PLASTIC FISH
B-side12.さよならとうたって(3/3)
この醜くも美しい世界へ、今この時、二度と戻らない瞬間に――さよならを告げた。
「……京」
小動物のように弱弱しくなった京。こんなにも小柄な人間だっただろうか。真の声も、つられて凛とした強さをなくしていた。
自分がこんな残酷な世界へと招きいれたのだ。全ては自分の責任だ、全ては自分の罪だ。
だが、彼女はそんな世界を選んでくれた。ここで立ち止まるわけにはいかない、受け入れるより他に道はない。
「真」
「京、そんなに悲しまないで……なんてことは言わないわ。悲しむといい、泣きたければ枯れるまで泣きなさい、時間は待ってくれる」
「……」
「皮肉なものよ。悠久を生きる者は、悲しむことも多い。辛いことなんて絶えやしない。みんなみんな、先に逝ってしまうしね」
「……同族は、いなかったの?」
「いたけど、いなかった。私が心を許し愛した人達は、皆私よりずっと先に死んでいった。生まれ変わるために必要な時間さえ、経っても自分は生きている」
「真……ずっと、一人で耐えてきたのね」
「だって、そんな悲しみを癒す時間だけは……いくらでもあったもの。想いは薄れずとも、時代はまばたきする間に変わっていくから」
さあ、行きましょうかと真が言葉を繋いだ。
こんな話をしているというのに、語る本人である真は涙一つ流していない。流す涙さえ枯れてしまったのだと察した時、京の胸が痛んだ。
「行くって……どこへ?」
「私の領域。ごめんね、汚くて暗い廃墟だけど……我慢してくれると、うれしい」
そこは、都市部からは少し離れた山の中にあった。きっと現役だった頃は、自然の中にある見晴らしのいいホテルとして名をはせていたであろう、廃墟。
閉ざされた厚いコンクリートの壁には、汚いらくがきが敷き詰められている。
「ここ……人が来るんじゃないの?」
「数ヶ月前までは、ね。今は私が力で人が近寄らないようにしてるから、よっぽど強い想いをもっていない限り入れない」
言うからには本当なのだろう。
足を踏み入れると、そこは説明通り廃墟だった。汚れているが、すみに追いやられたソファや内装にはなつかしさを感じさせる。
京が本当に小さかった頃、こんな雰囲気のホテルやデザインが流行っていたのだ。
「……」
空いた場所に鞄を置くと、一気に疲れが深層より浮上してくる。ふう、と息を吐いて鞄にもたれかかり、今更ながら京は気付いた。
「真、私……誓いの指輪が壊れちゃったせいか知らないのだけれど、夜目が最近きかなくて……今もあまり見えない」
「ああ、そういえば私の血を少しあげたっきりだったものね。……さて、何を使おうかしら」
「何って?」
「誓約にはね、装身具が必要なの。指輪みたいな……ああ、これでいい」
――しゃん。
持ち主の腕を離れた余計な装飾のない鈴飾りが、名残惜しそうに音を立てた。
真はしゃがみこんだままの京に近づくと、そっと手をとり手首に鈴飾りの輪になった紐部分を通す。しゃらん、と鈴が新たな持ち主へと語りかけた。
「あげるわ」
「でも……」
「いいの。もう、私には必要のないものだもの。さあ、もう一度はじめましょうか。誓約を。もう、二度と離れないように」
そっと抱きしめられ、京はその優しさに全てを預けた。真の体温は高いとはいえないが、そんなことは関係ない。こうやって密着していることに意味がある。
「……これが指輪だったら、結婚式みたいね。なんだか、おかしくなってきちゃう。笑ってもいい?」
「お好きにどうぞ。なんなら、今ここで……結婚、してもいいのよ?」
「……でも、二人にしかわからないわ。二人にしか通じない関係」
真が、抱きしめる力を一層強める。
「いいのよ、それでいい。血を受けても、あなたは完全な吸血鬼にはなれないけれど――飽きるくらい長い時間がある。私たちには」
――だから、心配いらない。
世界に二人だけでもいい。ここが世界の果てだとすれば、それでいい。さしこむ弱々しい月の光を受け、二人の影が重なった。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴