PLASTIC FISH
A-side13.うそつき(5/5)
「すみません」
号泣の跡も見せないままに、樹は短く言った。低く、感情の伝わってこない機械のような声だった。
「イヴは壊れました。そして、紀水城という人間は死にました。死ぬという選択を、自ら今ここで選びました」
言葉が、詰まることも間違うこともなく淡々と紡がれる。割れたガラスの破片に囲まれて、樹はかつて愛した水城という女の亡骸を抱きながら。
「死をも覚悟の上です。ご判断を、私の処罰をお任せします」
「樹……」
十数人の人の壁のその中心をのぞきこむようにして、蛍原誠は複雑な思いを乗せて名をつぶやいた。
何が起こったのかはわからない。
樹がどうなるのかもわからない。
だが、決してなごやかな雰囲気と景色ではない――息が詰まる思いだった。
「富岡」
「はい」
「手を見せてみなさい。両手を」
「いくらでも」
差し出した両手は、ガラスの破片により深くはないが痛々しいものであった。男が軽く一瞥し、白衣の下を確認するようにそっと触れる。
「事故だな」
「え?」
「特殊な道具を使わない限り、殴ったくらいではこのガラスは傷一つつかない。何故割れたのかはわからないが、これは事故だよ。君に責任はない」
そんな、いい加減な。
だが、事実ではあった。ガラスはまるで内部から壊したように外側に散り、範囲はまんべんなく平等に――破片の大きさにも、さほど差がない。
誰がどう見ても、異様だった。
「しかし、私が騒いだ事が発端になり結果イヴは壊れました。使い物には、ならないでしょう」
「そう言うな、かつての友人だろうに。……弔うが、希望はあるかな?」
「……」
樹は考え込み、うつむいた。
誰もが沈黙し、発言どころか咳すら許されないような、そんな緊張に満ちた一室。
「墓は簡易的なものしか用意できないし、外には出せない。それは承知してもらおう」
「……い」
「うん?」
「お任せします。私は、葬儀に参列できるほどみせられる顔がありません……欠席、させてください」
「それはちょっと利己な考えが過ぎる」
「え……」
「最後まで見届けるのが、君の勤めであり、罰だ」
言われて、樹は自分がこんな状況にも関わらず逃げようとしていることに気付いた。辛いことから目をそらし、子どものようにわがままを言っている。
そうだ。
自分は、過去を清算するべくここに赴いたのではなかったか。
「……わかりました。感謝します」
「いかんな、母性だのなんだの言ってイヴだけは人間をベースにしていたが、だめだ。器はまがいものの方が、いいのかもしれないな」
「……」
日が落ちようとしている。結局数週間の謹慎をくらい、イエローカードを下され、プロジェクトに関しての立場は大きく落とされた。
だが、甘すぎるくらいだ。異論をとなえる者は、災いの芽として摘まれていてもなんらおかしくない。そちらのほうが、あの場では日常だ。
八年ぶりに聞いた、耳からではなく頭に直接入り込んできた水城のあの声が、鮮やかに蘇る。
いつか、薄れてしまうのだろうか。
いつか、忘れてしまうのだろうか。
消えてしまう。
「忘れられる。だから、生きていけるのか……人間は……」
昨日の朝に見た京も自分と似た目をしていた。さして気にしていなかったが、今ならば思い出せる。今ならわかる。
京もきっと、何かを忘却に落としたのだ。
大切な、大切な、何かを。
「水城」
――さよなら。
まぶたの裏の面影を、樹は振り払った。帰るとしよう。待っている人が、いるのだから。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴