PLASTIC FISH
B-side14.残月、無月(1/3)
数年が経過した。
厳密にいえば、四年と十ヶ月。
変化といえば、以前二人がよりどころとしていた廃墟はいまはもう完全な無人である。面影すら残っていない。
二人が去って数ヵ月後に取り壊しが決まり、跡形もなくなってしまったのだ。
今は新しい建物が建ったという噂も二人の耳をかすめていったが、確かめる必要もないため戻らなかった。
梅雨から夏にかけては、真が雨を嫌うのと昼の時間が長いこともあって、万が一ということで人間を利用しマンションの一室に滞在した。
暗示が解ければ、その人間は借りた覚えのない部屋があることに疑問を覚えるだろう。
だが、証拠といえる証拠なんてものはどこにも残らない。本人も酔った勢いか何かということに行き着き、何事もなく異変は幕を閉じる。
もしそのまま居続けてもさして問題はないものの、場所が場所だ。人間の領域の奥深くとあらば、気にとめておかねばならない面倒事が増える。
この世に確かに二人は生きている。
だが、常に一定の場所にとどまることなく、老いて死にゆくまで、あるいは狩られてしまうまで旅は続く。世界の果てなど、存在しない。
存在しているとすれば、二人が今生きているその場所こそが――終わりであり新たなものが生まれ出でる地だ。
「また、冬が来るのね……」
外見も、声も、内面さえも変わらない京が、ひとりごちた。
今はまだ、日本を出るほどの大事や失態は犯していない。ほんの数ヶ月前までは北の地にとどまっていたが、どちらが言い出すこともなく渡り鳥のように移動をはじめていた。
目指すは西。
西方浄土とはよく話に持ち出されるが、果たして二人の求める不変はそこにあるのかどうか。
西には希望の風が吹く。それは果たして、真と京という人あらざる闇の眷属にも平等に吹いてくれるのか――帰ればわかる。
最初の地。
全てが始まった地へ。
――思い返す。
知らない人間の血を吸うこと自体はさほど抵抗もなかったが、実行してみるとそれは思ったよりもずっと難しいことだと京は当時思い知らされた。
最初の二度三度目こそ真がフォローをしてくれていたが、いつまでもそのままというわけにはいかない。
「ねえ、覚えてる? 私が吸血鬼になってすぐの事」
「……覚えてるわよ」
黒い睫毛を伏せさせていた真が、ゆっくりとまぶたを上げなつかしいとばかりにわずかに笑んだ。
頬杖をつくその手には、いつもの黒い手袋。京もそれにならってか、いつのまにか手袋を着用するようになった。
素手で、ありのままの肌で直接触れるにはまぶしすぎる世界だ。それに、指紋を残さないという利点もある。まあ、調べられたとしても特定されることはないが。
「口元を汚すのはやめなさい、と何度言われたことか」
「普通、躊躇するものよ。害のなさそうな顔をして、相手の血を全て吸いつくさんとばかりに噛み付いていたあなたは少し、恐ろしかった」
「でも死人は出さなかったわ」
「何度か事件にはなったでしょう。それに死人が出なかったのは私がついていたからよ、まあ……今となっては、慣れたものだけれどね」
やれやれ、手のかかるしもべだこと――真が付け足して、再び目を伏せた。穏やかな表情をしている真に、余裕のなさは感じられない。
対するは、変わらない声を、聞き飽きることを通りこしてもう安堵しか感じないその声を聞くなり、瀟洒な笑みを浮かべ風を受ける京。
冬の訪れを告げる風が、二人の間を絶えず吹き抜けている。
「京」
「何?」
「覚悟はできて?」
漂う沈黙。
京は、怪訝そうな顔をしていた。何に対しての覚悟を問われたのかわからなかったらしい。言葉でその旨を伝える。
「何の覚悟?」
「……あなたの、生まれた地に着く。見知った顔とすれ違うこともあるかもしれない。知りたくもないことを知るかもしれない」
「いいわ、今更。それに、戻りたいって言ったのは私よ……気まぐれだと自分では思っていたけれど、何か思うところがあったのかもしれないわね」
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴