こんにちは、エミィです
確かなもの #2
「も〜お〜、キャサリンたら、こんなとこで何やってンのッ!」
突然の声に、殿方は弾かれたように身を起こしました。
同時に左肩が軽くなり、そのとき初めて、肩に手を置かれていたのだと自覚。まったく、気付かなかった。まだショックが抜け切れていないのかしら。情けない……。
「お兄さん、ごめんね。その子、わたしのツレなんだ。お邪魔だったかもだけど、また今度にしてくれない?」
不自然までに大きな声。
殿方の影になっていて見えませんけれど、声の主は、どうやら公園の入り口にいるようです。
私もすっかり驚いてしまって、でもそれが良いショックになったのかしら。私の身体は目覚めたように力を取り戻し始めました。
立ち上がって、殿方の脇をすり抜けます。
「あっ、てめ――」
殿方の声が背後でしました。
振り返ると腕が伸びてきて、私は反射的に持っていた傘を投げていました。
そのまま入り口のほうへ。
大きな傘を差した大きな影が、仁王立ちしています。
一瞬ひるみましたが、その方は誘うように私に手招きをして、広場の入り口から外へ出してくれたのです。
予想だにしなかったことなので、思わず立ち止まってしまいました。
すると、
「ボサっとしないで、走って!」
その方は私の腕に自分の腕を絡めて、走り出しました。
ぐいぐいと引っ張られるように、私は足がもつれそうになるのを必死に踏ん張って走ります。曲がり角を三つ過ぎたところで広い道路に出ました。
とても明るくて、賑やかなところです。
突然その方が立ち止まったので、私もその方に寄りかかるようにして立ち止まります。
たくましい腕……。
不意に、お父様のことを思い出してしまいました。
「はあ、はあ、はあ、……ああ――怖かったっ!」
近くの壁に手をついて、その方は今来た方向を振り返りました。
「もう大丈夫ね、ここまで来れば。あんたも大丈夫?」
絡めていた腕を外して、改めて私の前に立ちます。
さっきの方と同じくらいの背丈ですが、身体はほっそりとしていて、あまり圧迫感がありません。
そう思ってお顔をよくよく拝見して驚きました。
女の方だったのです!
やだわ、私ったら、勘違いしていたみたい。声も大変低いので、てっきり男性かと思っていました。
「あの、私はキャサリンではないんですけれど……」
まだ落ち着かない呼吸の中、切れ切れにそう言いました。
するとその方は、目を大きく見開いて、呆れたような表情になりました。
「もしかして、その気だったの?」
「その気って?」
「あの男に、ついてく気だったの?」
「え? ええ。雨宿りが出来ると聞いたので……」
そこまで言うと、また目を大きく見開いて、もっと呆れた表情になりました。
「お嬢さま? 箱入り娘? だめよ、夜中にあんなところを一人で歩いてたら。襲われてたって自覚もないなら尚更ね。いい出会いもあるけどね、私もこないだ、違う公園で、変なのに絡まれたんだから」
「あの殿方は、変なの、なんですか?」
「変なの、です。日本では、知らない人に付いてっちゃだめって教育してるの」
「親切な方に思えましたのに……」
その方は、ふう――、と長く息を吐き出しました。
傘をきちんと持って、私がきちんと中に入るくらいまで近寄って下さって、少しだけ声のトーンを落として続けました。
「そりゃ、あんた、油断させるためよ。付いてったら、酷いことされて、お嫁に行けなくなるんだから」
「お嫁に? 行けなくなる!?」
思わず口元を覆います。
「そうよ」
「それは、困りますわ……」
「やっぱりお嬢さまか」
「あの、ありがとうございます。助けて下さって」
私が真正面に立って頭を下げると、
「いいのよ、恩返しみたいなものね。あそこ、思い出の公園だし」
と、また、傘を差し出してくれました。
それでは彼女が濡れてしまいます。
私は慌てて、元のところに戻りました。
「でも、おかげで私までずぶ濡れだわ。この格好じゃ、飲みに行けないし。とりあえずうち来る? シャワー貸したげる」
「はい。でも……」
「どうしたの?」
「あなたは、変なの、ですか? 信じても大丈夫でしょうか?」
すると彼女は、ああ、と少しだけ笑いました。
「そうね、それくらいは疑わなきゃね。家はどこ?」
「ええと、ミィラミィ国の……」
「違う違う、日本の。どこに、宿泊してるの?」
訊ねられて、私は思わずうつむいてしまいました。
大松さんのことを思い出したのです。
もう、あのネットカフェには戻りたくありません。彼女は辞めたそうですから、いないのでしょうけれど、それでも戻りたくないのです。
「お金はある?」
心配して下さっているのでしょう、どこか安らかな声音で、その方は言いました。
「いいえ――」
缶は、ネットカフェに置いて来てしまいました。
お金は全てあそこに入れてありました。今朝、いっくんと話したばかりなのに――そう思って、はっと、気付きました。そういえば、缶から何枚か、紙幣を抜いていたではありませんか。
「あります」
内ポケットを探って取り出します。
すると、
「だめよ、出しちゃ。私が変なのだったら、盗んでるよ」
大きな手で隠すように包み込まれて、カーディガンの内側へ押しやられました。
「なるほど……」
「お金があるんなら、いいわ。銭湯に行こうよ」
「せんとう?」
「ああ、初めてか……」
頬に手を当てて、少し考える素振りを見せました。
「お風呂よ。大衆浴場。私は一緒に入れないけど、親切なおばちゃんが一人くらいいるから、大丈夫よ」
「遠いのでしょうか……?」
疑わなくては。
ネックレスを握り込むと、未逆さまの美しく黒い瞳とあの言葉が蘇ります。そして先ほど、親切には裏があると学んだばかり。ここで失敗するわけには参りませんわ。せめて、カンカンと再会するまでは。
その方はにっこりとほほ笑んで、すっと一点を指差しました。
「見えてるよ、あそこ」
作品名:こんにちは、エミィです 作家名:damo