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PLASTIC FISH

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01.幻日(3/10)



夕陽がさしていた。
冬も近づき、高くなった空は見事な夕焼けを広げている。こんなにきれいで儚いものなのに、一部の人間には……見慣れた景色にしか感じないのだろうか。
それとも、自分と同じように、切なさに胸をしめつけられるのか。


「本当に大丈夫なの、京? きっと働きすぎて疲れてるのよ……今日は休みなんだし、いいじゃない。それより病院に行った方が……」
「寝起きで少しぼんやりしてただけよ。病院って、そんな大げさな。職場でも倒れる人間なんてざらにいるわ」
仕事場に向かう時の服装は、京の場合、似たり寄ったりというよりほぼ固定に近かった。制服という名の私服といってもいい。
白いYシャツに黒い無地のネクタイ、ネクタイと同色のスラックス、そして、それらの上には仕事場で定められている白衣。
この白衣がなかなか通勤途中の電車などでは目立ち、急病人が出た時に医者と間違われて説明に困ったりもするのだが、京はあまり気にしていないようだ。
医者が白衣を着たまま電車などに乗ってゆっくりゆられているものだろうか。まあ、そんなこともあるかもしれない。
ともあれこの姿、京の顔つきや身長の高さと相まって、医療関係の人間だけではなく男性と間違えられることも少なくない。
声もそう高くないため、京が本当のことを話さなければ信じてしまう人間も出てくるだろう。それも、彼女は気にしていない。
呼び止める母を見て困った表情を浮かべた京は、垂れてきた自分の横髪をそっと耳にかけた後、顔をあげた。
「できるだけ連絡するけれど、日付が変わっても帰ってこないようだったら鍵閉めて寝てて。ちょっとした野暮用だから、すぐ帰れるとは思うけどね」
「……京」
「何?」
「こう言うのも、なんだけど……住んでいくのに困らないお金ならあるわ。父さんも働いてくれてるし、あなたが無理をして体を壊す必要はないのよ」
母の言葉は、言いづらさもあって今にも消えてしまいそうな弱々しいものだった。
京の肩書きは高校を出、名のある大学を出、今は製薬会社につとめているー―表向きは、そうなっている。
だが、実際はどうだろう。
信用のない新人には教えられていない、カードキーや指紋、網膜認識という多くの錠に守られた奥で――上層が、何を研究しているか。
倫理を無視し、保存状態のいい人間の死体を、事情の通じている病院から流してもらい、毎日毎日、あさましい人間の所業としか思えないままごとを行う。
生きた人間を使ったこともあった。
あの場にいる人間はみな、咎をもっている。京もまた例外ではない。
時折出る多額の給料は両親に知られぬよう適当に処分しているが、それが一体いつまで続くというのか。
「仕事なんて簡単よ。それに、私は自分の知的探究心に逆らうこともなく生きている。幸せよ、ええ。幸せ」
そう言うが、母の顔はきっと悲しさともどかしさに染まっているに違いない。見ないようにして、京は家の門横にかかげられた表札を見た。
『高階』。
子どもの頃は、たかしなの『しな』の字が苦手で、書いては消す繰り返しでよく泣いたものだ。
何故これでたかしなと読むのだろうと不思議になって、親にしつこく問い続けたこともあった。しばらくして、日本語は多かれ少なかれそういうものだと知った。
その頃のなつかしさが、この表札を見ると思い出される。
自然と、京の表情が穏やかな微笑みに変わった。あまり笑わないと評される京の見せた、貴重な笑顔であった。
「……気をつけてね。早く、帰ってきてね」
「過保護すぎるわ、母さん。こういう年頃の娘にはね、早く結婚しろだとか、孫の顔を見せろだとか、そういうことを言うのよ」
京は言いながらふと思った。
今年で、自分はいくつになるんだろうか。職場の、『あの』中では一番下と聞いたが、思い返せば具体的な年齢を最近意識していない。
確か、『四つ上だ。私の方が君よりお姉さんだね、頼りになれれば幸いだな』と仕事中に誰かが言っていた。さて、誰だっただろう。
夕焼けが終わってしまわないうちに、京は家をあとにした。


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴