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PLASTIC FISH

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06.夜の世界へ(1/4)



一瞬、目を疑った。
というのは、月並みな表現ではある。だが、今夜の月はそう甘くない。それだけでは終わらせない。
「……何、これ……」
夜目が聞いている、という常識範囲では済まされないほどの広く鮮明な視野が今、高階京の両の目にあった。
暗闇に目が慣れていたとはいえ、こうも急に、生まれ変わったごとく見る景色が変わるものだろうか。
さきほどと同じく、全ては闇の中にある。
夜だ。
人あらざるものが跋扈する時間だ。それは変わらない。
だが、今京の視覚は――人間のそれを大きく上回っている。視覚だけではないことに、彼女は無理矢理気付かされるはめになる。
「っ!?」
殺しているつもりだろうが、聞こえてくる風を切る音。近づく汚らわしい者の気配。
第六感を鍵にしてその五感をいちはやく引き出した京は、人間離れした動きでブランコから駆け離れた。
直後、響く金属と金属が触れ合う音。ブランコの鎖に衝撃が伝わり、がしゃんがしゃんと狂ったように揺れる。京は、体勢を立て直したのちに目を見開いた。
「……だよ、なんでわかっちまうかなあ……」
ぶつぶつと呟く男の声には、覚えがある。
あの、最初の夜に建物内へ入ってきた男だ。姿を見ても、随分と以前より傷を増して骨すら見えている部分もあるが、間違いない。
真の怒りを買い、確かにあの夜――
「あ、なた……確か窓から落ちて……」
――なかなかの高さがあった。人間なら頭は割れるし体は破裂し肉片があたりに散らばるほどの高さ。人でなくても、かなりの痛手を負うはずだ。
だが、目の前の男はしっかりと二本の足で立っている。
ぎょろりと爬虫類のような目玉が、京を見た。気持ち悪い、低俗な――思ってもいない言葉が内から沸いてきては、京の体に熱を与える。
血だ。
血が、目の前の男を、こいつを殺せと命じている。そして二度と再生できぬほどに血を吸い尽くしてしまえと、真っ赤ないのちを欲している。
「落ちた、落ちた。あのアマァ……俺をさんざん辱めやがってよお……お前はさあ、おいしそうな匂いがすんだよ……」
「普通の人間の匂いよ、多分」
「普通の……人間だあ?」
男は片手に持つナイフをもてあそびながら、そりゃ傑作だ! とげらげら下品に笑いはじめた。深夜の住宅街のさなか、誰かが起き出して怒鳴ってきてもおかしくないのだが――不思議と、周辺に人間の気配はない。
聴覚が、やけに遠くの音まで拾うのだ。これほど静かなら無理もないが、うるさいと思えばその音だけ遮断することもできるらしく、なかなかに便利だ。
触れる夜気が、とてもなつかしい。夜の闇が人間を歓迎してくれたことなど、今まであっただろうか。
男の、止めたくても止められないといわんばかりの笑いが、少し弱くなった。ナイフの刃をひと舐めし、京をじろじろと見つめる。
「汚い目ね……見つめないで」
そう言いながら、京は鞄を無意識に地面へ置いた。邪魔になる、そんな気がしたからだ。
「お前、自分が普通の人間だと思ってるのか? おかしな血の匂いをさせて、ああ、あいつとそっくりな匂いだ……それでも人間でいられると思ってるのか?」
「え……」
「あー、めんどくせえなあ。お前の匂いはさあ、うまそうなんだよ。同族殺しの俺を食欲に走らせる、吸血鬼の匂いがするんだよッ!!」
――きゅう、けつき。
その作り話めいた現実味のない単語が引っかかったが、京に考える時間はなかった。
男がこちらへナイフをかざし、向かってくる。速い――こいつは、人ではないのだ。でもないと、こんな常識外れな速度は出せない。
ましてや、闇の中だ。
「――くっ!?」
それは、言葉でも悲鳴でもなく、息を慣れない形で吐いたことによる音だった。突進してくる猪のごとき男を避け、横へと避け走る。
驚くほど軽く体全体が動き、言うことを聞いた。人間では耐えられないキャパシティを、京のこの体は耐え切った。
血が、騒ぐ。
この凍るような薄気味悪い状況を、巡る血は喜んでいる。そして、脳に直接断片的なキーワードを示してくる。命じてくる。
『同士ともいえぬ無礼者は、殺してしまえ』
「(うるさい……)」
『殺すだけでは物足りない。さんざんいたぶって、屈辱を味あわせて、一滴残らず血を吸い上げてしまえ』
「(うるさい!)」
『見せしめにしろ! 遠い場所で時を待つ主人に捧げる、贄としてしまえ!』
遮断しようにもできない、思考の暗がりに浮かんでくる言葉たち。悪意を持った、悪魔のささやき。
京に従う気はもとよりなかった。もう、考える必要もない。この体ならば――やれる。唇の端が吊り上がり、京の声で悪魔が勝手に言葉を紡いだ。
あるいはそれは、京自身の意思だったのかもしれない。だが、判断する材料がここにはない。
「かかってきなさい、三下……。辱められて、屈辱にまみれながら灰になるがいいッ!!」
合図だった。


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴