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PLASTIC FISH

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A-side13.うそつき(3/5)



――はは。
手だけじゃない。体中がこんなに震えているのは、人を刺したあの日以来だ。

逃げ出したい、と樹は思った。目の前の現実を、積み上げてきた思い出を捨てて、どこか遠くへ逃げたい。
反対されたとしても、京は連れて行きたい。好きな人をさらってとんずらなんて、ちょっとロマンチックだ。
過去を捨てて、それでもなおカルマを重く抱いて生きていくなんて、映画に出てくる暗殺者みたいだと思う。生きる亡霊か、それもいい。


「イヴを、他の誰かとチェンジできないかだって? 本気で言ってるのか? お前じゃないか、このオリジナルをイヴにしたがったのは」
「仰る通りです」
「イヴのオリジナル、紀水城という人間を再びこの世に呼び戻したい。生き返らせたいと言ったのもお前だぞ。それを今更……」
「わかってしまったんですよ」
「ああ?」
首を少しかしげてみせて、困ったように樹は笑った。その笑みに秘められている真実、未来、皮肉、色んなものが汚く入り混じっている。
もう戻れない。進めばあの子が待っている、だから止まれない――樹は、自分の命を投げる覚悟で言葉を繋いだ。
「起動して、水城は自我を取り戻す。……ダメなんですよ、そんなことしたら。あの時のように、水城はまた壊れてしまう」
「それは……」
「だって、壊れた水城に処置はしていない。眠らせただけじゃないですか。ですよね、脳をいじるのには多くのリスクがともなうのだから」
もう、世紀末より数十年、いや、百年といってもいい。それだけの時間が経過しているというのに、人間の脳にはまだ謎が多く残ったままだ。
どこまで探っても、どう潜っても、見えない真実。パズルのはまらない、千年間。
「ならば、脳を廃棄してしまえばいい」
言ったのは、二人のやりとりをそばで聞いていた同僚の女だった。狐のような目が、突き刺さるような攻撃的な色を帯びる。
「脳だけじゃない。体もほとんどいじっていない現状だ、この数年はホルマリン漬けにも近いこの状態でいつまで生身を保てるかを試したようなもの」
「富岡、わかっているのか? 入れ替えるとして、今まで記録してたデータは全ておじゃんだ。まあ、それをカバーできるというならまだ遅くはないが」
「してみましょう、何年かかろうとも」
言い切る樹に、噛み付きたらないのか狐目の女が毒を吐く。
「戯言を……あなたが水城に匹敵する代わりを用意してくれるとでも? いいのよ、あなたが今このイヴと入れ替わったって」
「それが一番早いんですけどね。でも、ダメなんだ。私が家に帰らないと、怒る人がいるから」
「まるで子どもね。では、どうするつもり?」
「一週間。いえ、三日ください。新たなイヴを用意しますよ……水城は、それと引き換えに私へ下さい。いえ、弔っていただきたい。私にはその資格ももうないので……お手数かけます、すみませんね」
ざわざわと、周囲が動揺している。
危険因子だと判断されれば、樹の命はいつ断たれてもおかしくない。空気に残留し続ける殺気のかけらが、樹の頬を気味悪くなでた。
死ねない。
こんな段階では、死ねない。
「これに属している一部の人間に、私の意思を伝えてあります。八つ裂きにされてもかまいませんが、その時は裏で繋がっている無数の糸が一気に切れ、白日の下に晒されますよ」
樹は、この中では上から数えたほうが早いほどの位だ。上には上がいるが、口封じをするには少々相手が悪い。
発した脅しも、子どもだましでしかなかった。こんな夢語りにも似た愚かな計画が通るほどガードは甘くない。それこそ、上を全員掌握していないと無理だ。
さすがに周囲も理解しているらしく、何を言うかと黒く染まった笑いが響いている。
「子どものふりをしても駄目ですか。……では、失礼いたします」
背後に眠るイヴ。その間にある分厚い特殊ガラスを、樹は叩き割る勢いで拳を上げた。
どうにでもなってしまえ。
「待ちなさい」
「このガラスを破った日には、手が使い物にならなくなることくらい心得てますよ」
「違う、そうじゃない。君は紀水城という人間を、イヴとして『捧げた』わけじゃない。生かしてくれと、殺さないでくれと懇願しただけだ」
動じることもなく喋る声、そして姿には見覚えがあった。

『……水城は、この女の子は、生かして欲しい。人形のように、大切に』
『受け入れよう。だが、君にも私達と同じ業を背負ってもらうよ』

――あの時の男だ。まれにしか顔を見せないこの人間が、何故今ここに。誰かが連絡したという可能性が高いが、確定できるものがない。
「代わりもいらん、好きにしろ」
「……え?」
「見るといい」
渡された紙の束をすっと渡され、流されるがままに樹はそれに目を落とす。
「これは……」
そして、驚愕した。
「脳波に生命の反応が現れなくなったからといって、人間の意識は消えてなくなってはいない」
樹の思惑とは違う、見当違いのことを目の前の男は言っているが、そんなことはどうでもよかった。
応えている。
眠り続ける水城は、五感のどこを使ったか知らないが、あるいは六つ目のそれを使ったのかもしれないが、応えている。
樹の声に。
樹の気配に。
樹の、存在に。


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴