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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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綿津見國奇譚

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  三、アカツキとシラツユ

 突然、まだ日も高いのに急に黒雲がたちこめた。一瞬のうちにまるで夜のように暗くなったかと思うと、二人のまわりに光の玉が無数に現れた。
「シタダミ!」
 サクヤは、急いでシタダミのそばに駆け寄った。
「サクヤ、ぼくから離れるな!」
「これは……?」
「いよいよお出ましだ。ホオリ族の」
「ホオリ族の?」
「ああ低級の邪霊で、使い魔とでも言った方がいいかな。でもこの間のよりはてごわいかも……」
 光の玉は、二人のまわりをゆっくりと円を描きながらひとつにまとまっていった。とうとうそれは光る蛇となってうねり、二人のまわりをとぐろを巻くように取り巻いた。
 シタダミは玉を剣に変え、サクヤは弓に変えてかまえた。しかし、実戦は初めてのふたりだ。邪霊の気に押されそうなのを、耐えるだけで必死だった。
「サクヤ、がんばれ! ぼくたちは勇者だ!」
 シタダミはサクヤを励ました。その時ブレスレットの石がきらりと光り、シタダミの剣を握る手に力がみなぎってきた。
「こ、これは……!」
 驚きながらも、シタダミはさらに強く念じてみた。すると石の力は増し、シタダミは、まるで剣の達人のように動けるようになった。
「サクヤ、わかった。石に念じるんだ」
 シタダミは叫んだ。サクヤは疑うことなく石に念じた。
「わたしは勇者! 国のために戦う勇者!」
 サクヤもたちまち力がみなぎり、今まで恐れていた気持ちが吹き飛んだ。そして力一杯弓の弦をひいた。
 サクヤの放った矢は命中し、光は辺りに飛び散った。しかし、すぐに集まってまた襲ってくる。シタダミが剣でなぎ払っても同じだった。
「くそ、切るだけじゃだめなのか」
「これじゃあ、きりがないわ」
 二人が弱気になると石の力も弱まる。けれど二人ともまだ子供なのだ。それもなんの訓練もしていない。石の力を持続させる、強い精神力を持つのはまだ無理だった。
「だめだわ。シタダミ」
「弱気になるな。サクヤ。念じろ、念じるんだ」
 もはやシタダミの気がわずかに身を守るすべだった。それも、もういつまでもつかわからない。シタダミも弱気になりかけていた。
 シュッ!
 二人の耳元で風を切る音がした。すると、二人のまわりを取り巻いていた光る蛇は離れ、新たな敵のほうへ首をもたげていた。
 サクヤとシタダミの目に写ったのは、年の頃は十七、八。翡翠の額帯をつけた、美しい乙女の姿だった。乙女と光る蛇は、空中で対峙していた。乙女から発する気は、サクヤとシタダミの目にもはっきりと見えるほど、緑色の光となって彼女の体を包んでいる。しかも光る蛇の気のほうが、少しづつ弱まっているようにも見える。蛇はちろちろと火の舌を出して、攻撃する機会をうかがっていた。
 そこへ暗い空に一瞬星が光ったかと思うとまた一人現れた。二人には初めて会うことになるクサナギだった。クサナギはヒムカを小脇に抱えている。
 クサナギは、光る蛇に対峙している乙女を見て驚いた。
「マ、マツリカ?」
 そう、乙女は確かにマツリカなのだ。しかしマツリカはまだ十二、三才のはず。この乙女はどう見ても、もっと年が長けている。
「だが、あの額帯はまさしくマツリカの!」
 クサナギがいぶかしんでいると、マツリカが叫んだ。
「アカツキさま。おいでませ!」
 すると、たちまちクサナギは雷で打たれたようになり、抱えられていたヒムカは、転げ落ちてしまった。
「いたた。ひどいよ、クサナギ」
と言いながらヒムカが見上げると、なんと、クサナギの体が変わっていくではないか。
「クサナギ!」
 それは、クサナギ自身も理解できないことで、自分の腕、胸、いや骨格全てがよりたくましく、まるで別人のものになっていく。しかももう一人別の人格も現れ始めたのだ。
「臆するな、クサナギ」
 頭の中に響いた声は、いつか泉のそばで出会ったアカツキのものだった。
「ア、アカツキさま?」
「わたしに気を合わせよ。そらすでないぞ!」
 襲いかかってきた光る蛇めがけ、気をこめた太刀がうなる。一振りごとに邪気は吸い取られ、蛇はしだいに小さくなっていく。
 そのようすを、サクヤとシタダミは宮殿のそばで、ヒムカは少し離れた草むらで息をのみ、見守っていた。
 蛇が、いよいよもとの光の玉の大きさになったとき、突然それは女の姿になった。
「お母さま!」
 思わずサクヤは叫んだ。なんと、あのホオリ邑の洞窟で見た母親スセリ媛の姿だった。
「スセリ媛!」
 クサナギの気は、アカツキから一瞬それてしまった。アカツキの叱責がとぶ。
「惑わされるな! あれは魔物ぞ」
 その一瞬の隙を逃さず、スセリ媛の姿はたちまち空を覆うほどの大きさになった。
「ひよっこめ。世話がやけるわい」
 マツリカが叫んだ。その声はツヅレ婆のものだ。実は、マツリカにツヅレ婆が乗り移っていたのだ。
「邪悪な奴め。我らが力をあなどるな」
 マツリカ(ツヅレ婆)は両手を大きく広げた。たちまちその手から発せられた緑の光は、スセリ媛の幻を取り囲んだ。
「今ですぞ! アカツキさま!」
 クサナギの意識は躊躇していた。幻だということはわかっていても、過去の苦い思いが決意をにぶらせた。だが、すでにアカツキはクサナギの体を支配していた。意識に反してクサナギの体はツヅレ婆の声に反応し、太刀の切っ先を、スセリ媛の心臓に突き刺した。
「いやあ、おかあさまぁー!」
 サクヤの悲鳴が響く。シタダミは取り乱すサクヤを抱きしめ、必死で慰めた。
「ちがう。サクヤ、あれは幻だ!」
 ギャアアア
 邪霊はしわがれた叫び声を上げ、消えていき、たちまち雲は晴れて、明るい日差しが戻った。戦いを終えたクサナギのそばに、マツリカ、そしてヒムカ、サクヤとシタダミが寄ってきた。
「ごらん。これが正体だよ」
 マツリカ(ツヅレ婆)が指さしたのは太いミミズの死骸だった。
「ホオリ族は人を惑わすのが得意だ。しょせんはこんなもの。惑わされてはならんと常々いうたのに……。ひよっこが」
 今、クサナギは立っているのがやっとだった。意識と肉体との一致がなければ、これほどまでに疲労困憊するということを思い知らされたのだ。
「まあ、そんな嫌みをいうな、シラツユ(白露)。前半だけでもわたしについて来られたのはたいしたものだ」
 そう言いながらアカツキはクサナギの体から離れ出た。泉で会った時のような白い光に包まれた若い姿である。そのとたん、力が抜けたクサナギは、その場に座り込んでしまった。
「シラツユ?」
「ああ、わたしの本名じゃ。かわいい名じゃろ」
 まだマツリカにのりうつったままツヅレ婆は答えた。自己嫌悪に陥っていたクサナギは、まるでいじけた子供のように言った。
「マツリカの姿で、そんな声を出すのはやめてください」
「これはすまなんだ。若い体は居心地がよくてつい……。どれ、でるかの」
 すると、マツリカの体からまるで魂が抜けるように光が出てきたかと思うと、アカツキのそばで人の姿になった。長い黒髪が背丈ほどもある、花のようにあでやかな、美貌の娘だった。
「まさか、ツヅレ婆さま……?」
 クサナギは、狐につままれたような顔で、その娘を見つめた。
「さあ、まいりましょうか。アカツキさま」
作品名:綿津見國奇譚 作家名:せき あゆみ