PLASTIC FISH
09.星空は見えず(2/15)
――星は一つとして瞬いていない。厳密に言えば無数に存在しているのだろうが、人間の視力では見えるはずもない弱い光だ。
地上の人工的な輝きに照らされて、押しやられるように闇の奥深くへと閉じ込められる弱い光。遠い昔の、はかなき祈り。
「はぁ、まあ……確かに」
声では同意を示しているが、今の彼女の視力は人間のそれとは決して近くない。人間離れしているほど良いわけではないが、視力がいいというよりは
視覚が優れているというべきか。夜の闇は彼女の庭を包む味方だ、見ようと思えば弱い光でも見えないことはない。厚い雲で隠れる月の位置を正確にとらえることも可能だ。
だが、そんな事情をわざわざ人間である樹に言う必要はない。
「こんな街中からじゃあ、見えないでしょうね。田舎に行けばいくらかは、輝いているかもしれませんけれど」
「京ちゃん」
「何でしょう」
「私のこと、好き? 嫌い?」
星の話題はただの前振りだったのか――見えない相手の思考回路に、京は頭が痛くなるそんな錯覚を覚えた。
本当にこの人は、富岡樹というこの人間は、何を考えているのかわからない。
思えば最近出会った人間であったり化け物であったりは、考えの読めないわけのわからない存在ばっかりだ、京は頭痛を越えて胸がむかむかしてくる。
「あー」
面倒で、あまりにも面倒で、京はつい気を緩ませ心底だるいとばかりに声をあげる。苛立っている人間が一つ止まる時によく口にする声だ。
含まれる大部分は、呆れ。
「付き合うのに面倒なタイプです」
「ああ、うん。そう言われると思った」
「……嫌悪感をこんなにまっすぐ向けられてるのに、平気なんですか」
「平気だよ。君が同じ仕事場に来たその日から、私は毎日ずっと君と会話して色んな表情を見て楽しむシミュレートを繰り返してたから」
「……」
絶句した。
相手が何を言っているのか、わからない。わかりたくない。応募段階の履歴書の写真を見て、自分の相手はこの子しかいない、この子と恋人同士になるんだと言っている輩となんら変わらないではないか。
そういう人間が実際いるのかは京の知ったことではないが、害はないにしてもこれは嫌がらせである。特殊なケースのストーカー被害である。
自分が今の仕事場に足を踏み入れたその時から――見えないところで、どんな視線を、どんな想いを向けられていたかと思うと、ぞっとする。
「ずっと、ずっとずっと君を見てた。わかるかな? 人間がまばたきをするのと、お腹がすいたらご飯を食べて、眠気を感じたら眠るのと一緒なんだ」
「……そんな事を繰り返しながら、接触するチャンスをうかがっていたと」
「人聞きの悪い。私は京、君に危害を加えるつもりはないよ。嫌いだと言われれば引くし、好きだと言われればいつだって一緒にいる」
「いつだって?」
「そう、いつだって。嬉しい時は一緒に喜んで、泣きたい時は頼ってくれてかまわない。機嫌が悪い時はあたってくれていいし、一緒に心中しても悔いはない」
ここまで言い切る人間も、珍しいものだ。
純粋というべきか、青いというべきか、それともそういったものを遠く越えた境地にいるのか。
――人間?
京の思考に、一つの単語が引っかかる。
「(この人は私が……どんな人間でも、いや、人間ではないと知っても……同じことが言えるの?)」
それで深さが量れる。
そんな気がした。いや、確信を持った。これで一歩でも彼女が引くようならば、所詮そこまでの底の浅い人間だということだ。
好意を抱きながらも声をかけることなく、その段階で作り上げた勝手なイメージを真実だと錯覚し、相手の都合のいい部分だけを見る。
浅はかだ。
愚かだ。
汚い、生き物だ。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴