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PLASTIC FISH

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B-side12.さよならとうたって(1/3)



夢を見ている。
目を開けたまま、醜くも美しく彩られた世界を見ている。
別れの鐘が鳴るまで、京はこの世界という揺籃に抱かれていることを許された。

「ただいま」
時刻は朝の七時を過ぎている。両親も起きているだろう、鍵穴に鍵を通しいつもの調子で彼女は家に戻った。
数時間前、念のためにと受けた真の血がいい麻酔になっているらしく、痛みはほとんど感じない。
玄関のしまる音を聞いて、台所から母がぱたぱたと駆けてくる。急ぐことは、ないのに。どうせこれが最後になるのだから。
「おかえり、京。連絡してくれればよかったのに。二晩も帰ってこなかったから、心配したのよ」
「ごめんなさい。ちょっと、人に付き合わされてね」
「疲れてるわよね? ご飯食べる? それとも先にお風呂に、」
「いい。ちょっと……部屋ですることがあるから、後でまた降りてくる」
「あ……」
何か言いたそうな、いや、言いたいことは背を向けた京その人にも痛いほどに伝わってきていた。
だが、ここで話を続けてしまえば家が惜しくなる。二十年以上自分を育てて、愛してくれた両親。もう片手で数える程度にしか顔をあわさないだろうし、家を出たその後は真が記憶を消してくれる手はずになっている。
高階家に、娘はいなかったことになる。
幸い親戚との付き合いも特別なかった家庭だ、致命的な不都合は起きないだろう。学校に在籍していたという確かな事実が気になるが、堂々めぐりになってそのうち忘れ去られる。
自室の扉を開けて、ああ、なんと飾り気のない部屋だと京はつい笑いだしそうになってしまった。
できることなら、この部屋に一度真を招いてみたかった――そう思ったところで、気づく。
「ああ、もう来てたな……あの人は」
ほんの数日前のことだというのに、ずいぶんと昔のことのように感じる。
一息ついて、持っていくものはあるだろうかと部屋を見渡した。あまり大きな荷物を抱えては、両親に捕まった時が厄介だ。
服なんて、数着あれば十分だ。読み終わってない本も、もう必要ない。
「……なんだ、何もないじゃない……」
親の顔を見るために帰ってきたようなものだ、京は自嘲しながらも心から『間抜けだ』と笑った。
別れが惜しくても。
家が恋しくなっても。
どんなに辛いことがあっても。
――癒す時間は、いくらでもあるのだから。
「そうよね、真……」
窓の外を見る。
青い空と、小鳥のさえずりが昼の世界を奏でていた。

「母さん」
時計が午後を指した頃だろうか、京は部屋を出るなり玄関で靴をはきはじめた。気配に気付いたのか寄ってきた母を、京はまっすぐに見つめる。
「京、また出かけるの? お仕事?」
「ううん、ちょっと散歩。見晴らしのいい公園を見つけたの、今度一緒に行きましょうよ」
「あら、私はいいけどお父さんはついてきてくれるかしら?」
「ついてきてくれるわよ」
――だって、もうそんな夢は叶わないもの。
靴をはき終わり、黒いケープ付コートに赤いマフラーを巻いて、京は母に微笑んだ。
「なに、京? 随分と嬉しそう。公園は遠いの?」
「ふふ、すぐそこよ」
「ふうん。京、今日ははやく帰ってきてね。たまには三人で、ゆっくり晩ご飯が食べたいわ。ね、お願い」
「ええ」
短い返事に、どれだけの重みがかかっていたのか。それは、京本人以外に知ることができる者はいない。
「いってきます」

――外を駆ける冬の風に、この涙も乾いてしまえばいい。
京は、涙ににじむ中で、今まで暮らしてきた家の輪郭を思い出と照らし合わせてそっとなぞっていた。


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴