その扉を開けたら
◆狭山はじめ、ハラをくくる。
絵里に連れてこられたのは、二子玉川の住宅街にあるマンションだった。
「ここ?」
3階建てでそんなに大きくはないけど、窓や部屋を仕切るパーテーションの数を見ると、一戸一戸の広さはかなりのものだと感じた。
「そうよ。ここ、ある出版社が作家用に借りてるいわゆる社宅みたいなとこなの」
社宅……作家先生ってこんなとこに住めるのか。
「へぇ〜」
「アンタにやってほしいのは、この作家先生のお世話よ」
「ほぅ〜」
「ここにいる先生は、いわゆる大賞上がりの作家たちなの。出版社は最近の本離れな社会風潮に危機感を持っていて、今、出版界のスターやアイドルを育てたいわけよ。でも、せっかく育てた作家たちを他の出版社に横から掻っ攫われるのはいやなわけ。だからこういう形で作家に住居を提供して、そこでゆっくり作品を書いて貰う。作家たちは住居を提供してもらって、生活も見てもらえて、更にゆっくり自分の作品を作ることができる。まぁ、ギブアンドテイクってやつね」
「なるほど」
本が売れないっていうのはよくニュースとかで見るけど、出版社がここまでしないとダメな世の中になってきてるってことなのかな。
「でも、さすがに作家一人にひとつの住居やお手伝いさん、その他諸々の経費を出すまで会社も儲かってるわけじゃないわけだから、そこで新人作家たちを数人集めてルームシェアって形にして経費削減プラス囲い込みを図りたいと思ったんじゃないのかしら」
おお、出版社の中の人、頭いいな。
「ということで、うちに仕事がこうして降りてきたわけよ」
「なるほど!」
「それで、だけど……」
「うんうん」
「新人とはいえ、作家先生って結構変な人が多いからさ。面接は、その作家先生たちと折り合いがつくかどうかを見るためにやるのよね」
ということは、ワタシが面接されるのって、その先生たちってことか。
「まぁ一緒に暮らすわけだから、一緒に暮らす人のことは自分たちで確認したいってことじゃない?あんまり緊張とかはしなくてもいいと思うけど」
まぁダメモトだしねぇ。
「とにかく、アンタはこの仕事が決まらないとまずいわけで。私は頼まれた仕事をクリアしないとまずいわけ。そこんとこよく考えてうまくやってよね」
「うん、わかった……」
絵里が腕時計を見た。
「そろそろ時間ね、行くわよ」
しかし、ホントに普段着のままでよかったのかなぁ。
とはいえもうここまで来ちゃったわけだし、ハラくくるしかない。
「うん」
マンションに入ると、小さめながらもエントランスはしっかりと防犯されているようで、
ガラスのドアの向こうには管理人が待機できる小さな部屋もあった。
私たちが入るとその小さな部屋の小さな窓から気難しそうなオバサンが険しい目でチラリとこっちを見る。う、マジ怖そう。
絵里が入り口のパネルの前で携帯電話を取り出して誰かに電話をかけている。
「あ、いつもお世話になってます〜KOEの大田です。お待たせしました今マンションの下に…あ、はい。お願いいたします、失礼します〜」
と営業声で話す。
ちなみにこのKOEという会社名、「Kind Of Emblem」って名前の略だと表向きはいっているけど、本当は「Kakkoii Ota Eri」の略だってワタシは知ってる。
「はじめ、もう先方さん準備できてるって。行くよ」
「あ、うん」
絵里がパネルを操作すると、目の前のガラスのドアが開いた。
さっさと中に入っていく絵里の後ろについていきながらきょろきょろと周りを見渡す。
なんかホントに高そうなマンション。
エレベーターのボタンを押して待ってる間、急に心臓がドクドクと動悸しだした。
「ヤッバイなんか緊張してきた……」
「バカね、何も取って食おうってんじゃないんだから深く考えなくてもいいわよ」
「でもさぁ〜」
来たエレベーターに乗り込んで、絵里が3のボタンを押した。
3階建ての3階に部屋があるのかぁ。
「向こうは編集さん一人と先生が2人みたいだけどね。あ、言ってなかったけど採用ってことになったらアンタはうちの会社の所属になるからね」
「あ、うん」
「とにかく、ごく普通に受け答えしてれば問題ないわよ。あ、あと料理は得意って言わなくていいからね」
「なんで?」
「得意です〜なんて言って、実際作って結果まずかったらそれこそ最悪じゃない」
ソウデスネ。
エレベーターを出ると廊下があると思っていたら、実際は小さなホールがあってそこから3つの扉が見えた。なんだよこのマンションひとつの階に3つしか部屋ないわけ?
「なんかさ、すごい豪華じゃない?」
「ここ、3階だけ3戸しかないらしいよ。他の階は4戸だったかな」
「へー…」
「まぁ、アレじゃない?先生が何人か暮らすわけだから少し広い部屋とか必要なんじゃないの?よく知らないけど」
あっそう。
絵里が301号室のチャイムを押した。
モニターから「開いてますのでどうぞー」と声がしたので、ノブを回す。
「失礼しまーす、お邪魔します〜!」
絵里がいつもの営業口調で明るく言った。
予想に違わず部屋の中はすごくきれいで一瞬ビビる。
ていうか、こんなとこで住み込みできんの私……?
奥の扉が開いて、スーツを着たメガネの男性がこちらにやってくる。
「どうもどうも、お世話になってます〜こちらへどうぞ」
「あ、はい〜失礼しますー」
絵里が先立って奥へ入っていくその後ろから恐る恐るくっついていくワタシ。
「急にご連絡差し上げてご迷惑じゃなかったですか?」
メガネの人が絵里に向かってにこやかにそう言うと、絵里もにっこり笑う。
「いえいえ、皆川さんのご連絡ならいつでも大歓迎です」
なんだこの営業スマイル……いつもの絵里を知ってるだけあって、ちょっと怖い。
「あ、この方が例の」
いま気づいたみたいな顔をしてメガネの人が絵里を見た。こいつ絵里のこと気に入ってんのかしら。
「そうなんです〜、実は大学時代からの友人でして。身元は私が保証させていただきますので」
「そうなんですね!それじゃあ安心だ、ハハハ」
居間に通されて、どうぞどうぞと椅子を勧められたので言われるがままにそこに座った。
「うふふふ」
にこやかに笑う絵里がきもい。てゆうか誰だよコイツ。
テーブルの下で相手にばれないようにツンツンつつくと、ワタシの意図に気づいたのかこちらを見て紹介を始める絵里。
「皆川さん、ご紹介させていただきますね」
「こちらが今回面接させていただく【狭山はじめ】です。はじめ、こちらに住んでいる先生の編集担当をされている皆川さんよ」
ここでやっと、はじめましてとお互いの挨拶が済んだ。
お茶も出てきて10分ほど和やかに会話がはずんだところで
「ところで今日の面接ですが……他の先生方もご一緒と伺っておりましたけれども」
このメガネもとい皆川氏以外の人が見当たらなくて、絵里がそう切り出すと、
「そうなんですけど、実はいまちょっと筆が乗っているとかで…申し訳ありませんが、ちょっとお待ちいただけますか」
「えぇかまいません」
にっこりして絵里がそう言ったけど、ワタシは正直早く終わらせて帰りたかった。
「ボクの見立てですと、狭山さん非常に良さそうな方なので大丈夫だと思うんですけどね」