PLASTIC FISH
03.きざし、ほころび(8/8)
平常時以外に、視界を断たれるほど怖いものはない。
とっさの反射的行動で、京は必死に抵抗し暴れた。手足の全てをもって、密着している何かをひきはがそうとする。
「無駄よ、そんなの無駄」
心底たのしげに、うたうような声。ちりん、と鈴が鳴る。
「(何で、何で当たらないの……!)」
おかしい。
どこが、とはいえないが、決定的にどこかがおかしい。
相手は背後にまわり、ただ京の両目をふさいでいるだけだ。しかし、その行為は両手が使えないことと同義。
ならば何故、手足四つが全て自由な自分が相手をひきはがせない? ――不気味な空気に、京は押しつぶされてしまいそうだった。
見えなくてもわかる。相手はほとんど動いていない。
「だぁーれだ」
「え……」
「だぁーれだ?」
無駄と判断し、抵抗をやめる京。相手は、自分が誰なのか当ててみろと言う。
まさか、この――今、自分の視界をふさぎ遊んでいるこの人間こそが、数日前の犯人だというのか。自分はそれに巻き込まれたとでもいうのだろうか。
「貴方、まさか……数日前の……」
「数日前の?」
「ここを荒らした……犯人だって言うの!?」
不思議なことではない、この階は広い。入り込めるだけの技術を持っているなら、どこかにずっと潜伏していたとしてもなんら不思議ではない。
木を隠すなら森の中というが、いや、この場合は灯台下暗し――も違う、どういえばいいのだろう――京は考え続ける。
まさか、相手は人間ではないのだろうか。
化け物が、この建物内に潜伏し、というのはさすがに映画の影響を受けすぎだろうか。
ああ、でも、この状況は、なにが通ってもおかしくない。
「犯人? 荒らした?」
「とぼけないで」
「認めたら、あなたはどうするの?」
質問に、質問で返された。ああ、丸腰でなければ――メス、いや、デスクに隠してある拳銃さえあれば。
「(…拳銃?)」
ちりちりと、記憶が焼け焦げていく音がする。焼け焦げるのは、後からかぶせられた偽りの記憶。
眠りつづけていたとしても、わかる。数日前に握った拳銃の感触が。生きているものを撃った、あの緊張が、衝撃が。
「ねえ。私が犯人だとしたら、あなたはどうするの? 私を殺すの? あの変な武器で、私に頼りない杭をうちこむの?」
声が、何重にも折り重なって京の耳に届く。不思議な声だ。姿も見えないのに、まるで旧知の友人かとでもいうように、どんどん警戒心が氷解していく。
その間にも、どんどんまがいものの記憶は焼け焦げる範囲を増していく。どんどん真実に近づいている。脳の内側で、警鐘が響いている。焼け野原が地を離れ空気と同化していく。
「あの夜……」
アウトラインを辿る。
シャツは血にまみれて、重さを増していて、その上に着ていた白衣さえも純白が真っ赤に――いや、真っ黒に染まって。
背中を強く打ち付けた覚えがある。記憶がおぼろげであろうと、体験した体が覚えている。
自分は床に倒れた。
しがみついたデスクごしに、人あらざるものを見た。寂しげに響き続ける、鈴の音を聞いた。
「さあ、思い出してごらんなさいな。あの夜のこと、そして、自分のこと」
「私は、死んだ……いや、死んでない……? 助かる状況じゃなかったのに、何で今……」
何で今、ここに無傷で立っているのか。生き長らえているのか。
「早く答えを出さないと、かりぬいが解けるわ。もうじき」
「かり、ぬい……?」
「生かしてあげた意味を、重さを、その身をもって知りなさい」
がくん。
視界が戻った直後、京の体が歪んだ動きを見せ大きく傾いた。
床に、思い切り叩き付けられる。受け身など取れるはずもない。その衝撃こそ感じなかったが、かりぬいという名の麻酔は糸切りを合図に、解けた。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴