小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

GOLDEN BOY

INDEX|12ページ/13ページ|

次のページ前のページ
 

「これやばそうっすね。俺もたまにパンフ買うんすよ。最高だと思った映画のやつだけっすけど。よく映画観る前にパンフ買う人いるじゃないっすか」
「そんなの阿呆だよな」
「でしょ。よかった。勢いで言いながら、もしおじさんが先にパンフ買う派だったらって内心ビビってたんすよ」
 表情豊かに大きく笑う龍成は、あの本に気付いただろうか。もしそうだとしたら、彼はいま、気付かなかったふりをしてくれているのだ。
「そっか」
「はは。で、今日何でここに来たかなんですけど」
「え?」
 ほんの一瞬だけ、まだ見たことのない龍成が現れて、その表情の意味を読み解けないうちに消えた。
「実は渡したいものがあって来たのに、なんと! 持って来るの忘れちゃいました」
「渡したいもの?」
「そんなびっくりした顔しないで下さいよ」龍成はそう言ってからからと笑った。まるで邪気のない彼の心の中を、透かして見せてくれているような笑顔で。「見てもなーんだって思うようなもんっすよ。たいしたもんじゃないっす」
「でも気になるな」
「次に会う時に持って来ます。期待しないでくださいよ」
「じゃあ今度。期待しないで楽しみに待ってるよ」
 急に、不自然な沈黙が訪れて、僕達の間に腰を下ろした。
 貼り付いたような僕の作り笑いを、真顔になった龍成の瞳が見ている。
「やっぱ」龍成は先に目を逸らして天井を見た。「今日渡したいな」
「え……」
「今度じゃない方が、いい気がして来たっす」
「ん、なんで?」
 龍成は僕の問いを宙に浮かせたまま、真剣とも冗談とも取れる言い回しで、僕を極限まで動揺させた。
「今からちょっと取りに行くんで、ついて来てもらっていいっすか?」


16

 僕達二人は、タクシーに乗って病院に向かっている。
 何故病院だと知っているかと言えば、タクシーに乗り込むと同時に龍成が運転手に行き先を告げたからだ。
 僕はもう、覚悟している。
 龍成との会話は、一言もない。タクシーのラジオから、鮮度の低いニュース。梅雨の近付きを感じさせる、湿度の高い車内。
 運転手が料金メーターをちらりと見た数秒後、タクシーは減速して、病院前のロータリーに滑り込んだ。北新宿の大学病院。東京の灯りを反射した群青色の空を、直線だけで造られた巨大な建物が切り取っている。気が付くと、龍成がポケットを探っている。
「あ、いいっすよ俺が誘ったんで」
 止める間もなく彼はプラスチックのトレーに金を入れ、さっさとドアを下りてしまう。僕は彼の後を追い、自動ドアの前でやっと追いつく。迷いなく通路を進む目の前の背中は細くしなやかで、美しく正しい反復運動を繰り返す。視界の中でフォーカスを固定された彼の背中の向こうから、ピンぼけのエレベーターホールが近付いて来る。
 僕達は、それに乗り込む。見えないワイヤーが、音もなく引かれ、オレンジ色の数字の変化だけが、二人がいま目的地に向かって動いている事を知らせている。
「おじさんまともだからもうわかっちゃったっすかね」
 慣性の法則で体が少し軽くなった時、龍成が言った。呪文のように聞こえたそれは、エレベーターのドアが開く頃やっと意味を成す会話文になって、僕の心を撫でた。僕はただ頷いて、また彼の背中を追う。
 ナースコールを素通りし、一度だけ角を曲がった通路の三番目。扉の横に掛かったプレートには、名字が変わった彼女の名前がある。
「どうぞ」
 龍成が英国紳士のようにドアを開け、僕に笑顔で黙礼する。
 みゆき。
「よかった、起きてる」龍成が背中越しに、僕にとも龍成自身にとも受け取れる声で言った。
 みゆきが両目を見開いて、僕を見ている。
 瞼の皮膚の薄い、二重の目。病で窶れたのか、ただ年を経たからか、昔よりも色白になったみゆきの肌に、ほんの少しだけ赤みが差した。すぐに逸らしたみゆきの視線が、ドア横に立って足を組んだままの龍成に動く。
「あんたっ、ばっ、ちょっ、何やってんの、こっち来なさい」
 僕の知らない、みゆきの声。掠れた声。
 手招きされた龍成はジーンズのポケットに両手を突っ込み、戯けた足取りでベッドに近付くと、四十五度に体を起こしたみゆきの顔を覗き込んだ。
「連れて来てやったよ」
「は? 余計なことすんなっ。この馬鹿息子っ」
「馬鹿息子はねえだろ」
「勝手なことして……、何考えてんのっ」
 みゆきの眼差しに、母親の柔らかさが満ちている。顔はあまり似ていないけれど、よく似た空気を纏っている。胸が詰まる。二人の歴史が、眩しくて、網膜に焼き付きそうなくらい、奇麗だ。
「ねえ、おじさん」
 置いてきぼりになっていた僕に、急に視線が集まった。
「ねえ、この人おじさんのこと好きなんすよ」
「あんたっ、馬鹿じゃないの」
 力のないみゆきの掌が、じゃれたように龍成の頬を叩いた。
「いてっ。なんだよ。恥ずかしがるなよ」
 細い首の上に乗ったみゆきの丸顔が、龍成と僕の間を躊躇うように行き来して、何回目かで僕に固定された。
 僕の足は導かれるように、少しずつみゆきに近付いていく。彼女の肌からは薬品の匂いがして、その香りが、彼女を少し透明にしているみたいだ。ねえ。ねえ、みゆき。
「何言っていいか分かんないや」
 僕の口から勝手に飛び出した言葉が、取り返せないまま、みゆきに届く。
「そっか……。ま、そりゃ、そうだろね」
 みゆきが十六年振りに、僕に笑った。
「つい間違えて、元気だった? って言いそうになっちゃったよ」
「はい? どう見たって元気なわけないじゃん」
 僕も十六年振りに、笑うみゆきを見て微笑んだ。
「何か大変そうだけど何かあったら何でもするから遠慮なく言えよ。あと謝ったらいいのか……、これも何て言っていいのか分かんないけど……。息子、格好いいじゃん。いい子だし」
「うわっ、何言ってんすかおじさん」龍成が顔を顰める。「照れるからよしてよ」
「そうだよ、調子に乗るから褒めちゃだめだよ。それよりもしかして龍ちゃん手ぶらで来たの? 花は? フルーツは? 見舞金は?」
「あ、ごめん、それ全部用意してたけど家に忘れて来ちゃった。それよりいま久々に名前呼ばれて思い出したけど、龍成の龍ってマジで俺の龍なの? そんで成を旦那から取ったって」
「そう……。どっちにも悪くないように」
「どっちにも悪いよ。しょうがねえなあ」
 僕は笑った。笑顔を作りながら、少し涙が出た。彼女を愛していた事を、全細胞が思い出した。
「何か文句ある? 何にも迷惑かけてないでしょ。全部知っててそれでも結婚したいって言う人としたんだから。すぐどっか行っちゃったけど。ほとんどわたしが一人で育てたんだからね」
「わかったよ。それより年取ったね」
「そっちこそ。そんなゆるいシャツ着て誤摩化してるけど、腹出てるのバレバレだよ」
「うるさいよ。これでも年の割にはましな方だぞ」
作品名:GOLDEN BOY 作家名:新宿鮭