PLASTIC FISH
09.星空は見えず(8/15)
「……ちゃん」
「(やめて、もう聞きたくない)」
「……やちゃん」
「(嫌。やっぱり、廃ビルをあたっておけばよかった。あの人にとって迷惑であったとしても、真のところへ逃げ込んでいればよかった。そして――)」
「みやちゃん!」
「っ!?」
押さえていた手をいつのまにかどかされ、耳元であだ名を呼ばれ。涙こそ出なかったが、京は自分の手首を掴んでいるその手に気持ち悪さを覚え座るまま後ずさった。
視線の先には、人の形をした悪魔が一人。
自分をここまで追い詰めた、恐怖に染めた、どす黒い心をもった人間の女がここに。
「何してるの、みやちゃん。もうすぐ起きるだろうと思ったから、買ってきたんだよ」
「な、何を」
「……?」
改めて見る樹は、あの時の人なつっこい子犬の姿だった。京の顔をまっすぐに見ては、不思議だと首をかしげている。
直後、にっこりと笑みを浮かべ左手にさげた袋をかかげ示してみせた。
「朝ごはん」
「ごめんね、私一人暮らしだけど料理とか、なんつうの? 家事が苦手でさ。台所もほとんど使ってないんだよ」
「はあ……普段どうしてるんですか?」
樹のことだ。無害そうな顔をして睡眠薬か何かを盛っているのではと京は一瞬過剰すぎるほどの警戒を示したが、そういった思惑があるのなら
昨晩倒れてから目覚めるまでに好き様にできたはずだ。それを一つしかない布団におとなしく寝かせていたのだから、と無理矢理納得することにした。
今の京に食欲はない。味を楽しむことはできるし、気分的な問題であって生きていくためなら食べ物なしには生きていけない体なのだが――。
どちらかというと、血が欲しい。そんな気分だ。狩りがしたい。
だが、そう訴えたい口をふさぐようにサンドイッチを少しだけくわえた。両手で一つのサンドイッチを抱え小口に食べる姿を、リスかハムスターみたいだと樹は笑った。
かわいい、とつぶやいて。京は返すリアクションや言葉に迷い、少し恥ずかしくなった。
「あー、普段だけどね。週に四度も食事しないから、あんまり困らないよ。燃費がいいっていうの?」
「研究者によくある『没頭しすぎて食事と睡眠を忘れていた』にあたるんじゃないんですか……どうでもいいけれど」
「それそれ。どうしてもって時は外食かコンビニの惣菜で済ませてる。あんまり、おいしいもの食べたいとか……そういう欲、ないからさ」
菓子パンを咀嚼しながら、樹は喋り続ける。うまくやっているらしく、特有の嫌な音は聞こえてこないので京は別段不快にはならなかった。
樹の言うことが本当ならつまり、今菓子パンを食べているのも『京が食事しているから』しかたなく口に入れているのだろう。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴