綿津見國奇譚
第二章 勇者立つ
一、サクヤとシタダミ(細螺)
「行ってらっしゃい。ヒムカ。クサナギさま」
ホデリ族の邑の門で、マツリカが二人を見送った。これからヒムカの武者修行に出るのだ。
「うん。ぼくはりっぱな勇者になって、ほかの仲間も見つけて帰ってくるからね」
「では、行って来ます」
ホデリ族とクシナダ族の人々に見守られてクサナギとヒムカは旅立った。
同じ頃。ここは地の果てにあるホオリ族の邑。明るく、花と緑にあふれたホデリ族の邑とちがい、荒涼とした砂漠と岩山がそびえ立つ殺伐としたところだ。
サクヤはさらわれて以来、女傀儡師ベニヒカゲ(紅日影)の屋敷で育てられていた。やはり、黒目がちのつぶらな瞳を持った愛くるしい少女に育ったが、兄ヒムカと違うところといえば、サクヤの髪はまっすぐなことだった。そして邪悪なベニヒカゲに育てられていても、母スセリ媛ゆずりの心の美しさや優しさは、少しも損なわれることはなかった。
「まったくいまいましい。あの子ったら、ちっとも呪術を覚えようとしないで。石の力があるんだから、傀儡くらい人間だってできることなのに!」
召使い部屋に、どかどかと入ってきたベニヒカゲは、縮れた長い黒髪を振り乱し、つり上がった目をますますつり上げて、ヒステリックに叫んだ。そしてサクヤの乳母、シノノメ(東雲)をむち打ってののしった。
「やっぱり、裏切り者のおまえなんかに育てさせるんじゃなかった!」
ビシッ、ビシッ
シノノメは、黙ってむちの痛みに耐えている。そこへ血相を変えてサクヤが部屋に入ってきた。
「やめて。お母さま。シノノメをいじめないで!」
サクヤは、ベニヒカゲに必死で取りすがった。
「なんだって? 捨て子だったおまえを育ててやったのはこのあたしなんだよ。その恩も忘れて口答えするのかい!」
ベニヒカゲが、サクヤをなぐろうと手を挙げたそのとき、石つぶてが飛んできた。
ビシ!
「あいたた。だれだ」
小麦色の肌をした少年が立っていた。
「母さんとサクヤからはなれろ。ばばあ!」
シノノメの息子シタダミだった。サクヤより一つ年上の九才で、茶色の髪は子供らしく短く刈り上げているが、きりりと整った眉はなかなか男らしい。
「ば、ばばあですって! 失礼な。小生意気な小僧め」
「ふん、そんなケバい化粧してるんだ。ばばあにきまってら」
「熟女とお言い。憎たらしいやつだね、あっちへおいき!」
「うるさい、おまえこそ出てけ」
シタダミはつぎつぎと石つぶてを投げた。ベニヒカゲは、石をよけるのに精一杯で、術を使うことができず、しぶしぶ部屋から出ていった。
「大丈夫? 母さん、サクヤ」
「わたしはなんともないわ。でもシノノメが」
シノノメの背中は服が破れ、血がにじんでいる。サクヤが手当をしようとしたが、シノノメは笑って言った。
「だいじょうぶ、術で治せるわ。このくらいの傷、みててご覧なさい」
するとあっというまに傷は消え、服も元通りになった。サクヤは目を見張った。シノノメは今までサクヤの前で、いや息子のシタダミの前でさえ、術を使うところを見せたことがなかったのだ。
シノノメは、空を仰いでなにかを見ている風な素振りを見せた。それから、
「もう、そろそろ潮時かもしれないわね」
とつぶやくと、サクヤと息子シタダミを伴って、邑のはずれにある洞窟へ連れて行った。
「母さん、ここは?」
「この中に真実が隠されているの」
謎のような言葉に面食らいながらも、サクヤとシタダミは、シノノメのあとをついていった。洞窟の中は広く、長い階段がずっと下の方まで続いている。
コウモリの目が光り、地下水のしたたり落ちる音が不気味に響く。じめじめしたかびくさい闇の中を、小さな明かりを頼りに降りていくと、大きな白い岩肌がぼうっと浮かんで見えた。明かりを近づけると、そこには美しい女が埋め込まれていた。
「きゃっ」
サクヤは思わず悲鳴をあげた。しかし、続くシノノメの言葉は、サクヤをもっと驚かせた。
「サクヤさま。残酷なようですが、この方はあなたの本当のお母さまです」
「ええ!?」
サクヤは気を失いそうなほど驚き、倒れかけてシタダミに支えられた。
「母さん、眠ってるの? この人」
「いいえ、残念だけど亡くなってるのよ。サクヤさまがお生まれになってすぐ。そのときベニヒカゲが、サクヤさまと一緒にさらってきたの」
「でも、生きてるみたいだ」
確かに、スセリ媛は眠っているように見える。頬もうっすらと赤みがさしており、唇は今にも何かを語りそうだった。
サクヤは恐ろしいのか悲しいのか、自分でもその感情がわからず、シタダミの腕の中でふるえている。シノノメはサクヤに告げた。
「あなたはクシナダ族の媛君です。この方は前王の娘スセリ媛で、わたしは宮廷に仕える神官でした」
シノノメは、ホオリ族の血をひくハヤト族の女で、力を持って生まれた。だから両方の特徴をそなえた、小麦色の肌と黒い髪をもっている。
どの部族でも、まれに力を持った者が生まれると、その血統に応じて、ホデリかホオリの一族に養子に出すのが習わしだった。しかし、シノノメの両親はホデリ族に娘を託した。邪悪なホオリ族を敬遠したためで、そこで彼女は、正統な方術を会得して、宮廷の神官になった。そして、同じハヤト族出身の宰相カガシラに望まれて妻になり、シタダミを生んだのだった。
シタダミが生まれて数ヶ月後にカガシラが暗殺され、戦が起きた。一時はホデリ族に逃れようとしたシノノメだったが、スセリ媛が死んでサクヤがさらわれたことを知り、あえてホオリ族の邑にいき、サクヤの乳母になったといういきさつがあった。だから、ベニヒカゲは、シノノメを「裏切り者」とののしったのだ。
シノノメの話を聞いて、サクヤは泣きだした。
「ありがとう、シノノメ。あなたはいつでもわたしを守ってくれた。シタダミも。わたし、ここにいても何か違う気がしてた。あのお母さまにはちっとも愛情がわかないし……」
「そうです。あなたは、気高いスセリ媛の娘ですもの。あんな邪悪なものとは違います」
「そうだったのか。やっぱり、サクヤは品があると思った」
シタダミは何度もうなずいた。
「サクヤさま。それからシタダミ。あなたがたふたりは勇者です。サクヤさまはサファイヤ、シタダミは瑠璃を、生まれたときに天から授かったのです」
「勇者?」
二人は声を揃えて言った。そしてそれぞれ自分の石を見た。石はまだ小さいが、サクヤはペンダント、シタダミはブレスレットにつけている。
「これが?」
「そんな意味があったのか」
「この国をふたたび統一させる力をもった者たちです。合わせて七人、サクヤさまのお兄さまもそうです」
「お兄さま? わたしにお兄さま? ではわたしはひとりぽっちじゃないのね」
「はい、お兄さまは、ルビーをお持ちのはずです」
「へえ、知らなかった。ぼくも勇者? かあっこいい!」