PLASTIC FISH
08.決別を求められているもの(1/4)
冬が来た。
いや、厳密に言えば冬になってからもう数ヶ月経過している。年も明けた。
世間では正月気分が抜けきらずだらりとしているのが当たり前のようだが、高階京にとってそんなことは縁がない。
建物の復旧もとうに終わり『アダムとイヴ』を起動させるための、いや、生誕させるための第一段階に入ろうとしているのだ。
必然的に休みが少なくなり、家にいない日が多くなる。母が孤独な思いをしていないだろうか、とそれが気がかりだったが、こればかりはどうしようもなかった。
京は自他ともに認める、自らの『知的探究心』に負けたのである。
もう一方の面についても記述しておこう。
紫外線に対しては今のところ普通の人間と変わりなく、だからこそ昼間の人間としての生活を維持できている。
時折不規則に襲いくる血への渇望が気になるところだが、今では『この人間はこの程度吸っていい』という目安がわかるようになった。
暗示の初歩段階である、『短時間の記憶を消す』ことも自然に覚え、疑いの目をかけられることもなく人の皮をかぶったままでいられる。
味を選ばないなら、小学生や酔っ払いがいい。特に酔っ払いのサラリーマンなどは最高だ、意識を失って朝まで倒れていてもなんら違和感がない。
ただの酔っ払いだ、と思い通る人は気にしないだろう。本人の意識が戻っても、酔いの強さに記憶が飛んでいるためほとんどの場合気付かない。
人を襲うという抵抗は、とうに消えた。
「……」
白衣のポケットに両手を入れたままで、京は眠り続けるアダムとイヴを見つめていた。
この世界に生まれいずる赤ん坊は、無垢であり、だからこそ生まれ落ちたことに対する絶望に泣き叫ぶ。
この二人はどうだろう。
何も知らない二人は、この世界を見て、自分達が新たな未来を導いていく希望の星だと知って、どう思うだろうか。
どんな人間より人間らしく。
万が一、京も足を踏み入れているこの世の裏側を知った日には――
「よ、みやちゃん」
「っ!?」
――反射的に、飛びのいた。無意識にやってしまったことだが、人間としては反応が機敏すぎたかもしれない。気付かれるのではという不安が、京の脳裏をよぎる。
突然肩を抱かれ、引き寄せられ、聞いた声は知らない人間のものだった。
京のことを『みやちゃん』などと呼ぶのは、蛍原誠ただ一人しかいない。だが、今耳元で響いたのは違う。
「あ……ごめん、驚いた?」
声をかけた相手も、京がよもやそんな過剰反応を起こすとは予想しておらず、驚いた声はぎこちなく微弱に震える。
「い、いえ……」
顔を上げ、ここでやっと京は自分に声をかけてきた人物を見た。
服装は、さほど京と変わりない。白衣に隠れるようにしてちらちら見える黒いベルトのようなものは、サスペンダーだろう。
ひじほどまでにめくられ折られている白衣からのぞく腕は、白く――中性寄りではあるが、女であることを声なき証拠であれど示している。
銀色の腕時計は、手首側ではなく手の表側から時計を見るように着けられている。腕の内側を向けて時刻を確かめる仕草は女っぽいとされるが、それとは縁がなさそうだ。
視点を上げる。
京と同じくショートヘアだが、毛先が外側へ向かってはねている。そのはね具合に合わせるように、栗色の髪は毛先に向かうにしたがって赤味を帯びていた。
メッシュといったか、京には興味のかけらもない世界なのでわからない。一瞬インコを彷彿とさせたが、失礼だと思い言わないようにした。
顔はというと、軽い声の通り気さくで人なつっこそうだ。こう、なんといえばいいのだろう。子犬のような、そんな。
子犬とはいっても、身長は京より高い。百七十は越えているだろうその体は、細身で無駄なおうとつのない美しいものだった。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴