こんにちは、エミィです
忍び寄る飴の気配 #3
「いやしかし、これは運命ではありませんか。ま、未逆さまのネックレスなど無くとも、このカンカッカカンカーンが充分にお世話して差し上げることが出来ましたが、未逆さまのネックレスがあるがゆえに助かったところもございまして」
「何を言ってるの、カンカン。未逆さまのネックレスが無ければ今のお住まいには巡り会えませんでしたし、未逆さまのネックレスが無ければあなた、満足に空を堪能出来なかったではありませんか」
「そうでございますが、ま、しかしやはりお嬢さまのお世話は未逆さまのネックレスなど無くとも――」
「あ、あの! その、未逆さまのネックレス未逆さまのネックレスって、やめて頂きたいんですけれど! 私なんかのネックレスがそんな価値があるわけないじゃありませんか。そうですよ、そうです、たまたまです、たまたまなんです! あなたたちと意思疎通出来ないと思ってやっただけなんですし!」
「いやしかし、ワタクシはお恥ずかしいッ。初対面のとき、未逆さまのお力にすぐに気付くことが出来なかったのですからな」
「だ、だから、その、未逆さまっていうの、やめませんか……! わ、わ、わ、わたしなんかがそんなふうに、呼ばれちゃいけないんです。だってニートなんですから。全然、偉くないんですからっ」
「あら、未逆さま、そんなこと――」
――パン!
突然の大きな音に、私は思わず口を噤んでしまいました。
反射で胸元を抑えます。どうやらカンカンも驚いた様子で、座り込んだ私の膝もとで、普段は鋭い目をきょとんと丸くしています。私の前に座る未逆さまも驚いた顔をして、けれどもある一点――私の背後に、視線を注いでいました。
「そろそろ落ち着こうか、みんな」
振り返るといっくんが、胸の前で手を合わせて、ソファ……に座っていました。
いけない、なんということでしょう。
私はすっくと立ち上がりました。
カンカンも気付いたのかしら、翼を広げ、近くの街路樹に潜り込むと一言、
「お恥ずかしいッ」
と嘆きました。
私ったら興奮のあまり、未逆さまと同じようにソファの影に座り込んでしまっていたのですわ。しかも大きな声で騒いでしまって……。
「取り乱してしまって、申し訳ありません」
「いやうん、ほら、人目もあるからさ」
服についた砂埃を簡単に払い、私は深く呼吸をして、いっとくんの隣に座りました。とても堅いソファですわね。ソファと言うよりも、四人掛けの椅子といった感じでしょうか。
未逆さまは、相変わらず地面に座ったまま、四人掛けの椅子のところに顔を出しています。
「二人はすでに顔見知りだったんだな」
「ええ。やっぱりこのネックレス、お揃いだったのですわ」
「未逆姉さんはすげえな……」
「占いを信じないいっくんを、ここまで虜にしてしまうのですものね」
「あ、あの、もう……なんなんですか、二人とも?」
未逆さまのたどたどしい声に、二人で揃って笑いました。
あらら、よく見ると、未逆さまって、あちらの世界で私が着ていたドレスと似たものを身につけているではありませんか。ちょっとコルセットのデザインがエキサイティング。砂で白んでいますが、モノトーンな色彩がとっても新鮮で、洗えばきっと美しいのでしょう。宮殿にお呼ばれしたときに着て行けば、注目されそうですわ。
「一登くん」
しばらく未逆さまは私の視線から逃れるようにしていたのですが、急にハッと顔を上げました。
「今日はリンゴ、持ってないんですか?」
「ん? ああ、今日は、自主休業」
いっくんが身体を未逆さまのほうへ向けます。
「リンゴ……、ください」
おずおずと、でもはっきりと、未逆さまはそう口にしました。
「え、今?」
「お願いします、リンゴをください。一つで構いません。あ、もちろん商品ということは充分に承知しています。そんなものを頂くなどとても心苦しいのですが、お願いします。リンゴをください。リンゴがないと、困るんです」
未逆さまは物陰から出て、まっすぐにいっくんを見つめています。
なんだか様子が変です。
私は胸騒ぎを覚えました。
いっくんもそうだったのでしょうか、口を真一文字に結び、頷くと、走って行ってしまいました。
畳まれた椅子を置いて行ったので呼びとめようとすると、
「いいんです」
未逆さまが、私を制しました。
「大丈夫です、一登くんは、また必ず来ます。それよりもあなた、大変です。今お住まいにしているところが大変です。早く戻らないと……」
今度は私をまっすぐに見つめて、未逆さまはそう言いました。
「ここはあなたが思っているほどきれいな世界じゃありません。お願いします、すぐに戻って下さい。間に合わなくなる。私はここにずっといます。ずっといますから、お願いします、お住まいにしているところに一度、戻って下さい。大変なことが起きてます。これは私には、どうすることも出来ません」
まっくろな大きな目が、二度、瞬きました。「――早く!」
「カンカン!」
私は従者の名を呼びました。
「先に行ってて」
「はい」
従者の気配が遠のくのを感じながら、私は首に下げたネックレスを外し、飾りを垂らして走り出しました。
作品名:こんにちは、エミィです 作家名:damo