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GOLDEN BOY

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「はい合ってます」と答えてメニューを閉じる。若いウェイトレスは僕ではなく少年に向かってにっこりと微笑み、自分の後ろ姿の見え方に全意識を集中したような歩き方で通路の奥に消えた。
「コーヒー一杯の注文、繰り返して確認するなんて異常っすよね」
 振り向くと彼は笑っていた。眉毛が下がる笑い方と歯並びの良さは母親似かも知れない。「だよね」と応えながら僕は少しだけリラックスしていた。彼にもまた、自然に人の警戒心を解く才能があるようだ。
「いきなり現れちゃったから、色々聞きたいことあると思いますけどたぶんびっくりして何から話していいか分かんないと思うから、俺の方から話していっすか?」
 手タレにもなれそうな完璧な指を組んで、少年が少し身を乗り出す。
 年長者として情けないけれど、彼のリードはありがたい。僕は全身を耳にして、彼の話に集中した。
「メンデルの法則って分かるっしょ」
「まあ、だいたい」
「俺んちでそう言うの分かるの俺だけなんすよ。O型でしょ?」
 頷くと彼は組んだ手を解いて親指の先を自分に向けた。
「俺もOなんすけど、母親Bで父親ABなんすよ。ありえないっしょ。あ、何て呼べばいいっすか?」
「どうしよう、山畑だからヤマさんとか龍太だからリュウさんとか、なんでもいいよ」
「じゃ、おじさんでいいすか。どっか行っちゃったけど一応戸籍上の父親がいるんで」
「いいよ」
 僕はほとんど無意識に水を飲む。僕の呼称はいま『おじさん』に決まった。
「で、中学でメンデルの法則習ったときにやっぱりなって思ったんですよ。俺、親父にちっとも似てなくて怪しいなってずっと思ってたから。親父はその頃とっくにいなくなちゃってたから母親に問い詰めたら、嘘吐いてるのがバレバレの顔で言うんすよ。お父さんABだっけ? たぶんOだよって。でも俺、子供んときに父親がいっとき土方やってた事があってそんときのドカヘルに思いっきりマジックでABって書いてあったの憶えてるんすよ。でもおじさんも分かるかもしんないけどあの人って何か妙に憎めないとこあるじゃないっすか。最後にはわたしが産んだんだから別にいいじゃんって。どっちにしたって家にいないんだからいっしょでしょって。それ聞いたら何かまあいっかって気になっちゃって」
「お待たせ致しました」ウェイトレスが僕の前にコーヒーを置き、少年の方を向いて尋ねる。「ご注文は以上でお揃いでしょうか」
「大丈夫です。で、そのままそんなこと気にしなくなって、少し前にあの人と一緒にテレビ観てたら何かワイドショーっぽいやつで何とかって言うタレントがジュースのCMに出るってどうでもいいニュースがやってて、その撮影の時のメイキング映像が流れて、で、もう分かると思いますけどそんなかで、えっと、おじさん、おじさんが出てて。あの人、おじさんがヨーイスタートって言った瞬間にいきなりテレビ指差してあーって叫んだんすよ。んでその後すぐ俺の顔見てしまったって顔して誤魔化すんですよ。この女の子可愛いね、人気あんの? 歌手? なんて白々しい感じで」
 少年の顔真似が、記憶の中の彼女と重なる。二十三歳のままの彼女が、少年の体を借りて話しているようだ。
 彼女は、今の僕を見たのだ。
「その後もう一回だけチラっとおじさんが画面に映ったんですけど、その瞬間こんな顔して息止めてましたから。そんなんで何も気付かないわけないでしょ。母親にとって俺に隠したい誰か、ってことはもしかしたらその人が、なんて気になってきちゃうじゃないですか。インターネットでジュースとタレントの名前を検索したらすぐにメイキング動画が見付かって、おじさんの顔を見て、直感的にこの人だな、と思いましたよ。そしたらなんかおじさんのことが頭から離れなくなって、ついジュースの会社に電話しちゃったんですよ、適当な大学の広告研究会にいるふりして。あのCM最高です。目標にしたいんでぜひ監督の名前教えて下さいって。簡単でしたよ、しばらくお待ち下さいって言われた後、おじさんの名前と広告代理店と制作会社の名前まで教えてくれて。で、ネットで制作会社のホームページ調べて電話してみたら監督の連絡先は教えられないけど今月号のCM業界専門誌の付録にディレクターファイルってのが付いててそれにだいたいの監督の連絡先のってるよって」
「いいかげんなやつだな」
「そう。で、本屋行って終わりっすよ。電話番号も載ってたからかけちゃおうかと思ったんですけど何か脅迫電話みたいになっちゃいそうだし、事務所の住所も書いてあったから直接行ってこっそり顔だけ見てみようと。で、行ってみたら普通のマンションで間違えたと思ったけど、何回見ても住所は合ってるから、ドアの前まで来てついチャイム押しちゃったんですよ。部屋を間違えたふりをすればいいやって。そしたらおじさんが出て来てびっくりした顔するから。似てますよね、俺ら」
 彼は僕の顔を見て愉快そうに笑った。
「知ってました? 俺のこと」
 僕は一口だけコーヒーを飲んで、彼の目を見た。
「知らなかった。でも……もしかしたらいるかも知れないな、とは……」
「すいません、いちゃいました」
 少年は戯けたように両手を開いた。自分勝手な解釈かも知れないけれど、その仕草は僕を許しているように見えた。
「……こっちこそごめん、って言うかすいません。俺のこと、恨んでたら殴ってもいいよ」
「何いってんすか、全然っすよ。逆に殴られて追っ払われるかと思ってたぐらいっすから」
 彼はまた眉を下げて笑い、その笑顔を見た僕は幸せを感じた。幸せ? この状況に幸せを感じている僕は異常だろうか。数時間前まで何も考えていなかった頭が、今は彼への好奇心で爆発しそうだ。息子としての実感はないけれど、会ったばかりの彼を本能的に愛している気がする。彼の半分は僕で、彼のもう半分は僕が学生時代に大好きだった女の子なのだ。
「おじさんは子供いないんすか? あ、俺以外にって意味っすけど」
「いないよ。結婚もしてないし彼女もいない」
「なんだ。可愛い妹とかいたらいいなってちょっとだけ期待してたんすけどね。ま、もしいても紹介してもらえないだろうとも思ってましたけど」
「残念ながらいないし」彼の言う通りだ。もし僕が結婚して家庭を持っていたら、彼へのこの好感は恐怖に変わっていたかもしれない。「予定すらないよ」
 急に自分がちっぽけで浅ましい男に思えて来た。申し訳ないけれど、僕は少年の好奇心を満足させられるような成功者ではない。どちらかと言えば、いや迷うまでもなくどう考えたって、僕は社会の負け組なのだ。
「そっすか。でもさっきの人彼女じゃないんですか? 打ち合わせの人」
「あれは……」鏡を見なくても耳まで赤くなっているのが分かった。「違うよ、ちょっと仕事の資料届けに……、ごめん、何て呼べばいい?」
「あ、そうか。まだ名乗ってなかったっすね。どうしよっかな……、まず俺の名前はリュウセイって言うんすよ。お袋が付けたらしいんすけどどっちに似ててもいいようにしたんじゃないですかね。いかれてますよね。リュウはおじさんと同じ龍でセイは戸籍上の父親の名前のヒデナリの成ってとこから取ってる。リュウだとかぶっちゃうから龍成って呼び捨てでいいっすよ」
作品名:GOLDEN BOY 作家名:新宿鮭