PLASTIC FISH
A-side13.うそつき(4/5)
「……水城」
手にしていた紙束が、ばさりと落ちた。
視線をやった先には、先ほどと変わらず沈黙したままの水城の姿。
君は、生きているのか。
私を、ずっとそうやって見てきていたのか。
知っていたのか。私がどんな思いで――君を目覚めさせるそれだけのために、どれだけの業を重ねて、どれだけの時間を費やしてきたか。
涙が一つ、落ちた。
それを追うように二つ目。その後はもう、止まらなかった。大粒の涙が樹の頬を濡らし想いを記憶の底より引き出していく。
ただのデータに過ぎない。捏造されたものかもしれない。自分は騙されているのかもしれない。
だが、そんな樹の疑いを、真実という絶対的な光が覆い払った。目の前のイヴが、水城が、そっとまぶたを上げ瞳を見せたのだ。
夢を見ているのか、と樹は錯覚した。
だが、自分よりもずっと周りが驚きざわめき混乱しているさまが聞いてとれる。
ということは、これは――
特殊ガラスごしに、樹と水城の手が触れた。遠くて近い、決して届くことのない距離。越えてはいけない距離。
「水城……君は、ずっと……」
――樹ちゃん。
「私は何も知らずに、ただ自分が悲しいがゆえに泣いて……君のためを想ってじゃなかった、あの涙は……ここで流した涙はずっと」
――いいの。
「何がいいって言うんだよ!!」
「おい、富岡は何を叫んでるんだ……?」
「おかしくなっちまったんだろ、知らないよそんなこと……」
――樹ちゃん。もう、いいの。私の面影を追いかけなくていい。そうでなくても、あなたは生きていけるもの。
「何のために君をこんな生き地獄に引きずり込んだのか、知ってて言ってるのか? 意識の途切れない八年が、どれだけ長いか」
――正直言うと、ちょっとね。でも、樹ちゃんはいつも会いにきてくれたじゃない。私に話をしてくれたじゃない。
「水城」
――帰りを待ってくれている人が、できたんでしょう。あなたを本当に必要としてくれる人が、現れたんでしょう?
「恨まないのか……私を責めないのか、水城……そんな、あの時みたいに無理に強がって笑う必要ないんだ。頼む、私を恨んでくれよッ!! こんなに君という存在を傷つけた私を、罵ってくれよ……!!」
――過ぎたことは、戻らないわ。いろいろと考えても、それはすぐに過去のことになる。だから、もういいの。
「優しすぎる君は、残酷だ……」
――うそつき。
「え?」
――死ぬまで私を守ってくれるって、好きでいてくれるって言ったのに。私はこうして生きているのに、あなたは他の人と心を通わせた。だから、うそつき。
「……」
――でももう、うそつきじゃなくなる。あなたが私を覚えていてくれるのなら、私は記憶の中でずっと生きていられる。さよなら、樹ちゃん。
声を、あげたのかもしれない。
涙も止まらず、声も震え、ぐしゃぐしゃになった樹という人間は、声の限りにその名を呼んだのかもしれない。
だが、その声は響き渡る音に簡単にかき消された。
衝撃。
肌を切り刺さっていくガラスの破片が作る、痛み。流れてゆく血。生きているあかし。
なつかしい重みが、樹に乗り――そのまま、後ろへ樹は倒れた。服が濡れ、ひどく重い。冷たいそれは、気持ちよくもなんともない。
「……水城、すまない……水城……」
抱くのは、人形。
先ほどまで人間だった、もう動かない、葬られるだけの人の形をしたかつてのイヴ。
ダークブロンドの長い髪が、ひどくなつかしい感触のままでそこにあった。涙で濡れるたびに見た、伏せられた美しい睫毛。
今感じているこの柔らかさも、死後の硬直により冷たく硬いものになっていくのだとそう思った時――樹は、激しい嗚咽に沈んだ。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴