PLASTIC FISH
A-side11.その瞳が焼き付いても(5/5)
「みやちゃん」
ようやく立ち上がることができたらしい。ずっと倒れていたわりにはしっかりした足どりで、樹は二人のそばへと寄った。
その間、真が邪魔だとばかりにちらりと彼女を一瞥したが、それ以上のことはない。
「樹さん、体は……」
「ん、心配いらない。それより、知り合いだったんだ。その人と」
そう言いながら、樹は躊躇なく、京を支えるようにして立っていた真を見つめた。ただよう雰囲気に、恋人かなにかと勘違いしているのだろうか。
本当は主人としもべ、なんて言った日には卒倒するだろうか。何それ、と笑い飛ばしてくれるだろうか。
「私はこの子の主人よ」
さらりと出てきた主の言葉に、京は絶句せずにいられなかった。
「ま、真……やめて、樹さんは何も知らない人間なんだから」
「本当のことじゃない。私と京は死んでも離れられない絆があるの。おわかりかしら? 人間」
かわいいで済まされるやきもちではない。
「わかりません」
「ふうん。まあ、どうにせよあなたが関われるようなそんなお人好しなものじゃないの。黙って家に帰りなさい。聞けないなら」
「どうするって言うんですか?」
対する樹も樹だ。相手がどんな存在かも知らずに、恐れる様子もなく堂々と口をきいている。
鈍感ではないのはわかっている。恐れるものを知らないのだろう、彼女は。
そんな樹の態度に、おもしろおかしさを感じたのか真が低く笑う。
「あなたの記憶を消すわ。この夜のこと……いや、それだけじゃない。私の顔も、京のことも思い出せないように」
「真!?」
「何」
本気だ。
鋭く冷たいそのまなざしが、京の体中に刺さる。人間を捨てるということはかくも残酷なものか、一瞬生じるためらいと迷い。
「……消さないで。消さないで、お願い! この人は私の声に応えてくれた。拒絶したのに、あんなにひどい事を言ったのに助けに来てくれた」
「みやちゃん……」
「どういう意味でなのかはわからないけれど、嫌いになれないの……樹さんが、私のことを忘れてしまうという事実は、嫌」
「……」
なおも厳しい目だった。無言の圧力で、潰れてしまいそうになる。それでも京は樹の前に立ちはだかり、なんとか説得を試みた。
何故ここまで情を移してしまったのかわからない。
誓ったあの夜、最初に約束した遠い思い出の中、自分は真だけをずっと見つめて追いかけていたのに。慕っていたのに。
――思いを汲んだのか、真は唇を動かし言葉をつむいだ。残酷で冷酷な、問いを投げた。
「潮時ね。選びなさいな」
「え?」
「真という吸血鬼と、樹という人間。昼の世界と、夜の世界。あなたは今その境界にいる。私を選ぶというのなら、この手をさしのべるわ」
「……」
「みやちゃん」
「樹さん?」
樹が、二人の会話に割って入った。迷いの一つもなく、力強い想いを心に、瞳の奥に宿したままで。
「詳しいことはわからない。でも、重要な選択なんだろ。……私だって、さしのべられる手は二つもある。本当の気持ちを、言うといい」
本当の気持ち。
夜の世界に踏み込んでしまった今だが、そのきっかけを望んで引き寄せたわけではない。いってしまえば、なりゆきだ。
京という人間は運悪く巻き込まれただけなのだ。真と出会わなければ、また違う道を歩んでいた。こうやって常識離れた選択を迫られることもなかった。
真という存在、それはもちろん嫌いだとは思っていない。
命をつかまえ、危機を何度も救ってくれた恩人だ。――だから、京は、京という自分は、真に恩という名の好意を抱いているのか?
自分は夜の世界がどんなものかを本当に理解できているのか? これから待つであろう地獄を甘く見すぎていたのではないか?
「……」
黙る京。
対して二人は、急かすこともなくそれぞれの態度で答えを待っていた。
真は、腕を組み鈴飾りをもてあそんでいる。視線はちらちらと移り変わるが、夜空を見ている時間が一番長い。
樹は、まだ現実という夢が冷め切らないのかどこか呆然としている。それでもしっかりと目の前に広がる景色と状況を見据え、真剣な態度で立っていた。
――しゃん。
急かすこともなく、時間を数えることもなく、夜空の下で鈴が揺れる。
選んだ相手と辿り着く先は理想郷か、それとも地獄の門か。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴