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城塞都市/翅都 40days40nights

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 あんまり広くはないけれど、よく整頓された部屋だった。壁際に座り心地のよさそうなソファ。部屋の隅に大きな本棚があって、その傍に小さな机と椅子がある。レースのカーテンが吊るされた窓には鎧戸が下りていて、外は見えなかったけれど光の気配がまったくなかったから、多分夜なのだろう。眠っていたベッドはマットレスも枕もふかふかのふわふわの上に、更に上等な更紗のシーツとカバーが掛けられていて、もしかしなくても高級品のようだ。
 こんな高そうなもの、涎でもたらしてたら持ち主に怒られるかも、と思って枕を点検していると、どこかから人の話し声がしていることに気がついた。ふと見てみれば、窓のある壁の向かい側にドアがあって、甘い空気と話し声は、その細く開いたドアの隙間から流れてくるのだった。
「次のパンケーキ、焼けたわよ。どっちが食べるの?」
「俺に決まってンだろ。解りきったこと聞くな。さっさと寄越せ」
「イーシュアン、いい加減食べすぎじゃない?ほんと虫歯か糖尿になるまえにやめたら?」
「何食ってどんな病気になろうが俺の勝手だっつーの!!」
 そっとベッドを降りて、ドアに近づく。細く開いている隙間に指を入れて、ほんのちょっと広げると、途端に光と音と匂いの気配が強くなる。
 覗き込むと、隣の部屋ではテーブルについて食事をしているらしい人たちが三人ほど居るらしかった。黒髪の二人はドアの陰で後頭しか確認できなかったけれど、その二人の間を湯気の立つフライパン片手にせっせと動き回っているスマートな女の人の姿は、狭い隙間からでもよく見える。
「はいはい、解ったから静かに静かに。向こうで人が寝てるのよ。大きな声は控えて頂戴……あら?」
 歳は二十歳ぐらいだろうか。派手な柄のワンピースを身に纏い、緩く波の形を描く赤毛を首の後ろで一つに束ねたその人は、呆れたようにそんなことを言いながら、ふと視線をこちらに向けた。
 わたしが慌てて身を引くより早く、その人の明るい鳶色の視線とわたしの視線とがばっちり合った。同じように、見つかったと思ってベッドに逃げ込もうとしたわたしより、その人がつかつかと歩み寄ってきてドアを大きく開ける方が、やっぱり早かった。
「起きたのね。おはよう。気分はどう?アキ、イーシュアン。気がついたみたいよ、この子」
「おー。やっとお目覚めか。待ちくたびれたぜ。アキ、ジョシュア呼べや」
「あーい。ターシャ、ジョシュア呼ぶけど少しだから、いいよね?」
 逃げ損ねて壁際に寄り、堅く縮こまっているわたしを見下ろして、赤毛の人は朗らかな声で言いながら背後の部屋を振り返った。
 呼びかけに、どこかで聞いたことのある声が答える。その声にまったく同じ声が重なって、なんだか一人で二人分喋ってる人が居るみたいだ。
 わたしはちょっと瞬きをした。
「あたしが嫌だって言っても、呼ばなきゃどうしようもないでしょ。ただし、この子が怖がるような話はしないでね。解った?」
「現状でそれは無理だと思うんだけどなぁ……おーい、ジョシュア!あの子、目が覚めたよー」
「なんだよ、ターシャ。お前、まだジョシュアのこと嫌ってんのか?」
「自分の亭主に危ない橋渡らせてる張本人を好きって言える女が、この世に居ると思う?まったく……そうそう、それよりあなた、ね。大丈夫?」
 投げられた会話は軽快に飛び交って、不意にこっちに戻ってきた。赤毛の人が見下ろすのに反射的に頷けば、赤毛の人は「そう?」と首をかしげてにっこり笑う。
「アキとイーシュアンが、気を失ってるあなたをここに運んできたのよ。なんだかとても怖い目にあったんですってね。でもここは安全だから、安心して休むといいわ。あ、それでちょっとあなたの着ていたものが汚れていたから、申し訳ないとは思ったのだけど、勝手に着替えさせてもらったの。ごめんなさいね。でもそれ、あたしのお古なんだけど、とても似合ってるわよ。もし良かったらそれは差し上げるから、着替えにでもして頂戴。あ、そうだ、何か食べる?スープがあるの。それとパンケーキと、ジャムと、生クリームと……あらやだ、甘いものばっかりだわね。もし良かったら、なにか塩っけのある物も作るわよ。何か食べたいものある?っていうか、その前に自己紹介よね。あたしはアナスタシア。皆ターシャって呼ぶわ。で、あなたは?」
 ほとんどワンブレスでそこまで言ってから、赤毛のひとはニコニコとわたしを見下ろした。
 言われて見れば、わたしが着ていたのはいつも寝巻き代わりにしていたジャージじゃなく、ストンとした形の生成り色のワンピースで、寝ている間に何かされたんじゃないかとか、普通なら疑うべきところだった。けれども、その時は怪しいとか怖いとか思うよりも先にその喋り方に圧倒されてしまって、辛うじて理解できたのは、最後に名前を聞かれたってことだけだったのだ。
 綺麗だけど、機関銃みたいに喋る人である。おずおずと見上げると、答えを待つように首を傾げていた赤毛の人……ターシャさんは、ニコニコ笑いながらわたしを見下ろした。
 とりあえず、悪い人ではないようだ。震える喉を励まして息を吸う。先ずは名前。それから、わたしがこんなところにいる事情。聞きたいことも、言わなきゃいけないこともたくさんあった。
 けれど。
「――……」
 出したつもりの声が出なかった。
 瞬きをして、喉を抑える。気のせいかと思った。でも開いた口からは気の抜けたような空気の漏れる音しか出てこなくて、わたしは素で吃驚した。
 もう一度試す。口がぱくぱく言うだけで、声が出てこない。なんだか、上手く言えないけど、明らかにおかしい。
「どうかした?苦しい?喉が痛いの?」
 結構必死で口をぱくぱくさせてるわたしに、ターシャさんは鳶色の目を真ん丸く見開いて心配そうに言った。
 わたしは首を振って、だってそんなはずがない。今朝まではちゃんと喋れてたのに。喉を押さえて声を出そうとしているのを見て、ターシャさんが怪訝な顔をする。
「……もしかして、声が出ない?」
 ターシャさんが聞いた。わたしが一瞬ぽかんとして、それから慌ててこくこくと頷くと、「あらやだ」と両手で口許を覆う。
「たーいへん!アキ、イーシュアン!ちょっと、大変よ!」
「「「どうした?」」」
 叫びに答えた声は、さっきより一人分増えて三方向のサラウンドになっていた。
 ついさっきまでちゃんとステレオ放送をしていたテレビが壊れて、いきなり多重音声放送を始めたような声の重なり具合に少し混乱しかけた瞬間、ターシャさんに腕をつかまれて、押されるようにして足を進める。
 押されて入った隣の部屋は暖かく、やわらかい色合いの灯りと、甘い匂いに満ちていた。部屋の奥には台所が設えられ、その脇に上に続く階段と、下に続く階段とが一つずつある。
 大きなダイニングテーブルに椅子。ソファにクッション。そういった全部がちょっとした食堂と言った雰囲気で、その部屋の広さとまぶしさに気圧されて足を止めれば、豪華な朝ごはんを思わせる山ほどのパンケーキやクリームやジャムの皿が並ぶテーブルの向こう側から、男の人が三人、わたしをじっと見つめているのに気がついた。