PLASTIC FISH
03.きざし、ほころび(2/8)
朝日が昇るたび、人間は「ああ、また一日生きることができた」と安堵の息を吐き、形なきものに感謝する。
夕陽が沈むたび、人間は「この夜を自分は生き長らえることができるだろうか」と不安にかられ、どうか自分だけはと形なきものに許しを乞う。
だが、それも昔の話だ。
今この世に生きている人間のどれだけが、夜の恐怖を知っているというのか。闇が迫る狂気を感じているというのか。
彼女はまだ、人間の領域に身を置いている。
高階京(たかしなみやこ)は、起きて早々に聞いた母の話に愕然とした。
「何日も……眠ってた? 起きなかったって、誰が?」
確認のために、あるいは自分の聞き間違いであることを期待して、再度問う。
「京、あなたがよ!! 朝方、玄関の物陰に倒れていて……服が違うものだったから、私はあなたじゃなくて酔っ払いか誰かだと思ったんだけど……」
「落ち着いて、母さん」
「私は落ち着いてるわッ!!」
早朝だ、あまり騒いでは父が起きて怒鳴りださない保証もない。そうでなくとも、近所はまだ大多数の人間が眠っている時間。
涙目になりまくしたてる母をなだめ、とりあえずと双方座ることを京は提案した。まだ何か言いたそうな顔をしていたが、母も落ち着かない様子で了承する。
京はベッドのふちに座り、ミニテーブルに置いてあった緑茶を口にした。いつも通りで、なんら違和感のない普通の味が染み渡る。
母の話を第三者の視点から要約しよう。
数日前の夕方、京はいつものシャツにネクタイ、白衣を着て家をあとにした。これは京もしっかりと覚えている。
夜遅くになっても帰らない娘を母は心配したが、今までのことを考えればそれは二度三度のものではない。仕事に没頭して時間を忘れているか、仕事の同僚と飲みにでも行っているのだろう。
付き合いというものは面倒だが大事なものだと聞いていたし、自分の身をもっても知っていた。そして深夜に入った頃、母は一度娘の携帯に連絡を入れたが、出なかった。
メールの返事もなければ、電話も通じない。やはり自分の予想する通りの二択を選択したのだろう、と思った母はようやく眠りについた。
早朝に娘が帰ってくることもある。父より早く目が覚めた母は、一日をはじめるべく玄関の施錠を解いた。
外に出ると、秋に入り肌寒く鋭さをじょじょに増しつつある風が吹いている。
そこまではいい。
問題は、そこからである。
扉を閉め、完全に屋外へ出て――家の前を通る道に娘の姿がないことを確認する。そして、戻ろうと踵を返したその時だった。
娘が、玄関から一メートルほど離れた位置に、壁にもたれかかるようにして倒れていたのだ。
顔は確かに娘そのものだ。だが、出て行った時と服が違う。娘の京は数日に渡って帰らない時をのぞいて、着替えを持っていくなど気の細やかなことはしない。
シャツにスラックス、そこまでは似通っていたが、娘はこんな柄、こんな色のものを持っていただろうか。
洗濯をいつも任されている母だけに、その点には違和感が残った。それに、毛布のようにかけてあるこの黒いコート……これは、娘のものではない。
買ったばかりにしては随分とくたびれている。
ともあれ、外に放っておくことなどできよう、いや、考えられるはずがない。母は父を呼び起こし、意識のない娘を自室へと運んだ。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴