こんにちは、エミィです
確かなもの #3
そうして連れて行って頂いた場所は、とても不思議な場所でした。男女で分かれますが、なんと、みんなでお風呂に入るのです。
「あなたとは、一緒に行けないのですか?」
違うところへ行こうとするので捕まえてそう訊ねると、目をぱちくりさせて、
「ちょっとは考えてっ」
と、背中を叩かれてしまいました。
どういうことでしょう?
何か、決まりがあるのでしょうか?
とりあえず後で広間で落ちあうことを約束し、一旦別れることになりました。
あの方が受け付けで、親切にも「この子、初めてだから」と言って下さったので、お店の方が色々と教えて下さいました。なんと、濡れた服の乾燥までする機械があるのです。元々鏡からこちらの文明には感心しておりましたが、こうして接してみて初めて分かることのほうが、沢山あります。
お風呂はとても心地良いものでした。
こちらに来て、満足にリラックス出来る場所がなかったことを、今更ながらに思い出します。ネットカフェにもシャワーはありましたが、こうしてバスタブに身を沈めることなど出来ませんでしたもの。
あの方……、そういえば、お名前すら伺っていなかった。
もし彼女が悪い方でも、お礼は述べなければなりませんわ。良い方だとは思うのですが、なるべく行動は疑って……。
私に出来るかしら?
人を疑うなど、あちらの世界でも当然でした。
でも占い師の方がいるから、どこかで平気な部分があった。どんな事態に陥ろうとも、未来は視えているのだから、大丈夫だろうと――。
でも、こちらでは未来が視えない。
自分の行動は、自分で責任を持たなければならないのですわ……。
考え事をしながらぼんやりとしていると、ある方が手を振っているのが見えました。
「エミィちゃんじゃないかい?」
「あのときの、おばあさま!」
「やっぱり、エミィちゃんだったんだねえ」
お湯の中で、おばあさまは私の腕にすがりついて来ました。
初めて広場で歌ったとき、歌い終わった私に、握手を求めて来られた方。あの後、いっとくんにお名前を伺ったはずんですけれど、恥ずかしいことに忘れてしまいました……。
「ここへはよく来るの?」
「いいえ、初めてです」
「そう。私はよく来るの。もう上がるのよ。また歌を聞かせてね」
「ええ、――」
是非、と発音したのですけれど、それは全く別の音となって私の口から発せられました。おばあさまは少しだけ首を傾げて、けれども笑顔でお湯から上がり、手を振って出て行ってしまいました。
私は一体どうしたのか分からず、自分の咽喉に手を当てます。
……コ……ン……ニ……チ……ハ……
ああ――なんてこと!
これは、私の世界の言葉ではありませんか。
(飴の効力が――)
私は慌ててお風呂から上がりました。
すると目眩がして、たまらず足を滑らせます。大きな音を立てて、転んでしまいました。
「――?」
近くにいた女の方が、声をかけて来たのですけれど、私にはその言葉が何と言っているのか分かりません。
どうすれば――
水を浴びて脱衣室に駆け込み、身体を拭いて服を着ます。
未逆さまのネックレスも忘れずに首から下げて、広間へと出ました。先ほどの背の高い女性が、どこかさっぱりとした様子で座っています。私の姿を見つけて、手を挙げました。
「――!」
分からない。
何と言っているのか――先ほどまではきちんと意味を成していた言葉だったのに、今ではただの雑音に聞こえるのです。
私は自分で自分の腕を抱き込みました。
――カンカン!
彼に会わなければ。
私の異変に気付いたのでしょう、女性が立ちあがって、やって来ました。お礼の言葉は、どう発音するのでしたっけ? 必死に思い出そうとするのですが、ただ疑問もなくするすると喋っていたものですから、まったく記憶に引っかかりません。
「ごめんなさい、言葉が分からなくなりました」
色々と話しかけて下さるのが辛くて、たまらず私はそう言いました。
すると彼女はきょとんとして、しばらく私の顔をまじまじと眺めていたのですが、出ようということなのでしょう、玄関ホールへと誘います。私はそれに従って、外に出ました。
今は何時なのでしょう?
こんなに早く、言葉を失うだなんて。
ネックレスを握り込みます。
けれども何も、応えてくれません。
この女性は、信じても良い人?
この道は、歩いても良い道?
疑い出すと、とんでもない不安が襲って来て、私は首を横に振りました。
確かなものが一つずつ、私の周りから消えていくようでした。
作品名:こんにちは、エミィです 作家名:damo