綿津見國奇譚
五、マツリカ（茉莉花）
「いったいどうしたことだ」
ムラクモは頭を捻った。クサナギとヒムカが、森の入り口で倒れていたのを子供たちが見つけて、家まで運んできたのだが、クサナギは一向に目を覚ます気配がない。
ヒムカはすぐに目が覚め、クサナギのかたわらで心配そうに見守っている。ヒムカは自分の身に起きたことをムラクモに話して聞かせたが、あとは気を失っていたので、クサナギの身に起った出来事を知らなかった。
クサナギは原因不明の高熱が続いていたが、呼吸は落ちついていて少しも苦しそうなようすはない。しかし、ホデリ族はもともと自分の気を調整しているので、まず、病にかかるどころか、熱の出ることなどあり得なかった。
「ごめんなさい。ぼくが勘違いして、わがままを言ったから」
「気にするな、ヒムカ。おまえのせいではない」
「でも……」
「悪いのはわたしたちだ。もっと早く本当のことを言っていれば、おまえをなやませることもなかった」
「クサナギ、ごめんなさい。いつも本当のお父さんか、お兄さんのようにしてくれたのに。ぼくは、勇者として恥ずかしくない人間になる。約束するよ。だから目を覚まして！」
ヒムカはクサナギにすがって泣いた。そのまわりを、クサナギに剣を習っている子供たちが取り巻いて、やはりすすり泣いていた。
そのとき、入り口が開いて一人の子供が入ってきた。ほかの子供のように動きやすい筒袖の上着と細いズボンではなく、大きな袖のゆったりした長衣に袖無しを羽織った方技官のような姿をしている。
ベールをすっぽりとかぶっているので顔は見えないが、服の刺繍が明るい花模様なのと、その物静かな歩き方から少女のように思われた。背の高さからすると十二、三才だろうか。しずしずとクサナギの寝台に近寄るようすを、子供たちは遠巻きに見ていた。
「マ、マツリカ殿…か？」
ムラクモは自信なさげに少女に尋ねた。すると少女は静かにうなずいた。イスルギの孫娘マツリカで、生まれつきの自分の姿を人前にさらすことをいやがり、修練所でも別室で暮らしている少女だった。
マツリカは、クサナギのかたわらに跪くと、そっと手をかざした。その時、ヒムカにはマツリカの顔がちらりと見えた。
「あ」
と、小さく叫んで、ヒムカはムラクモの方に駆け寄った。
透き通るような白い肌をした、幾分ふくよかな頬、筋の通った鼻、赤く形のよい唇。マツリカの顔は愛らしいが、そのひたいには醜いこぶがあった。
まわりにいる子供たちがかたずをのんで見守る中、マツリカが手をかざして数秒後、クサナギは、何事もなかったように起きあがった。そのとたんマツリカは、ばたりと床に倒れてしまったのだ。
クサナギがマツリカを抱き起こすと、マツリカの額は、大きな傷が開き血が流れていた。
「たいへんだ」
今度はクサナギが彼女の傷を治そうとしたが、見る間に傷口はふさがって、醜いこぶは跡形もなく消えていた。目を覚ましたマツリカは、クサナギを見てにっこりほほえんだ。思いも寄らないことに、クサナギは声もなくきょとんとするばかりだった。
その時、ヒムカは床に緑色の石が転がっているのを見つけた。拾い上げると、それは赤ん坊のこぶしほどもある、大きな翡翠だった。
「これ……」
と、ヒムカがその石をマツリカに差し出すと、マツリカは、にっこりほほえみながら言った。
「ありがとう」
「いや、こちらこそ礼をいわなければ、ありがとう。マツリカ殿」
と言うムラクモの言葉に、クサナギが尋ねた。
「お父さん、この方を知っているんですか」
「ああ、イスルギ殿の孫で、マツリカ殿とおっしゃるのだ」
「ちっとも知らなかった。あの、どうもありがとう」
あわててクサナギは、マツリカに礼を言うのだった。
「いいえ、わたしこそ。不思議な声が聞こえて……知らず知らずここへ来ていたのです」
マツリカを導いた声は、おそらくアカツキだろう。高熱で眠っていたが、クサナギには勇者がやってくることがわかっていた。
「あなたは勇者なのですね」
「はい、この翡翠が印です」
マツリカの手のひらで、翡翠は緑色に輝いている。
「いや、驚いた。マツリカ殿は人前に姿をみせないと、以前イスルギ殿がおっしゃっていたが……。わたしはもっと小さい頃に一度お会いしたことがありましたな」
「はい。おぼえております。ムラクモさま」
「ごめんなさい、マツリカさん。怖がったりして」
ヒムカは先ほど怖がったことを恥じ入った。
「いいの。わたしもこぶがきらいだったの。でも、こうして勇者の印が現れたのですから」
「じゃあ、あなたも？ ほら、ぼくのはルビー。ぼくたちは仲間なんですね」
と、ヒムカはペンダントを見せようとして驚いた。赤ん坊の手に握られたくらい小さかったはずのルビーが、マツリカの翡翠と同じくらいの大きさになっている。
「ぼくのルビー、こんなに大きくなってる」
「ヒムカ、きっとアカツキさまのおかげだ」
それからクサナギは、ムラクモやマツリカに、自分が森の奥の泉でアカツキの幻に出会い、光に包まれたことを話して聞かせた。
「そうだったのか。ではアカツキ殿の導きでこうして勇者が集められた……。それに、クサナギ、おまえはアカツキ殿に認められた賢者というわけだ」
「信じられません。わたしのような未熟な者が……」
「いや、これからしっかり精進せねばな」
「そうだよ。ぼくのこともちゃんとした勇者にしてね」
ヒムカが無邪気な瞳を向けた。真実を知ったヒムカに、もうクサナギに対する疑いはなかった。クサナギもヒムカも心の中にすがすがしい力があふれていた。それはアカツキから与えられたものに違いなかった。