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PLASTIC FISH

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05.嵐の予感(3/4)



不味いコーヒーを嚥下して、やっと京は現実に意識を戻らせることができた。
「……真」
声で、あの夜の出来事、そして忘れてはいけない名前をなぞる。
鮮やかすぎる夢かもしれない。
この数週間で、何度も何度もその疑問に行き当たった。真実の名前を聞いておいてよかったと、重ね重ね思う。
その名前と、
「……不思議。サイズ、ぴったり」
この指輪だけが、二人のえにしを繋いでいる気がしてならないのだ。現実には置いておけない、赤い糸を維持しているように思う。
指輪を外そうという考えは、今日の今日まで京にはかけらも浮かばなかった。
左の薬指だっただけに、目ざとく見つけた母にはどういうことかと問い詰められたが、こういうファッションが今はやってるらしいのよといい加減に流した。
この仕事場に恋だの愛だのそんなどうでもいいことを気にする者はいない。既婚者はいるが、特有の話などかけらも出ない。
「真、か……」
生まれて三十年もない京だが、今までそれなりに出会いと別れがあった。
まこと、という名の人間がいたことは記憶している。学生時代だっただろうか、同じクラスに勉強のべの字もない問題児がいたのだ。
もちろんそんな人間いようがいなかろうが当時の京には関係のないことだった。中退退学停学、おおいに結構。好きにしてくれ。
思えばよくある名前だ。
男でも女でも、不自然さはない。誠というと男に間違われやすく、真琴だと女に間違われやすい。考えたところでその程度だろう。
真の一文字となると、文字だけではどちらか全くわからない。
「……みやこ、」
ぼんやりと考えをめぐらせながら、自分の名をつぶやくとともに京は目の前のPCへと向かいキーを叩いた。
『けい』。
変換する。圭、恵、珪、名前に使えそうな漢字が詰まっている。規則正しくキーを叩く指が、ふと止まった。
変換された字は、桂。
「かつら……いや、けい……」
桂と聞いて京が思い出すのは、月の桂だ。月にしっかりを根をはりめぐらし、斧をはじめとしたどんなものをもってしても決して折れず曲がらないのだという。
どんな非難などを受けても、自分を信じまっすぐ生きる子になるように、などの理由で親は子にこうした名前をつけるのだろうか。
他に浮かぶ由来としては、月桂樹。同じ植物では、月の桂ということで金木犀や銀木犀が思い当たる。花のあの独特の匂いが好きだという人は多い。
そういえば、母が言っていた。昔、母が子どもの頃、風邪で熱を出した時に親が買ってきてくれたという一冊の文庫本。
当時も文庫本と呼んでいたのかは、母が現代風に翻訳して語ってくれたので知らない。興味もあまりない。
とにかく、その文庫本の主人公は双子で、確か――妹だっただろうか。そちらの名前が、桂なのだ。それだけの話なのだが、
「双子ということは兄か姉がいたような……」
京は脱線した話をそのまま続行した。確か、そっくりな女の双子だ。妹の名前はすぐに出てきたのに、姉の名前だけがどれだけ思考を巡らせてももやがかかったように出てこない。
五分ほど時間をとられたように思う。諦めて、PCのディスプレイを見つめ直した。
桂と変換したままのそれに対し、更に変換するべくキーを叩く。
「京」
思わず手が止まった。自分の名前としてのイメージが強いせいか、『けい』で変換したというに口では『みやこ』と名の音で口にしてしまう。
「(この字、こんな読みがあったなんて……知らなかった)」
ふと、思い出す。
みやこ、と何度かだけその名前で呼んでくれたあの人のことを。
月の光に照らされ、わずかな風にゆれる黒く長い髪。手袋ごしに触れた柔らかくも氷のように冷たい肌。
夜気に染み広がった黒いドレスの裾。
過ぎた今だからこそ、思う。
あの人はきっと、『桂』という名の誰かに今もとらわれているのだ。私にかまった理由はきっと、その『桂』とやらに自分が似ているのだろう。
それが外見なのか、性格なのか、声なのか、血なのか、わからないが。
「代わり、か」
そう言った京の横顔には、少しの安堵と、少しの寂しさが浮かんでいた。
キーボードから手を離し、頬杖をつく。あれから何日経ったのだろう。何日あの人――真に会っていないのだろう。
人間なのか、そうでないのか、どこからきたのか、どこへゆくのか。
知りたい、と思う。
代わりでもいい。本当に求めていた『桂』が見つかったその時は、捨てられてもかまわない。
二人を繋ぐ唯一の証拠である、銀の指輪を手放してもかまわない。
探し人の『桂』を見つけて、喜んでいる真の姿はあまり見たくない。何故だろう。わからない。
ただ、万に一つ。そんな確率でいい。それでも――
「私が……」
その探し人本人であればいいのに。
ふと、あの真紅の瞳が恋しくなった。見つめられていたい。けれど、どれだけ待ち望んでもあの鈴の音は聞こえてくることがなかった。


作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴