしまったとはいえ、さっそく頼るというのはいささか気が引けた。
「おまえがマツリカに言えよ。マツリカの力でひょいっと……」
「瞬間移動なんてもっと負担がかかって弱った人は死んでしまうわ。とにかくクサナギさまに頼るのが一番いいの。こんな時は!」
「ちぇっ」
確かに聖霊石の力で勇者同士テレパシーの会話はできる。しかし、それは緊急の時であって平常時にはごく弱くしか働かない。したがって距離が遠くなるほど、無理に精神を集中しなくてはならなくなる。そうなるとほかの力に影響を及ぼしてしまうのだ。
今の状況はまさしくそうだった。ヒムカかサクヤがめいっぱいの力でテレパシーを勇者の誰かに送ったとしたら、今度は自身の飛ぶ力がなくなってしまう。だからサクヤの言う通り、こんなときはヒムカがクサナギにほんの少し気を送るほうが確実だった。
「しょうがないなあ」
ヒムカは石に気を込めると、東の方角に向かって念じた。
フサヤガ国の宰相オオミクリ(大御繰)は長年ワダツミ国に好意的に接していた人物であり、両国とも、前国王の時にはひんぱんに行き来をしていた。もちろんムラクモもオオミクリとは顔なじみだった。
ホデリ邑に来て数日後、オオミクリはムラクモと会話ができるほどに体力を回復した。
「ホウジャクさまは変わってしまわれた。王位を継がれてからはわがままのし放題で……。今は、ハヤト族のハマクグさまと計って、このワダツミ国をフサヤガの属国にしようとしているのです。進軍の準備は着々と進み、もうあと半月ほどで城を出発します。わたしはそれをお知らせしたくて……」
「やはり、背後にはホオリ族が関係しているのでしょうな。自然界の気が尋常ではない」
「はい、実はホウジャクさまは、お父上を自らの手で亡き者にされたのです。表向きは急な病とされましたが、わたしの側近が見たと言って……」
「なんですと!」
「側近は殺されました。わたしもてっきり殺されるかと思いましたが、自分の屋敷に軟禁されました。きっと、わたしのような老いぼれには何もできないと思ったのでしょう」
「何と残酷な! ホウジャク殿は利発で優しい方だったのに」
「この十三年の間、まるでじわじわと真綿で首を絞められるように、わたしは死に向かっていました。しかし、最近になってわたしの屋敷の見張りが手薄になったのです。たぶん、戦の準備が整ったので、わたしのことなど、どうでもよくなったのでしょう」
フサヤガ国に政変が起こったのは、ワダツミ国の政変より二年ほど早く、今から十三年前だった。太子のホウジャクは文武両道に秀でた好青年だったが、王位を継いでからは暴君になってしまい、西の国々を悉く侵略して、わずか二年のあいだに、フサヤガを強大な帝国にしてしまったのだ。
オオミクリからの重要な情報を得たムラクモは、トヨ族、マツラ族、イヨ族の各邑に賢者の若者を派遣して来るべき時に備えさせた。