PLASTIC FISH
07.ルナティックトーチ(1/6)
ひどく蒸し暑い。
というよりは、気が高揚している。興奮さめやらぬ身と心が、夜明けまでの時間を自分のものにしようと内で暴れている。
「……」
真っ暗な自室の、天井を仰ぎ見た。汗をかいたうなじに髪がはりついて、ひどく気持ち悪い。もっと短く切るべきかもしれない。
京は、考え続ける。
蛍原先輩は、今頃またいつものように仕事途中で眠りについてしまっているのだろうか。仮眠室を一番有用に使える人間であるものの、一番そのチャンスを逃している人間でもある。
愛想のない京にも、分け隔てなく接してくれた数少ない人間だ。手放すのは惜しい、関係は良好のままで繋ぎとめておきたい。
だがしかし、汗くささもなくいつも清潔にしている様子の蛍原は、あれでいて結構きれい好きなのがうかがえる。
若い男。
恋人がいる、いたという話は聞いたことがない。基本的に思うがままに発言する人間なので、隠しているとも思えない。
汚れを知らない、若い男か――京は、自分の喉が何の前触れもなしに鳴っていることに気付いた。
「血は……」
――ああいう、人間の血はおいしいのかしら。
ぽつりと思う。不味くても飲まないわけではないが、どうせ飲むなら味の良い方がいいだろう。
「……え?」
京は驚いた。ばっと上半身を布団から起こし、自分に何が起きたのか確かめようとしているのか周りや自分の体をせわしなく見やっている。
ほんの数時間前に、自分が生きている『なにか』の血を吸った事実。あれは確かに人の形をしていた。
嫌だ。
認めたくない。あれが現実だと、あんな非道なことをして笑っている自分が真実だと、うなづきたくない。京は必死に頭を振る。
その考えをどこか遠くへ投げてしまいたい。
誰の手も届かず、誰の足も及ばず、誰の声も聞こえないそんな場所へと逝ってしまえ。早く、早く、早く――
「ご機嫌いかが?」
――しゃん。
ほんの数時間前まで、待ち望んでいた――だが、今は存在を意識すらしたくないものが、人なつっこい声とともに京の領域へと入り込んできた。
「……ま、こと……」
闇の中、真は靴をはいたままで窓際に立っていた。微笑む表情が、外よりさす光の具合によって複雑に色を変えてゆく。
京は、どれだけ話せる時間があるかもわからないこの状況で、何からどう説明を要求するべきか迷った。迷う時間は短くなく、部屋には沈黙が広がっていく。
バルコニーに続く窓は、月明かりが恋しかったためにカーテンこそ薄い半透明のものだけだったが、施錠はしっかりとしていたはずだ。
ガラスを割られた様子もない。窓は真のそば、少しだけ放たれている。そこから入る微弱な風が、真の髪をゆらりと美しく揺らしていた。
「ご機嫌いかがかしら? 京」
「機嫌って、貴方……」
「うん? 血を吸ったのでしょう? 一人目が同族とは、あなたのこれからが楽しみだわ。吸血鬼の世界へようこそ、高階京」
「――――ッ!」
一瞬、殴ってやろうかという激しい怒りが京の心を満たした。こいつは、目の前にいる自分の主人を名乗る吸血鬼は、この夜にあったことを全て知っている。
見ていたのだ。安全な、どこかで、ずっと。
京が死んだら、傷ついたらどうするつもりだったのだろう。真が京を焦らし、その末に試したという事実。何度試し人をこけにすれば気がすむのか、思えば思うほど京の憤怒は増す。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴