PLASTIC FISH
03.きざし、ほころび(6/8)
「……」
紙コップに注がれた無糖のコーヒーを片手に、京は夕暮れに染まるビル街を見ていた。
今日の夕焼けは、文字通り焼けているように力強く、オレンジというよりは真っ赤に近い。雲を割ってあらわれる、血の色をした空。
すするに生ぬるく、飲み干すに熱いコーヒーが、今日はとても不味く感じられる。
考えてもみれば、緊張感のない研究機関ではある。
マッドでリスクの高い、人道倫理に反したつまりは犯罪を繰り返しているというのに、何故こうも人の領域に配置されているのだろう。
危機感がなさすぎる。
こう、もっと丁度いい場所がないものだろうか。山奥の製薬工場だの、どこでもいい。とにかく街のど真ん中に普通に建てる必要はあるまいに。
まあ、一部の書類さえ表に出なければ、ただの『未来を担う希望のロボット計画』ということで無理矢理片付けられないこともないが。
「……ふふ」
笑いが漏れる。
希望のロボット? 未来を担う? 冗談は寝てから言えというものだ。
罪もなくけがれもない小さな子どもを生きたまま切り刻む日だってある。さすがに麻酔の処置はするが、それは逃げられないようにだ。
人間の心理、思考の研究と表して生きた人間を狂人にするまでモルモットにし続けたこともある。
目を閉じれば、今も鮮明に蘇る。
最初は『出してくれ、助けてくれ』という救いを求める声とともに『飯の量が少ない』『眠れないから布団を用意してほしい』などとかわいらしい言葉も出てくる。
だが、そのうちにおのずから気付くのだ。
これは『治験』でもなんでもない。
入り口はあっても、出口は決してないことに。もう、そのモルモット達が人の世に帰ることはない。殺されたも同然の絶望の中、生きてデータを算出し続けるのだ。
「……」
コーヒーの残りをすする。誰そ彼時を迎えた街は、もうすぐ人あらざるものの徘徊する無法地帯、まるでそれはこの世に在りながらのインフェルノと化す。
気付かない人間達の、なんと愚かなことか。
高階京は、高階家の一人っ子として数十年前に生を受けた。
幼い頃からませた、というよりは冷め切った面があり、ユーモアこそあるが他の子ほど笑うことは少なかったという。
学生時代は成績優秀、あえて言うなら体を動かすことはあまり得意ではなかったが、筆記に関しては他者が右に出ることを許さなかった。
高校時代は生徒会の書記をつとめ、勉学に励んでいたが他に趣味という趣味を持たなかった。友人という友人は存在せず、恋愛に関しても疎かった、いや、そういう意味では近づけない壁を感じたと同級生は言う。
その後、名のある大学の入試を突破。狭き門をくぐりぬけ、知識と経験を深め社会へと降り立った。
就職先は、誰もが名前に覚えのあるであろう製薬会社。新人の間は、何も知らずにまっとうな仕事を任されていた。いや、親を含めた世間はきっと今も高階京という人間がそのまま表の世界に生きていると疑わないだろう。
人生がひっくりかえるような転機は、勤めはじめて数年後に訪れる。夢のようなふざけた理想論を聞かされた当時の京は、一体どう思ったことだろう。
そして、受け入れたのちに数年が経過する。
だが、それでもまだかろうじて彼女は人間の領域にいた。ほんの、ほんの数日前までは。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴