PLASTIC FISH
B-side13.記憶の扉(1/5)
「……?」
暗い。
随分と眠っていた気がする。もう朝どころか昼が来ていてもおかしくないはずだ、何故こんなにも暗いのだろう。
それに、寒い。布団の柔らかさとは正反対の、ごつごつとした硬いむきだしのコンクリート。まどろみに落ちたまま、まだ京は半分夢を見ている。
家――では、ないのか。ここは。
「お目覚めかしら」
「え?」
暗がりより静かにささやかれた声は、母のものではない。そこに座っていたのは、黒く長い髪の――手を伸ばすと、自身の腕で鈴飾りが音を立てる。
「それともまだ夢の中?」
「いや……」
鈴の音一つで、現実で引き戻された。そうだ、自分はもう人間ではない、そして同時に吸血鬼でもない、あいまいな存在だ。
昨日一日を使って、きっちりと決別したつもりだったのに、自分の意思はなんと弱いものだろう。
「……」
とまどいを見せる京を、静かに真は見つめていた。自分の決断は間違ったものではないと信じている、京も自分の手をとってここまできてくれた。
だが、ただでさえ寿命が短く必然的に経験も浅くなる人間に、自分は完璧さを求めすぎているのではないか。
不安に思うが、それは決して表に出ることがない。それが自分と京の決定的な違いか、と心の中で悲しんだ。
今の京はもう、人間ではない。
言葉通りの意味だ。
彼女にこれまでとは比べ物にならない量の血を与え、その血が京の体を内側から作り変えていく。難しい芸当だが、うまくいっているようだ。
「(昔のあなたが……実際、行ったことですものね……)」
代償として差し出した血は、京から受け取ればいい。自分の血を与えるだけではそのグラスは溢れてしまう、だから注ぐ分に等しい元々入っていた分を受け入れ、自分の血としてしまえばいい。飢えた吸血鬼の体に入ってしまえば、それは抵抗すら許されない生贄も同然だ。
一晩で全てやってしまうには少々無理があり、なにより京の体がもつか心配だったが――完璧にとはいかなくとも、目を覚ました。大丈夫そうだ。
――これで、あなたはまた、あの時のような体になる。純血の吸血鬼よりかは短いけれど、人間よりかははるかに長く生きることができる。
真も、見かけこそ二十代半ばといった感じだが、それは外見で見た年齢に過ぎない。
とうに百年二百年は過ぎている。運がよければ、京より先に老衰で死ねるかもしれない。短くても同じ時を生きた人間に看取られるなんて、楽しみだと真は笑った。心の内にとどめておきたかったのだが、油断していたのか実際に声を漏らしていたらしい。京が不思議そうな顔をして、見ていた。
「どうしたの?」
「……別に。昔のことを、少し考えていただけ」
窓際にいる京と、壁が崩れていなければ気付かないだろう暗がりに隠れるようにして座っている真。二人の距離が、生々しい。
昼の吸血鬼は、あまりにも無力だった。
「あまり、自分のことを語ってくれないわよね。貴方って」
「語る必要がないだけよ。それに、そんな話をして未練がましい自分をさらけだすのが嫌なの」
露骨に今語られている話の流れを嫌がる真。吐き捨てるように言って、顔をそらす。
「桂」
「うん?」
「桂の事くらい、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの。全て話せとは言わない。けれど、貴方はしきりに私のことを桂と呼んでいたじゃない」
「それは……」
「誰? 昔のパートナー?」
意地悪に聞いて――京はここで、気付いた。そう昔のことではない、ほんの数日前にかわした捨てた世界での会話。
『水城はね……私がかつて愛した女だ』
樹にとって、水城がそうだとして、真にも似たような存在がいたのだろうか。いてもおかしくない。こんなに寂しそうな顔をして、いない方がおかしい。
それが、自分であれば。
孤独に溺れ、苦しみ、そんな過去の真に救いの手を差し伸べられたならば、どんなによかったか。
「桂……」
確認するように一人つぶやくその声は、痛いほどに未練と別れの辛さが鮮やかに残留している。
「……別に、無理にとは言わない」
「いえ……話すわ、桂のこと。私が知っている、桂という人間……の姿をした、吸血鬼のこと」
そっと、真が顔を上げる。
そして語りだした。いつかの思い出をたぐるように、ゆっくりと。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴