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PLASTIC FISH

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B-side11.運命の人(1/3)



しめっぽい未練の走馬灯を蹴り出して、一番に浮かんだのは長い黒髪に赤い瞳が美しい――真の姿だった。
そうだ、指輪がなくたって、誓いのしるしがなくたって、自分と真はどこかでつながっている。
それがどんな形でもいい。
「真ッ! 私はここにいる、だから……真ッ!!」
限界まで声を張り上げて、京は呼んだ。自らの命を救い、『桂』と呼んで、それでも自分を必要としてくれたあの人を。真のことを。

――しゃん。
「……鈴?」
倒れている京のそばに立っていたクロエが、異変に気付いて辺りを見渡す。
いつのまに近づいていたのか、ゆるやかな坂の上に、この場にいる全ての存在が視覚で確認できるその道の真ん中に、鈴の主は立っていた。
――しゃん。
月が、鈴を抱いた主の顔を照らし出す。無表情な真の姿を完全にあらわにしたその時にはもう、異変ははじまっていた。
凍っている。
空気が、大地が、空が、月までもが、全てが凍りつかんばかりに青く冷え切っている。
温度の問題ではない。夜は、クロエではなく真を選んだのだ。
選ばれたそれがゆっくりと、一歩一歩歩みを進める。そのたびに空気が震え、影よりいでたその姿は、鬼の名にふさわしいものだった。

「お前」

短く、言う。
低い声だった。京も、真がここまで低い声を発したことを今ここではじめて聞いた。無慈悲な夜の主が、クロエの首を掴み思い切り締め上げる。
プレッシャーに押されていたのか、構えていたとはいえその行動を予想できなかったのか、クロエは何も抵抗する権利がないほどにされるがまま苦しむ。
足は地についていない。
少女の細い首は、かけられているあまりに強い力に折れてしまいそうだった。人間であれば、おそらくは。
「……っ!」
「お前、と言ったのよ。聞こえなかったのかしら」
京はこの時理解した。真は、心の底から怒っている。それが自分のためを想ってのことなのか――少し場違いな期待をしたが、取り消さなかった。
そうであれば、嬉しい。ただそれだけのことだ。そうでなくてもいい、一緒にいられるのならばなんだってかまわない。
「ぐ、あうっ……!!」
「一つ、まずはそこにいる男の暗示を解きなさい。そしてこの場からできるだけ遠くへやって、早く……早く!」
肉が、きしみねじられる嫌な音。
クロエは歪んだ表情をそのままに、男のほうへと向き、両の目を一瞬だけ赤みを帯びたものにした。
男はしばらく固まっていたが、暗示とやらが解けたらしく、ことりとその場に銃を置いて公園の外へふらふらと歩いていく。
姿が見えなくなると同時に、真は空いている方の手でクロエの腹部を思いきり殴り、首から手を放しその間にも一発頬に殴打を加える。
骨が複雑に折れるような、聞いていて気持ちのいいものではない音。それでもなおクロエは、立てないにしてもまだ意識をもっている。
吸血鬼は痛覚が鈍いといつか真が言っていたが、それでも少女の苦しみようは半端なものではない。
「私の所有物に触れたわね。傷つけたわね。あわよくば、汚そうとしたわね。……この代償、高くつくわよ」
「う……うるさい! そもそもあの夜にお前が現れなければ、私だって……」
「ふうん」
鼻で笑い、唇の端を意地悪に吊り上げてみせる真。
「気持ち悪い目で見るな」
「小娘。国に帰りたいなら、そうね。空から帰りたいのなら、その切れ目なき大地に住まう全ての人間を暗示に落とす覚悟でいきなさい」
「……」
「タダで渡ろうなんて、お前がのうのうとここで生きていることくらい甘いわ。あの時私に消されかけて受けた傷も、治っていないくせに噛み付いてきて」

二人は一体何のことを話しているのだろうと思い、理解するために京はただただ黙ってやりとりを聞いていた。
クロエは真にこの国を出ることを妨害され、子どもらしくもその仕返しのためにここに来た? となると、巻き込まれてボロボロになった自分がばかみたいだ。

「……京は私のものよ。余計なことを吹き込む必要なんてない」
「……」
「ねえ、そうでしょう? 京。お前は私のもの、ずっと私が好きにしていい。そうよね?」
ずっとクロエと向き合っていた真だが、京の存在を忘れていたわけではないらしい。ふっと彼女のいる方向を見つめて、子どものように微笑んだ。
勝手な言い分だが、その支配欲が今の京には嬉しい。こくり、とうなずくと真はいっそう愉しげな顔をした。
「では、今私とこの小娘が話していたことは忘れなさい、いいわね。貴方と出会う数年前……今となってはどうでもいい、ことよ」
再びうなずく。
「いい子」
「くそっ、真、お前だけは――ッ!!」
「うるさいわね、外野。退場する気がないのなら、でしゃばらないで」

交通事故の瞬間を見たような、そんな気分というべきなのだろうか。言い表せないような、それでも鼓膜を傷つけるような大きな音がして――
見つめていた京には、それが何でどうあるべくして発された音なのかわかってしまった。
単純だ。真が人ならぬ力でクロエを殴った――それだけのことだ。受け身をとれなかったとはいえ、人の形をしたものはあれほど吹き飛ぶものだろうか。
地に落下し転がることすら許されない。軽い体は人形のように京の視線の上を過ぎ、よくあるフェンスへと勢いよく衝突する。
フェンスはその衝撃を耐え切れず、へこみ、そして外れた。数十メートル下に落ちたフェンスが、がしゃんと大きな音をたてる。
少女が落ちて潰れた音は聞こえなかったが、さすがにこの音は住宅街の方まで響くのではないのだろうか。
不安そうに主を見やった京に対して、何事もなかったかのように笑む真。
「心配いらないわ」


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴