GOLDEN BOY
いやいや、まだまだ続きがあるんだよ。でね、仕事終わってヘロヘロになって夜中に帰ってきて寝てるとさ、ドンドンドンってノックがあんの。何だこんな夜中にと思って居留守で様子見てたら外で彼女が俺の名前呼んでるわけ。で、ドア開けたら入ってきて、やっぱ別れるのやめたって言うんだよ。参っちゃってさ。俺ずっとお前のこと大好きで今も実は未練あるけど流石に他の奴の子供育てるほど心広くないよって言ったわけ。うん。最終的には堕ろせとも言ったよ。堕ろしたらまたやり直せるって。ひどいかもだけどどっちもどっちでしょ? そしたら彼女さ、今まで二回も堕ろしたことあるから今度は産みたいって。で、俺と駆け落ちするっていうわけ。変でしょ? 俺も呆れちゃってさ、お前、駆け落ちって言うのは例えば俺とお前の身分が違ったり商売敵の子供どうしだったり家族に犯罪者がいたりして親に反対されたりしてる時にするもんでさ、誰が反対すんのって言ったわけ。田舎の潰れかけたブラジャー工場の息子だよ、俺。あれ、アイコちゃんに言ってなかったっけ? 別に隠してないっていうか、今じゃネタにしてるんだけどね。ブラジャーに大学まで出してもらたって。
でもそんな俺の話なんか聞きもしないで流しに走ってって、おえっおえっだよ。妊娠してるからさ。そんなのが何回か続いてさ。すごいでしょ。いま考えたらそこそこ修羅場だよね。そのうち俺も馬鹿なんだけど何か可哀想になってきちゃってさ。だって明らかに情緒不安定になっちゃってるからさ。いまだに自分でも信じられないんだけど最後にいいよって言ったわけ。月給十一万じゃどうにもなんないからせっかく入った会社辞めなきゃだけどまあいっかって。そんなに俺と付き合いたいなら付き合うし結婚もするから産んでいいよって。
すっきりしたよ。何か自分がいい人ぶってる気もしたけどさ。で、彼女泣いてさ。俺もちょっと泣いて。朝起きたら家にいないわけ。あれっと思ってまわり見たら机にしてるコタツの上に書き置きがあってさ。やっぱり悪いから別れます。ほんとに今までありがとう。仕事がんばってね。って言う手紙と下手糞な自分の似顔絵が書いてあるわけ。で、その似顔絵にくっついた吹き出しの中にバイバイって書いてあった。まだはっきり覚えてるよ。は? だよね。昨日泣いてたのは何だったんだって思いながら仕事に行ってさ。また徹夜してヘロヘロになって。そのうちまた来るだろうと思ったら全然来なくてさ。夜中の三時とかに家に帰って来た時に、もしかして夜中まで部屋の前で待ってたのに、僕が家に着く直前で諦めて帰ってたら可哀想だ。とか想像するようになってさ。電話すればいいんだけど状況も複雑だし気持ちの整理もつかないし自分からはかけられなくてさ。共通の知り合いにそれとなく聞いたら「結婚するって言ってたよ」って言うわけ。「俺と?」って聞き返したら笑われちゃってさ。
♪ちゃんちゃん、だよ。
そう、たぶんその浮気相手と。俺の知らない奴だって言ってたけどね。で、しょうがねえなあとか思いながら仕事に追われてカチンコ打ったりロケ弁頼んで多過ぎたり足んなかったりして怒られたりしてるうちにぽっと暇が出来てさ。何か我慢出来なくなって電話しちゃったんだよね。彼女の家に。あいつが一人で借りてたアパートだからさ、電話したって誰も出るはずないんだけど何かついかけちゃったんだよね。そしたら出るわけ。そう、彼女が。本人。出ると思ってなかったから、何で出るの? 結婚したんじゃなかったの? なんていきなり聞いちゃってさ。そしたら結婚したけどでかい部屋借りるの大変だから二人でアパートに住んでるって言うわけ。で、ちょこっとだけ仕事のこととかこっちの近況話してさ。切り際に産まれたの? って聞いたらもうすぐだって。俺、下の名前龍太って言うんだけど、最後に彼女が言った一言、いまだに耳の穴の奥に残ってるよ。「リュウちゃんに似てませんようにって毎日祈ってるよー」って。それが最後。え? 何で泣いてんの? 泣くとこあった? どっちに共感してんの?
ずっと浮気相手の子供だと思ってたからさ。衝撃的だったよ。俺にも可能性あるんだって、その時に初めて気付いた。
え? 中出しなんかしてないよ。でも若かったからさ、ちょっとぐらい漏らしちゃったりしてたのかも。っていうか完全にそうだったってことだよね、顔見たでしょ。本人も俺の子だって言ってたし、こんなこと誰にも話したことないからさ。実はさっき初めて会ったんだよ。急に訪ねて来てさ。だから勃たなかった。ごめんね。
ん? 似てなかった? そうかな。
なんでだろ。普通は似てないっていわれた方がほっとするんだろうけど、いまちょっとだけがっかりしちゃったよ。うけるね。
俺、その後誰とも結婚してなくて未だに独身で、もういい歳なのに今日も年齢サバ読んで若い女の子呼んじゃったりしてるダメ人間の快楽主義者だけどさ、最近になってたまに考えるようになったんだよ。ああ、あんとき結婚してたらどうなってたのかなーって。それはそれで、今より幸せだったのかもしれないなーなんて。あれ、携帯鳴ってない? そっか、もう時間か。俺も行かなきゃな。そう。デニーズで待ってる。どうしよう。やっぱ恨まれてるかな。
アイコと僕は風呂場に行き、シャワーを浴びた。僕の体を洗いながら、アイコは僕に長いキスをしてくれた。そのせいでやっと勃起した間の悪い僕の股間を、石鹸の付いたラインストーンの指が申し訳なさそうに撫でた。
7
店内は空いていて、僕はすぐに彼を見付けた。
彼は窓際の席に座って、ぼんやりと遠くを見ていた。その横顔は何も考えずにリラックスしているようであり、何か哲学的なことを真剣に考えているようにも見えた。近付くと彼は気付いて振り返り、片手を上げて微笑んだ。仕事柄芸能人を見慣れている僕の目にも、彼は特別な少年に見えた。
「ごめん、待たせちゃって」
「いっすよ気にしなくて。こっちこそいきなり勝手に来ちゃってすいません」
「ぜんぜん問題ないよ」
出来る限りの笑顔を返し、僕は彼の正面に座った。毒にも薬にもならないような音楽が薄く流れている店内は静かで、緊張する僕の心音が聞かれてはいないかと心配になった。
「いらっしゃいませデニーズへようこそ。ご注文がお決まりになりましたらお知らせください」
生まれかけた沈黙を押しやるようにして、ウェイトレスが都合よく水を運んできた。少年の前には半分以上残ったオレンジジュースがある。
「何か食べた?」
「いや、実はもう食べちゃってたんで」
メニューを開いて考えるふりをしながら、僕は先に彼から目を逸らした。
彼の目が僕を見ている。彼の耳が僕の話を聞こうとしている。なのに言葉が出てこない。知りたいことは山のようにある。でもどうだろう。結果的にこんなに大きくなるまで彼を放ったらかしにしてきた僕に、彼や彼の母親の十数年間を知る権利なんてあるだろうか。
良く撮れた料理の写真を見ても、何も食べたいと思わなかった。僕の視線はメニューを上滑りしながら、コーヒーを頼むまでの時間を稼いだ。
「ご注文繰り返させて頂きます。ホットコーヒー一つ。以上でよろしいでしょうか」
作品名:GOLDEN BOY 作家名:新宿鮭