綿津見國奇譚
六、最後の一人
一方、ハヤト族の宮廷では、相変わらず宴が開かれていた。その席でベニヒカゲは得意そうに進言した。
「いまやワダツミ国はハヤト族のもの。フサヤガ国の支援をうけて、ますます繁栄しております。このへんでわれらホオリ族としてもホデリ族と決着をつけ、どちらが天の意志をつぐものか示したいと思います」
「よかろう。ではおまえの力をみせてもらおう」
ハマクグは、酒に酔った真っ赤な顔でへらへら笑いながら言った。ベニヒカゲはさっそく自分の屋敷にもどると、まずカササギを部屋へよんだ。
「これをお飲み。ますます力がつくよ」
赤い血のような飲み物を差し出した。カササギは尊敬するベニヒカゲの言葉を信じ、一気に飲み干した。ところが、とたんに苦しみだし、黒い翼のついたトカゲのように変わってしまったのだ。鏡に映った自分の姿を見てカササギは嘆いた。
「こ、これは。おれをだましたのか」
「なにをいうの。普通の人間に力を分けてやったんだよ。その姿が力を一番発揮できるんだ。さあ、なんでもいいから、近くの邑を襲っておいで。ホデリ族をおびき出すんだ!」
「邑を襲うって? 俺は宮廷の親衛隊にはいりたかったんだ。やっぱりだましたんだな。くそ!」
「おだまり。もう二度と人間にはもどれないんだよ。じきに心まで怪物になって、わたしの下僕になるんだ」
カササギは部屋をとびだし、ホオリ邑の中を暴れ回った。
「ニシキギ! ニシキギ! 怪物をおとなしくさせておくれ」
ニシキギは、その怪物がカササギの変わり果てた姿とも知らず、手斧をもって追いかけた。
「待ってくれニシキギ。俺だ、カササギだ」
しかしその声は、もはや怪物の吠える声にしかならなかった。そうして、カササギは邑のはずれの洞窟のそばまでやってきた。追いつめられて叫んだとたん、口からどろどろの液体がとびだした。
「おっと」
ニシキギは軽々と身をかわした。その液体は何でも溶かしてしまう強い酸で、ちょうど洞窟の入り口をふさいでいる岩にかかった。たちまち岩は溶けて入り口が現れた。
光が射し込むと同時に、外の騒ぎも聞こえてきたため、シノノメは目をさました。ツヅレ婆の力を受けて、体力も気力も回復して体調はすこぶるよく、すぐに立ち上がると出口のほうへ向かった。
「いったい。どうしたというの。もしやツヅレ婆さまがおっしゃった戦いの時?」
しかし、すさまじい音で階段を転げ落ちてくる者があり、とっさにシノノメは岩のくぼみにかくれた。
ズズズズウウン!
「うう、ふうう。ぐるる……」
(か、怪物! でも人間の心を感じる……)
はっきりとは見えないが、その姿形が異様なのに気づき、思わず後ずさりした。シノノメは、その怪物の心が悲しみで一杯なのを感じとり、刺激しないよう優しく声をかけた。
「あなたはだれ? どうして悲しんでいるの?」
「今だ。怪物を洞窟に追い込んだぞ。岩でもう一度ふさげ」
外から声がして、洞窟内は再びまっくらになった。
「うおー」
怪物は吠えた。岩壁を揺るがすほどの叫びにシノノメは思わず身をすくめ、耳をふさいだ。けれど、さらに深い悲しみを感じ、怪物がおとなしくなるのをじっと待った。頃合いを見計らって、シノノメは気を集めて小さな明かりを灯した。
「大丈夫よ。何もしないわ。あなたが悲しんでいるわけを知りたいの」
「おれはカササギ。人間だ。ベニヒカゲにだまされたんだ」
聞こえてくる声は、のどを鳴らす音だったが、シノノメにはカササギの心の声を読みとることができた。そして、そっと怪物を抱きしめた。ヌメヌメとしたうろこの体は冷たく、決して心地よいものではなかったけれど、シノノメはその怪物を心から哀れに思い、あふれる涙をおさえることができなかった。シノノメの涙が怪物の頬をつたって口元に流れた時、怪物はぺろりと舌でそれを舐めた。その時は何事もなかったが、のちにそれが幸いしてシノノメは命拾いすることになる。
どのくらい時がたっただろうか。怪物の心が落ち着いてきたのをシノノメは感じて、岩壁のあちこちに明かりの数をふやした。これで怪物の姿もはっきり見える。黒いトカゲのような体。しかし足は六本はえており、背中には二対のコウモリのような翼がある。
「かわいそうに……」
これまでシノノメは、いったい幾人の人間がだまされて獣や魔物に姿を変えられたのを見てきたことか。そしてベニヒカゲはそれらのものに邑を襲わせ、自ら退治しては邑人をあざむいて服従させてきたのだ。ワダツミ国には主立った六つの部族以外に、いくつもの少数部族がいるが、そのいくつかはホオリ族への従属を余儀なくされていた。
「ご苦労だったね。ニシキギ」
「ベニヒカゲさま。あの怪物は?」
「いやね。ちょいと馴らして乗ってみようと思ってね」
「そうですか。じゃあ、あのままとじこめていては死んでしまいますね」
「あとでようすを見てみるさ。なあにじきに慣れる」
「ところで、カササギはどこへ? さっきここへ来たようですが」
「あ、ああ、カササギね。うん、あの子にはハヤト族の都に行ってもらったんだよ」
「ハヤト族の?」
「ああ、親衛隊にね。あ、でもね、おまえはもっと上級士官の位をやるって話だから、もう少しここで修行をするんだよ」
一瞬怪訝な顔をしたニシキギだったが、上級士官ということばを聞いて、思わず目の色を変えた。
(ということは俺の実力のほうが上というわけだ)
ニシキギのこの思いを見逃すベニヒカゲではなかった。ニシキギの心をガッチリつかむため、本当のことをうち明けることにしたのだ。しかし、あっさり言うのもつまらないと思い、さももったいつけるような言い回しで話し出した。
「実を言うとね。この三年ちょっとの間、おまえを見ていて気がついたんだけど。どうもおまえは普通の人間とは違う能力がある」
「え?」
「いや、わたしは最近になって確信したんだけど、おまえは勇者なんだ」
「ゆ、勇者! 本当ですか?」
「ああ、おまえの体のどこかに聖霊石がやどっているのだ」
ニシキギは、自分の体をつま先から胸まで眺め回し、最後に両手を見つめた。
「でも、ベニヒカゲさま。今までの修行はみなあなたの力を分けて頂いて……」
「いや、わたしはおまえには力をわけてやらなかったんだ。本当さ」
「そんな……。じゃあみんなおれの力?」
「そう。あとは石が形になればもっと力は倍増する」
「とすると、国の統一のために戦えるわけですね」
「そうとも。千年前の統一の時にはクシナダとハヤトの二部族に勇者の印が降りた。だから王位は二部族が継承することになっていた」
ベニヒカゲはにやりと笑うと、あとは出任せを言い出した。
「ところが、クシナダ族はそれがおもしろくなくて、ハヤト族を亡き者にしようとしたのさ。だからハヤト族は誇りをかけて戦い、クシナダ族を排除した」
「はい、そう聞いてます」
「だから今度の統一に向けての戦には、ハヤト族だけに勇者の印が降りてくると、天の意志が下ったのだ。援護するのは我らがホオリ族。そして、おまえがその最初の一人」
「おれが……?」