PLASTIC FISH
10.残照、選択の時(6/8)
気分的なものであったのか、それとも、実質的なものであったのか。
指輪の形を見失ったとたん、京の体から人並み外れた力が抜け出ていくのを感じた。
京が抱いたさまざまな断ち切れなかった此岸への思い、指輪が過ごしてきた悠久から蓄積されたダメージ、形あるものは何であれいつか崩壊する。
それが今この時代だった、ただそれだけのことだ。
「(力が、入らない――!)」
それだけではなかった。
少女の素早い動きを、急にとらえられなくなった。視界が暗くなり、次の瞬間には京の体は宙に浮いていた。
――最近、こんなことばかりだ。
ふと思うが、思ったところで現実は変わらない。クロエの蹴りは綺麗に決まり、対象は派手に吹き飛び地にあとを残して衝撃の残滓が擦れを続ける。
「そうか、あれは今も真っていうのか。あいつがしもべをとるなんて珍しい……」
こつり、こつりと京へと近づくクロエは、ほどなくして足を止め立ったままの男に目配せをした。
黙って、男はうなずき倒れた京の頭部へと銃をつきつける。
「なんで、なんで……!」
「ふーん」
興味深そうに目の前の人間を見るクロエ。近づくと、その無防備な腹部を思い切り蹴り上げてみせた。
クロエなりに手加減をしていたのだが、痛かったようだ。京が、血を吐いてひどく痛々しくうめいてみせる。獲物はこうでなくては面白くない。
「や、め……」
「お前、よく見るとその顔……その声……そういうことか、ふーん……あいつが必死に隠すわけだ」
強く、時には少し弱く、蹴っては踏みつけ、クロエはそれでもなお微笑みを絶やさない。
他の吸血鬼の所有物を、中古ともいえるそれに手を出す趣味がない、その事実が幸せだったのか、それとも不幸せだったのか。
「……この、まま……私を傷つけても、口は割らないわよ……」
「偉そうな口をきくね、お前は。口を割らせようなんて気はないよ。ただ、私は待っているだけ」
「待つ?」
「そう。見せしめにするか、それとも人間がいう誘拐なんてしゃれこんでみようかな。どうしたらいいと思う? 桂」
――こいつも、この名を知っているのか。
吐き気がした。自分は高階京であり、他の誰でもないというのに。
「来ないわよ……」
「え?」
「あの人は、真は来ない……そういう、人だもの」
「……ふーん。私よりずっと付き合いの長い存在が言うんだ、確かなんだろうね。じゃあ、どうしようかな」
「……」
「わかってる? あなたはね、自分で『自分は生かしておく価値がない』って言っちゃったの。でも、朝になってもあなたの傷は癒えないでしょう」
指摘されて、はじめて京は気がついた。
傷の治りが、異常に遅い。まるでただの人間に戻ってしまったかのように、擦り傷だらけの自分は惨め以外の何ものでもない。
いや。
ただの人間に、戻ってしまったのだ、自分は。
血を分け与えられ、誓いを交わしたからこそ自分は半分人の半分鬼という半端な体になった。だが、今、その誓いのあかしは粉々に砕けてしまった。
最後に血を与えられたのも、ずいぶんと前だ。
ああ、これはまさにデッドエンドだと――思い知らされる。人間程度の力で、吸血鬼と渡りあおうなどという思いは決して勇気ではない。
それは、無謀だ。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴