PLASTIC FISH
02.かりぬい(3/7)
人間の動体視力、そして物を視認できる能力はすぐに限界が来る。
ほぼ毎日、電車でゆらゆらと揺られ外の景色を見やるたびに京はいつもそう感じていた。
今、改めてそう思わずして、他に何を思うことがあろうか。
「……っ」
目の前のデスクが邪魔だ、今この部屋で何が起こっているのか、視覚で確認できないのは痛い。
床に手をつき、立ち上がろうとする京。体はそう動いていたが、この傷ではすぐに崩れ落ちるのがおちだ――そう、思っていた。
手に力を込めた一瞬、脳裏に先ほどのあの赤い瞳がフラッシュバックする。鋭くも鈍く響いていた痛みが、薄れた。
動ける。
これならば、デスクの向こうを確かめることができる。
「こんなところで、寝てる場合じゃないのよ……ッ!」
乱れ、前にかかってくる髪が鬱陶しい。手でかきあげる余裕もないため、仕方なく少々乱暴ではあるが首を二度三度横に振る。
叩きつけるようにデスクへと両腕を乗せ、力が入れられるように調整。ひざ立ちになる姿勢で、京は向こう側にある異境を見た。
大きな風船がはじけたような、人が投身自殺をして体を潰れんばかりに打ち付けたような、表現の難しい音が響いた。
音だけならば、人間の京には判断できなかったかもしれない。だが、デスク越しにまだこの視覚は生きている。だからこそ、全てまではいかずとも理解できた。
あのヒトガタが、男を思いきり殴りつけたのだ。振った右拳は男の頬に直撃し、京が先ほど吹き飛んだように易く宙を切った。
「(違う……)」
京の心が、未知のものに対する恐怖に満たされてゆく。それは体へと反応をうながし、歯ががちがちと音を立てはじめ、全身が小刻みに震える。
指先から力が抜けていくのを、必死に抑えた。抑えなければ、自分はデスクという、いうなれば広い海にたった一つだけ浮かんでいる流木――この世に掴まる、とどまるために必要なものを無くす。
意識を手放してはいけない。この光景を、見届けなくてはいけない。そうしないと、自分はきっとこの懐かしい人に二度と会えない。そんな気がしてならなかった。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴