GOLDEN BOY
「そっか……、そんなの聞いたら言いにくくなって来ちゃったけど、嘘吐くのが辛くなって来たから本当のこと言うと……、さっきの女の人、デリヘル嬢なんだよ、ごめん」
「え? マジっすか。いいじゃないっすか」
「キャンセルしようかとも思ったんだけどなんか面倒なことになると思って……、ごめんな。俺、今のうちに言っておくと龍成……が人に自慢出来るような大人じゃないから。反面教師にはなれると思うけど」
「そんなこと言ったら俺だってろくなもんじゃないっすよ。で、どうだったんすか」
「何が?」
「デリヘルに決まってんじゃないっすか」
予想に反して瞳を輝かせる少年に、僕は小声で言った。
「実は……、勃たなかった……」
「それ、ぜったい俺のせいっすね」
僕達は同時に吹き出した。水を注ぎにきたウェイトレスが、なぜかいっしょに微笑んで僕達の顔を交互に見た。
8
田舎の親が知ったらぶったまげるだろうな。
携帯電話に登録した龍成の番号とメールアドレスを見ながら、アイコの唾液でまだ湿ったままのベッドに寝転がる。
色んなことを聞いたけれど、まだまだ全然聞き足りない。彼は高校一年生。女の子には『まあまあ』もてる。スポーツも勉強も『まあまあ』。彼のまあまあがどのぐらいのレベルなのか、僕には分からない。オナニー中毒だった高校時代の僕と違って、彼はもうとっくに初体験を済ませているだろう。兄弟はいない。彼の母親、つまり僕の元恋人は、『まあ』元気。まさかあのアパートじゃないだろうけど、今も多摩市の同じ街に住んでいるらしい。
彼は僕と会ったことを、あの子に報告するのだろうか。映画は好きかな。音楽はどんなジャンルを聞くんだろう。僕のCDを貸したら、彼は気に入るだろうか。僕の洋服は、彼に似合うかな。色んなことを教えてあげたい。彼が僕みたいに失敗しないように。先輩風を吹かせ過ぎたらそのうちに嫌われて、うぜえよ、なんて毒づかれるだろうか。
早く寝ようと思ったけれど眠れそうもなくて、僕はベランダに出た。水商売帰りの女の子が、ちらほらとコンビニを出入りしている。手摺に凭れて通りを覗き込んでいても、不思議に自殺願望は湧いてこない。ヘンテコな一日だったけれど、心の毒が抜けた気がする。
目が覚めたらまだ朝の九時だった。サラリーマンの人が聞いたら石でも投げられそうだけど、毎日昼過ぎまで寝ていた昨日までと比べたら、すごい進化だ。僕は珍しくすぐに歯を磨き顔を洗って、布団を干した。ちゃんとした服に着替え、作品集のDVDをクッション封筒に入れ、仕事をしたことのあるプロデューサー全員に送った。逆効果かも知れないけれど、何もしないよりはましに思えてきたからだ。出来る準備をし、次の撮影を頑張ってやり遂げる。それまでは、僕からは龍成に連絡しないことに決めた。このまま何の成長もないまま彼に会うのは、恥ずかしい気がしたからだ。
柄にもなくジョギングを始め、読みかけて放ったらかしにしていた本を読み始めた。その内に週が替わり、中村さんからの電話が鳴った。
「よしっ」
始まる。
大袈裟じゃなく、これが最後の仕事になるかも知れない。目の前の仕事に、集中するのだ。
9
スケジュール表と企画コンテ、ゲームの概要をまとめたカラー書類がテーブルの上に並べられ、打ち合わせが始まった。商品は幼児向けの学習ゲームで、僕が想像していたものとは全く違っていた。まずそのゲームは、プレステや任天堂Wiiみたいにメジャーなハードに対応したソフトではなく、全く聞いたことのない幼児用ハードウェアの専用ソフトで、一本の中に三種類のゲームが入っている。専用のペンでひらがなをなぞる遊び、お手本を見ながらお絵描きする遊び、出題された動物の絵を探してタッチする遊び、の三つで、対象年齢は三歳から五歳だ。
このハードってどのくらい売れてるんですか? と言う僕の質問に、赤いシャツを着た広告代理店のプランナーは五ミリくらい伸ばしたあご髭を触りながら「ぜんぜん」と応えた。
「企画コンテから、いじれる幅ってどのぐらいあるんですかね……」
暗澹たる気持ちで見下ろした企画コンテは、まず一コマ目がひらがなゲームの画面、次のコマはカメラ目線で「書けたー」と笑う男の子、次のコマがお絵描きゲームの画面、次は「出来たー」と笑う女の子、当然次は動物探しゲームの画面で、一番台詞の長い男の子が「ぞうさん見つけたー」とカメラを指差す、で、最後に青空バックに商品パッケージのポジが乗ったカットにナレーションが入って、終わり。
「まあ、正直言ってあまりないですね。このクライアント、堅い所なんで」
親指と人差し指でさり気なく鼻の穴を弄りながら、鼻毛が出ていないかを気にしている別のプランナーが、半笑いで言った。
ひど過ぎる。こんなCM、誰が演出したって同じだ。周りを見回すと、代理店の営業、プランナー二人、プロデューサーの中村さん、お茶を運んできた制作部、全員が諦めたように微笑んでいる。スケジュール表に目を落として驚いた、併記されたスタッフリストには代理店のクリエイティブが五人も名を連ねている。電話が掛かって来ないはずだ。この不況下では、こんなクリエイティブの欠片もないような企画を一流大学出のエリートが五人掛かりでやっているのだ。
「分かりました、明後日の昼までには演出コンテ、送ります」
僕はそう言って、皆と似た笑いを返した。
人生は厳しい。
オーディションに来た子供達はみんな完璧な自己紹介をして、毎日鏡を見て練習しているような笑顔を作った。
「前歯のない子も当日は大丈夫なんで」
キャスティングの人が真顔でそう言った。赤坂にある歯医者で子供用の差し歯を入れるらしい。
普通なら、滅多にオーディションなんかに現れる事のない最高責任者、広告代理店のクリエイティブディレクターの要望で、最も無難な三人が選ばれた。
「他の子はクライアント的に厳しいかな。監督どうですか?」
その質問に僕はただ頷くしかなかった。
撮影当日、僕はまず三人のカメラ目線を撮った。現場に立ち会ったクライアントは、喜んでくれていたけれど、それは僕に取っては屈辱的で、自尊心を保てるぎりぎりの映像だった。僕は子供達が飽きないうちに次々とOKを出し、次に演出コンテの隅っこに小さく描いたエキストラカットを撮った。実際にゲームをプレイさせ、子供の横には本人のお母さんを座らせ、望遠レンズで子供の表情を狙った。フィルムを使う予算がないのは残念だったけれど、現像やテレシネの必要がないビデオテープは廉価で、長回しには好都合だった。「書けたっ……」「出来たっ……」「見つけたっ……」どうにか本物の顔を撮影出来た僕は、その夜、我慢出来ずに龍成に電話を掛けた。
10
「電話もらって嬉しかったっすよ。もうてっきりそっちからは放置だと思ってたんで」
新宿のタイ料理屋で向かい合うと、龍成はそう言って物珍しそうに店内を見回した。
「俺タイ料理なんて初めてっすよ」
これだけ新鮮に反応されると、つい顔がにやけてしまう。僕は彼とタイ料理を食べた初めての人間になったのだ。
「そっか。そう言えば俺も初めてタイ料理食ったのは会社入ってからだな。辛いの大丈夫なの?」
作品名:GOLDEN BOY 作家名:新宿鮭