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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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綿津見國奇譚

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   五、修行

「クサナギのバカ! オタンコナス! 冷血漢」
 樹海の中で、ヒムカはありったけの声で叫んだ。
『三日分の食糧と水だ。七日以内にこの樹海から出てごらん』
 クサナギはそれだけ言うと、ひとりでさっさと先へ行ってしまったのだ。
 ホデリ族の邑をとりまいている樹海は、寿命を向かえたホデリ人が、最後の時を過ごす場所であり、びっしりと生えた木々は人々が命の終焉に変化したものだった。
 しんと静まりかえった深い森にとりのこされ、ヒムカは心細さをとおりこして、恐ろしささえ感じていた。
 あおいで見ても木々の梢が空を覆い、わずかな日の光が帯となって射し込むだけの、うっそうとした樹海。出口を探し求めて歩き回って一日を無駄に過ごし、疲れて途方に暮れたヒムカは地べたに座り込んだ。
『君の頼りになるのは君自身の心と聖霊石の力だけだ』
 クサナギの言葉を思い出し、気持ちを落ち着けようとしたが、孤独感は募るばかりだった。
「クサナギのバカ……。こんな思いするくらいなら勇者なんかやめてやる」
と、石に手をかけた時、ヒムカの耳にささやく声が聞こえてきた。
 最初は葉擦れの音か、あるいは空耳と思ったが、無意識に石を強く握ると、それがホデリ族の言葉だということがわかった。
 ささやいているのは樹海の木々だった。


   天地開闢 天の意志にて生ずる一族あり
   天と語り 地と通じ 栄華幾千年
     悪しき者出で 世 暴虐に満ち
     悲嘆の声 空に溢る
   天 是を哀れみて 御印を投ず
   御印裂け 七人の勇者起つ
     勇者 悪しき者悉く散らし
     地 再び平らかなり


 それは歌うようになめらかに、心にしみいるようにやさしく、ホデリ族の歴史を語っていた。その声を聞いているうちに、ヒムカは次第に落ち着きを取り戻し、自分が勇者であることを、もう一度心に刻みこんだのだった。
 ヒムカは樹海の中を歩き回った。今度はやみくもに歩いたのではなく、樹海の構造をしっかりと把握するためだった。
「これは相当古い木だ」
「あっちはわりと新しかったから、樹海は北から南へ広がったんだ」
 時には幹に触れて話しかけながら、ヒムカは飽くことなく歩いた。初めの恐怖感はすっかりなくなり、今では樹海の木々たちに、クサナギやムラクモや、そのほかホデリ族の親しい人たちがそばにいてくれるような親近感を抱いていた。
 また、聖霊石を通じて、木々はクシナダ族のことやワダツミ国全体のことなど、あらゆる知識をヒムカに与えてくれたのだった。

 三日後、樹海の外で待つクサナギの前に、ヒムカはすがすがしい顔つきで現れた。
「樹海が教えてくれた。ぼくは太陽の気を受けた勇者のリーダーだって」
 クサナギは笑ってヒムカの頭をなでた。
「次は山ごもりだ」
「ええ、まさかまたぼくをひとりにするんじゃ」
「そんなことはしないよ。剣と術の特訓だ」

 トヨ族の邑にいるグレンとホムラは、師範となったグレンの父のもと、本格的に武術を習い始めていた。
「うーむ。グレン、やはり右が弱いな。もう少し早めにかえせ」
「こんな目じゃ無理なんだ!」
 グレンはくじけそうだった。そんなグレンを見てホムラがいった。
「ねえ、おじさん、じゃなかった師匠。グレンは槍がいいと思うよ」
「そうか?」
「うん、だってあのときすごかったよ。こうやって役人の槍をひったくってさ」
 グレンの父は近くに立てかけてあった水汲み用の天秤棒をとると、グレンに手渡した。
「よし、行くぞ」
「はい」
 父がかかってきたとき、一瞬早くグレンの棒がその木刀をたたき落としていた。これには父よりも当のグレンが驚いた。
「わあ、やっぱりグレンの槍はすごいや!」
 ホムラがばんざいして喜んだ。父もグレンの槍さばきには、文句のつけどころがなかった。
「グレン。おまえ、いったいどこで覚えたんだ?」
「父さん、ちがうよ。石の力だ。今わかった。ぼくの武器は槍なんだって」
 それまで曇りがちだったグレンの表情が、生き生きとしてきたのを父は感じた。グレン自身も心が晴れ晴れとして、勇者として生きる決意が芽生えてきていた。
 かたやホムラにも問題があった。力がありあまるホムラに、剣は役不足だった。
「うわあ、またやっちゃった。五本目だ」
「おまえには他の武器が必要だな。何がいいかな」
 グレンの父に言われ、ホムラは考えた。
「師匠。おいら自分でつくるよ。こう見えても鍛冶屋の子供だ」
「そうか。では考えたとおりにやってごらん」
 こうしてホムラは、邑人から鋼をもらってくると、七日ほどかけて大きなハンマーのような武器を作った。
「ほう、これはたいしたものだな」
 グレンの父は、ホムラの腕にひたすら感心した。自分にあった武器を手にしたグレンとホムラは、ますます修行に熱を入れて励みはじめた。

 そんなある日のこと。
「精が出ますの、ツムカリ殿……」
 突然後ろから声をかけられて、グレンの父は振り向きざま剣を抜いて、声の主に斬りつけた。ところがその相手を見るなり、突然ひれ伏して謝るのだった。
 ツムカリ(都牟刈)とは『鋭く切れる』という意味のホデリ族の言葉で、グレンの父は普通の人間だが、賢者のムラクモと対等に戦えるほどの剣の腕をもっていた。それでホデリ族で修行をし終えたとき、当時の族長イスルギは、敬意を表して特別にこの名を授けたのだった。人間にとっては名誉なことで、大臣の職にあるときも、この通り名の方が実名よりも有名になっていた。
 しかし、トヨ族の邑に隠れ棲むようになってからは名前を変えて生活していたため、昔の通り名を知っているのはハヤト族にちがいないと思いこみ、剣を抜いてしまったのだ。
「ほっほ、剣の腕は鈍ってないようじゃの。幻影でなければ、わたしはまっぷたつじゃ」
 しわだらけの歯のない口をあけてツヅレ婆がころころと笑っている。
「失礼いたしました。ついハヤトの追っ手かと」
「あ、あのときのばあちゃん!」
 ホムラは無邪気に叫んだ。
「こ、こら、失礼だぞ。ツヅレ婆さまだ」
「え? つぶればばあ?」
「こら、ホムラ」
 ツムカリはホムラを叱り、冷や汗をかきながら言い訳した。
「すみません。このものは図体ばかり大きくてもまだほんの子供で……」
「よいよい。ほんに今はつぶれた婆になってしまったからの。昔のナイスバディを見せてやりたいくらいじゃが……」
「父さん、この方は…? ぼくたちは以前にも一度」
「ああ、ツヅレ婆さまはホデリ族の賢者で、天尊の称号をもっていらっしゃるお方だ。わたしたちの世代は、みな、ツヅレさまの教えを乞うた。特に政に拘わるものは、心構えをしっかり持たなくてはならないからな」
 ツムカリの話が終わらないうちに、ツヅレ婆はグレンの側につかつかと歩み寄った。
「ほう、おまえもなかなかの色男じゃ。じゃが、もう少し肉を付けた方がいいのう」
 グレンは後ずさりした。しかしツヅレ婆はその顔をぐっと近づけて話しかけた。
「グレンや、おまえの父は剣の腕は一流じゃ。フツーの人間にしておくのは、もったいないくらいでの。賢者一の剣士でさえ、一目おいていた。父の言うことをよく聞いて、しっかり励むんじゃぞ」
「は、はい」
作品名:綿津見國奇譚 作家名:せき あゆみ