自転車系青春小説 -チャリ校生-
5
――放課後の教室には、誰もいなかった。当たり前かな。ほとんどの人は帰ったり部活だろうから。
僕はついさっき、ミコに別れを告げたばかりだ。きっと明日からは、赤の他人のように過ごすだろう。それはたまらなく寂しいかもしれないが、彼女の顔が、僕のせいで憂鬱に染まることはもうこれからはないだろう。苦しむのは僕一人だけでいい。
僕は鞄を背負い、教室のドアを出て、昇降口へと向かう。
「待って!」
と、後ろから声をかけられた。またか……。
僕は振り返って、
「なんですかもう!放っておいてと言ってるでしょう!」
と叫んだ。そこにいたのは、さっき僕の肩を掴んだらしき男子高生と、女子高生だった。
「あんた、彼女があんたに、伝えたいことがあるんだよ……。」
そう言う彼女の息は上がっている。
「言いたい……こと?」
僕はその言葉に反応した。
「そう!彼女ね、今日で学校やめるのよ!」
彼女は僕に対して、叫んだ。なんだ、なんだそれは。
「え、や、やめるって……?なんで?」
嘘にしてはタチが悪すぎる。もしかして本当かもしれない。
「知りたいでしょう!?どうしてか!彼女ね、もう駅に向かってるのよ、車で。」
「えっ……?」
彼女はここで一息置いて、
「知りたいなら、連れて行くから。彼女の元へ、私が。」
彼女の目は、真剣だった。
なぜだ。どうして全然関係のないはずのこの人たちが、僕に関わろうとしている。もしかすると本当に、なにかわけがあるのかもしれない。僕が抱えているのよりも、もっと大きな……。
「で、でも……。」
でも、僕にはもう関係のない話だ。僕とミコはもう、他人じゃないか。いまさらそんなこと言っても、僕には関係のない。
「あの子の話も聞いてあげなよ!」
彼女が、強く叫んだ。
「あんたがあの子と別れるかどうかは、あの子の話を聞いてから決めてもいいじゃない!」
僕は、その言葉で心が揺らいだ。確かにさっきの僕は、一方的過ぎたのかもしれない。やっぱり、ちゃんとミコと向かいあって話をしよう。僕はそう思った。
「お、お願い……します…!」
僕は彼女に、お願いした。
なんて情けないのだろう。一度別れたミコのことを、まだ気にしているなんて。でも、知りたかった。この人たちがここまでして僕を巻き込もうとしているわけを。
目の前の彼女はふっと微笑んで、
「分かった。」
とだけ言った。そう言って、すぐに駆け出す。僕も慌ててついて行く。
「がんばれ、ハヤセ!」
男子高生が、彼女にそう声をかけた。
そうやって彼女について行った先は……、
駐輪場だった。
「えーっ!」
僕はたまげて声を上げたね。いやだって、てっきり車で行くものだと思っていたから。
「あの……。」
僕はいくつか浮かぶ疑問のひとつを、彼女に問いかけることにした。
「どうして、僕に、ここまで?」
彼女は僕の問いを聴いて、足を止めて振り返った。そして言った。
「ごめんね。私、子供だから。どうしてもアンタが、嘘ついてるようにしか見えなかったんだよ。さっき、ここであの子に別れ話出したときもそんな辛い顔して、なにが良いってのさ。アンタら、付き合ってたんでしょ?付き合うってのはね、どんな理由があったって、互いが好きな限りは絶対に、別れるなんてしちゃいけないんだよ。」
彼女は強く僕を睨んで、とどめに言った。
「アンタ、幸せ捨ててるよ。」
「……。」
僕は、からかわれて、いじられて、時には冷たい扱いを受けた。もちろん幸せじゃなかった。
「アンタの彼女が辛い顔してるのは……!」
そのときの僕の顔も、もちろん辛い顔をしていたはずだ。
「アンタと一緒でいたかったから!一緒に苦しんで、泣いて、笑ってさあ!アンタと一緒に、辛いことも分け合おうとしたんだよ!」
ミコはそんな僕を、救いたかったのかもしれない。
「きっと……。私は、そう思う……。」
「そう、ですか……。」
僕はミコの気持ちなんか、おそらくこれっぽっちも分かってはいなかったんだ。一方的にミコの表面的な顔だけで、すべてを勘違いしてしまっていたんだと思う。僕はそんなことを、目の前の彼女に気づかされた。
「急ぐよ。ほら、後ろ乗って。」
彼女はそう言って、何の変哲もない自転車にまたがった。まさかこれで向かうのか……?しかし、彼女はどうやら本気で言っているらしい。仕方ないので後ろの荷台に乗った。
「つかまってな。しっかりとね。」
彼女の声が聞こえた瞬間。
自転車は、走り出した。
それも、並大抵ではない速さで。
「わっ!わわっ!」
僕は驚いて間抜けな声を出してしまった。その速さにも驚いたが、なんと彼女は立ち漕ぎではなく、サドルに座って漕いでいたのだ。すさまじい脚力である。
「ふん!ぬっ!くそう!」
彼女は時折声を漏らして漕ぐ。太り気味の僕を乗せて漕いでいるのだ。一苦労だろう。申し訳なくなってしまった。
やがて僕らは、大きな道路に出た。車道が片側二車線の、下り坂だ。車の通りが多く、交差点も多い。そこを僕らは車道の端を進む。
「あっ!赤になる!間に合え!」
彼女は交差点に差し掛かるたび、そうやってギリギリ赤になるかならないかのところで進入する。何箇所か交差点を過ぎた後、道は緩やかな左カーブになる。
と、そこで僕は、後ろから大きな騒音が近づくのを感じた。いや、これは言葉がおかしいかもしれないが、そんな風に感じたんだ。とにかく。そこで振り返ると……。
「わっ、トラック!トラック!」
後ろから大きなトラックが迫っていた。
「よけてよけて!」
僕は彼女に向けて伝えたが、彼女は。
「そんな余裕はない!」
と、がむしゃらに漕ぎ続ける。
「ぬあーっ!」
彼女が今までよりも強く漕ぎ始めた。おそらく最大限の力だ。僕はもう一度振り返ると……。
「わっ、引き離してる!引き離してる!」
トラックがどんどん後ろに遠ざかっていた。
「舌噛むから黙れ!」
彼女がもうかすれかすれの声で叫んだ。これ以上彼女に負担をかけてはいけないと思い、僕はだんまりした。
彼女はとんでもない人なのかもしれない。だって、自転車で、しかも太めな僕を乗せて、自動車よりも速く走るなんて。
そういえば噂に聞いたことがある。僕たちが通う学校には、自動車よりも速く走る、自転車タクシーがいると……。おそらくは、彼女がそうなのかもしれない。
「間に合わないかも……。」
前で漕ぐ彼女がそんな言葉を漏らした。気がつけば、自転車のスピードはどんどん落ちているのが後ろに乗る僕でも感じられた。きっと今ので力を使い果たしてしまったんだ。僕は薄々そうなるんじゃないかと思っていた。ここまでしてくれたんだ。僕はもう彼女に感謝してもしきれない。ミコにはあとでケータイで連絡しておけば、もう僕は構わなかった。
「あの、もう僕……、」
「アレを使うしかないか……。」
僕が彼女に降りたいと伝えようとしたとき、彼女がまた意味深な言葉を口にした。アレってなんだ。まさかまだ彼女には秘めたる力が……?
作品名:自転車系青春小説 -チャリ校生- 作家名:東屋東郷