PLASTIC FISH
10.残照、選択の時(1/8)
「ん、みやちゃんそこ方向転換」
「はい?」
なりゆきで一緒に外を出歩くことになり、京は樹の半歩前を歩いて事実上の先導を任されていた。
空は高く青く、それでもすでにもう傾きつつある。数時間もすれば空は燃え、緋色に染め上げ夜の足音を告げるだろう。
と、そこまで黙って後をついてきていた樹が京に指示を出した。言葉とともに両肩をやさしく掴み、くるりと方向を変えてみせる。
「どこに行けと」
「ん? みやちゃんどこに行くつもりだったの?」
「それは、もちろん仕事に……」
荷物はしっかり回収してくれていたらしく、まあ昨晩のままではあるが一日くらい同じでも支障はない。
鞄を持ち、いつもの服装を正し、京の自宅とは反対の方向へ行った時点で樹は気付かなかったのだろうか。何を考えているのか、やはり理解できない。
「今日お休み」
「いや、」
言いかけた口を手で素早くふさがれた。言葉が出てこないほど強くはないが、何となく喋る気も失せる。
「……ここにいる二人は今日休みだ、いいね。今は、見たくないんだ。彼女のこと」
「……はあ」
彼女。
――眠り続ける、イヴ。いや、水城という人間のこと。
樹は樹なりに色々と考えているらしい。京は今まで他人が考えているかどうか、何をどれだけ考えているなどそんなことは全く興味がなかったが、今なら少しは察してやることができる。
「ん、理解したね。よしよし」
口をふさいで発言をせきとめていた手を話し、京の頭をまるで仲のいい姉妹がするように優しくなでた。
悪い気分ではない。
べたべた触られ干渉されることが嫌いだったはずなのに、京はここ数日での自身の変化をいやというほど感じていた。
「それはいいんですけど……一体、どこに行くんですか」
「そうさな。一緒に月でも見るかい。満月でもないけど、悪くない満ち具合だよ」
「昼間の月を?」
「それもいいね。ついておいで、ここらで一番空に近い場所に行こう」
一歩、一歩と歩くたびに喧騒が、濃い人の気配が薄れてゆくのがわかった。
ビルの群れから抜けたかと思えば、住宅街をつっきり樹はどこまでも進んでいく。高台になっている一帯の一番高い場所に、それはあった。
「……ここは」
そう遠くない場所に自宅があるというのに、きっと窓から見えるというのに、全然知らなかった――京は素直に驚いた。
広い公園。
その中央に、展望台を模しているのかいかにも見晴らしのよさそうな空間が広がっていた。何のことはなく見ているうちに、樹はどんどん先へと歩いていってしまう。
階段を上り、展望台へ。空に一番近い場所へ。応えるように、空がうっすらと夕焼けに染まりつつある。
冬の夕焼けは短い、闇が訪れるのも時間の問題だろう。そんなに長く歩いたつもりはないのだが、樹が道中あれやこれやと寄り道をするものだから、意外と時間をくっていたらしい。
「みやちゃん」
高い場所。
少々錆びや劣化の見られる白いてすりに腕を乗せて、樹はおだやかに視線の先にある人の名を呼んだ。
返事はなく、ざあ、と少し強めの風が吹く。
樹の短い髪が、夕焼けに照らされ赤みを増し、同時に実際よりも濃くもあり――風に揺れて、それは美しいものだった。
「……」
人を刺したという昔話をされてまだ半日も経たないというに、不思議だ。
樹の両手は、遠目で見ても汚れ一つなかった。何も知らない、純粋無垢な指が並び、体もそうだ。返り血を浴びたなど、そんなこと信じられない。
触れてはいけないような、神聖視というには大げさだが、真っ白な樹の心。それに並び、体もきっとそうなのだろう。
――綺麗だ。
「ん?」
ふと、微笑んだまま首をかしげてみせる樹。人は状況や場所、想いによりこんなにも姿を変幻させるのか――京は言葉が出ない。
手をさしのべられたなら、それをとってしまうかもしれない。
自分には絶対的な誓いをかわす主人がいるというのに。
まだ、この世界には未練がある。断ち切らねばいけないものがある。迷いを生むような因子は、潰さなければいけない。
「そうなの……? 真……」
問いかけは、目の前でかき消えた。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴