綿津見國奇譚
二、グレン(紅蓮)とホムラ(炎)
勇者は聖霊石といわれる宝石を持って生まれる。しかしその誕生は、常人と少し違っていた。たとえばヒムカとサクヤは三年も母親の胎内にいたし、マツリカは額にこぶをもって生まれた。
また、ホオリ族からサクヤとともに逃げたシタダミは、仮死状態で生まれてきた。彼は口を堅くつぐんだままで、取り上げた産婆が逆さにして尻をたたき、びっくりして産声をあげたとたん、口から聖霊石が飛び出したのだ。
そして、南のトヨ族の邑。ここにもひとり勇者となる少年がいた。年は十五。彼は生まれつき右目が閉じたままの隻眼だった。
その少年の名はグレン。
クシナダ族の生き残りで、安全なホデリ族の邑を目指して逃げる途中母親が病になり、やむなく、ここトヨ族の邑はずれにある、山沿いの小さな里に隠れ住むことになった。
幸いにも、好意的な邑人のおかげで、ハヤト族の追っ手に見つかることもなく、逃走の時持ち出したわずかな財産を処分して、小さな家と土地を買い、慣れないながらも畑仕事に精を出し、ささやかに暮らしていた。
もとは貴族の家柄で、大臣を務めたグレンの父は、温厚な性質だったため、訴訟事なども円満に解決するので邑人から厚い信頼を得ていた。
グレンの容姿はいかにも貴族的で品がよく、トヨ族の娘たちが噂するほどの美少年だが、隻眼を気に病んでか、内向的で一人でいることを好む無口な少年だった。
さて、クサナギがアカツキの霊をうけ、ヒムカが勇者として目覚め、サクヤとシタダミが旅立ってからほどなくのこと。
「痛い」
畑仕事をしていたグレンは突然右目に焼けるような痛みを感じた。
「どうした、グレン」
そばにいた父がかけよった。
「目が、目が痛い」
グレンは顔をおさえてその場にうずくまった。父親はグレンを支えながら家に連れて帰り、寝台に寝かせた。しかしそのまま三日三晩グレンの苦しみは続いたのだ。
「いったい、どうしたのでしょう」
病床に伏せっている母親も心配した。
「痛い、痛い」
グレンは食べ物も受けつけず、心配した邑人が持ってきた、痛み止めの薬草すら口にせず、ただ転げ回って痛がるばかりで、誰もとりつくしまもないありさまだった。
四日目の朝のこと、苦しむ声がぴたっとやんだ。父や母、邑人がグレンの寝室を見ると、グレンはぐったりしている。
「だんな、グレンはまさか……」
邑人のひとりがおそるおそる言った。
「ばか、縁起でもないこというな」
もうひとりがとがめた。
両親がそっと近寄ってみると、グレンは眠っていただけだった。しばらくの間そのまま寝かせておくと、昼頃になって、グレンは目を覚まして部屋からでてきた。その時居間にいたのは、父や母のほかにグレンを心配した邑人が数人、再びようすを見に訪れていたのだが、皆、グレンの顔を見て、腰を抜かすほど驚いた。
「こ、これは……」
「何だよ? みんな。もうだいじょうぶだよ。ほっといて!」
「いや、グレン。おまえ……」
「なんでそんなに見るんだよ」
「おまえは、勇者だ……」
父親がつぶやくように言った。なんとグレンの右目は開いた瞼の奥に、オレンジ色の宝石が輝いていたのだ。
「え?」
グレンは耳を疑った。いや、グレンばかりではない。まわりにいた者たち全てが驚いた。
「見るがいい。おまえの右目には聖霊石が宿っていたんだ。今、瞼があいてそれが光っている」
グレンはふるえる手で父の差し出した鏡をもつと、おそるおそる覗いた。まぎれもない。右目には、眼球の替わりに聖霊石の一つ、瑪瑙があった。
「ぼくが……勇者?」
グレンは、放心したようにつぶやいた。
「ばんざーい。勇者さまだ。伝説の勇者さまが現れた!」
「これでワダツミ国はまた平和になるぞ」
ハヤト族の統治になって以来、重い税の取り立てに苦しんでいた邑人たちは喜び、上を下への大騒ぎになった。けれど、グレンは不安だった。
「ぼくが勇者だなんて何かの間違いだ。七つの時、ここにきてから剣なんて持ったことがない!」
「しかし、その目の宝石は間違いなく聖霊石だ。おまえは天に選ばれた勇者なのだ」
「だけど……」
「自信を持て、グレン。おまえの隻眼は無意味なことではなかったのだ」
「そんなことあるもんか! この目でどうやって戦えるっていうんだ! ぼくは勇者になんかなるもんか」
グレンは家を飛び出した。
一方、トヨ族の隣にあるマツラ族の邑では、隠れ住んでいたクシナダ族の一家がハヤト族の役人に見つかり、広場で処刑されようとしていた。
「とうちゃん、かあちゃん、あんちゃん……」
見物人の後ろの方で、目に涙を浮かべているのは、処刑される家族の末息子、ホムラだった。家族は捕まるとき、ホムラだけは逃がしたのだ。
このホムラはまだ十才だが、小さな時から体が大きく力も強かった。生まれるときも、母親の腹の中であまりに大きく育ってしまったので、外科的な施術で誕生したのだ。性格はとても優しくおとなしく、のんびりした風貌のせいか、小鳥や動物がいつもそばによってくるのだった。
このホムラの家は、トヨ族に隣接するマツラの邑はずれで鍛冶屋を営んでおり、父親はとても腕が良く、遠くの町や邑からも農機具の注文がくるほどだった。
一家は、戦の後移り住んだこのマツラ族の邑で、隣人とも仲良くつき合い、うまくやっていたのだが、おそらくその腕をねたんだ者のしわざだろう。クシナダ族だということを、密告されてしまったのだ。
家を飛び出したグレンは、走っている間に、いつのまにかマツラ族の邑に入り込んでいた。もう日も暮れかかっている。すると、なにやら邑人が、あわただしく走っているのに気がついた。人々が皆、広場に集まっているのだ。
「いったい、なにがあるんだろう」
グレンも邑人の行く方へ歩いていった。そこでグレンが見たものは、処刑されるクシナダ族の姿だった。そしてちょうどすぐそばに涙を流しながら、ふるえて立っている少年の姿を見たのだった。背の高さは同じくらいだが、細く華奢な体のグレンとは正反対で肉付きのいい少年だ。
(ひょっとして、家族なのか……?)
グレンは、小さな目から溢れる涙をぬぐいもせずに立っている少年を、じっと見つめた。
「うわあー」
最後の一人が処刑されたとき、ホムラはかけだしていた。そして処刑した役人にまっすぐ体当たりしたのだった。
(あ、あいつ! 無茶だ……)
名も知らぬ少年だが、ひとり役人に向かっていく姿を見たとき、急にグレンの体に熱いものがこみあげてきた。次の瞬間、グレンも役人に立ち向かっていた。そして役人から槍をうばうと、自分でも驚くほどうまく槍をさばいて、悉く役人をなぎ倒していったのだ。見ると、少年も素手で何人も倒している。
(すごいな。こいつ)
とグレンが思った時、十数人の兵士が現れた。兵士ではかなうわけはない。グレンは少年の手をとると、一目散に逃げ出した。
二人は走りつづけて、マツラ族の邑を抜け出し、山の中に入った。
「よし、ここまでくれば安心だ」
「と、とうちゃんが、かあちゃんが、あんちゃんが……」
ほっとして気がゆるんだのか、少年はおいおい泣きだした。