春雨 03
本当に高梨は凄いと思った、こうも無邪気に美智の話を出してくれるとは思わなかった。さすがの片桐もいっしゅん顔が引きつっていた。
しかし、すぐに笑顔を作ると話題に加わる。こういうところが美智と少し似ていると思う。何か言われても、直接反論しない。とっさに合わせる振りをする。
もしかしたら2人の時もお互い遠慮してうまくいかなかったのだろうか?
「そんなにもてないって。あれはたまたまだよ。それより高梨は好きな奴いないのか?」
「えー残念ながら今はいないですねー。鷹凪先輩と一緒ですよ」
なぜかこっちを見て言う。
「俺と一緒にするなよ」
「えーいいじゃないですか。彼女いない物同士仲良くしましょうよー」
「そんなの嬉しくないね」
わざと冷たく言うと、高梨も合わせてわざと情けない顔をする。片桐はおかしそうに笑っていたが、ふと、口を開いた。
「じゃあ美智なんてどう? 今ならお買い得だぜ。傷心を慰めれば絶対落ちるって」
…正直、こいつがそんな風にいうとは思っていなかった。
「えーそんな余り物みたいに言ったら可哀想ですよ、ねえ、鷹凪先輩?」
「…あ、ああ。そうだな」
相づちを打つ。だがさっきみたいに笑えなかった。
いくら別れた女だと言っても、まだ自分のことを引きずっていることぐらい分かっているだろうに。自分が幸せになったら正直迷惑なのも分かる。でもこいつなりのジョークにしては質が悪すぎる。
こんな風に言われていると知ったらきっとあいつは傷つくだろう。
その時、
がしゃんっ!
真後ろから大きな音がして、俺は慌てて振り向いた。
俺のちょうど後ろにはさっきの自販機があって、その人物はちょうどジュースを買ったところだったようだ。しかし今の音は、わざと何かを叩いた音のように聞こえなくはない。
そこに立っていたのは、秋田香だった。
彼女はものすごい形相で片桐を睨んでいた。
「おい、待てよ」
何で俺が追いかけるのか、自分でもよく分からなかった。
言われた当の本人は早足で走っていた足を止める。しかしこちらを振り向こうとはしない。
やっと真後ろまで追いつくと、秋田の正面へと回り込んだ。
彼女の顔を覗く。
「…なんでお前が泣くんだよ」
「悔しかったんですよ。美智があんな風に言われてるの聞いて」
さすがに俺の前で泣くのは嫌だったらしい。赤い目を必死にこすって泣くまいと平気そうな振りをする。
これじゃあ、傍目に見てると俺が泣かせてるみたいじゃないか? とっさに周囲を見回すが、幸い、誰の姿も見あたらなかった。
「何で先輩が追いかけてくるんですか?」
彼女は至極当たり前の質問をした。
確かにそうだ。俺は片桐のフォローをするほどあいつと親しくもないし、秋田を慰めるつもりもない。ただ、あの場に気まずい雰囲気を残したまま黙って座っているのは嫌だっただけのはずだ。それなのにここにきてしまった。
つくづく損な性分だと思う。何もなかったかのようにコートに戻れば良かったのだ。
言葉に詰まった俺の真意を、秋田は勘違いしたらしい。
「先輩こそ、さっきまで楽しそうに相づち打ってましたよね。でも別に先輩のことは黙っておきますよ。リーダーなのにあんな話してたなんて聞いたら、女の子達引いちゃいますもんね。せっかくめぐみ先輩と付き合ってないってフリー宣言したのに、彼女も出来なくなっちゃいますよね」
妙にとげのある台詞だ。彼女の怒りは相づちを打っただけの俺にも向いているらしい。てゆーか、こいつ結構前から話し聞いてたのか?
「俺の事は黙っておくって…片桐のことは話すつもりなのか?」
「当たり前じゃないですか。言われたまんまじゃ美智が可哀想」
「言うなよ」
その口調に一瞬秋田の視線がかみつく様に俺を睨んだ。命令口調が気に入らなかったらしい。
「言うなって。特に美智には絶対言うな」
「何で先輩にそんなこと言われなくちゃいけないんですか?」
「自分があんなこと言われてるって聞いたら、美智は傷つくだろ」
その台詞に彼女ははっとしたような顔をした。
やはり、あまりの怒りに冷静な判断を忘れていたようだ。あれを本人に言うということは、影で言われている悪口を本人に報告するようなものだ。秋田はきっと、片桐が美智に対して誠実でないことを怒っていて、それを彼女に訴えたいのだろうけど。余計な事を言えば美智の傷を広げるだけだ。
香は納得したようだが、俺に言われたのがショックだったのか、くやしそうに続ける。
「言われなくても言いません。でも先輩こそあの時は楽しそうに話してたじゃないですか」
楽しそうに話していたつもりはない。何より、こいつは俺の真後ろに立っていたのだから、きっと俺の顔なんて見えていなかっただろうに。
「はいはい、俺も悪かったよ」
だがここは俺は素直に折れておく。こいつもお子様決定。お子様にムキになっても仕方ない。
「だけど片桐も本当に冗談だけであんな台詞言ったんじゃないだろ」
「それは本気で他の男に前の彼女を勧めたってことですか? 自分のこと好きでいられると重いから?」
「違うよ。俺には強がってるだけに見えたけどね。男の余裕ってやつを見せたかったのかもな」
「そんなの余裕なんて言いませんよ。男って情けないですね」
即座に辛辣な言葉が返ってくる。こういう所は香らしい。少し余裕が出てきた様だ。
「へーへー、確かに男は情けないよ」
情けないと思う。俺だってもっと男らしければ、きっとあれをここまで引きずったりしないだろーに。まあ、今はそれはどうでもいいことだ。
「さっきだって、お前がいるって気付いた途端、片桐の奴、必死で辺りを見回してたよ。美智がいないか慌ててたんだろ」
あのうろたえた顔は見物だった。きっと香は気付いていなかっただろうが。
案の定「え、本当? おしいもの見逃した~」と悔しがっていた。
しかし、と俺は内心独りごちた。
(いくらリーダーとはいえ、どうして俺が片桐のフォーローしなくちゃいけないんだ?) これも性分、とあきらめられればきっと楽だろうに…
俺はその日の深夜と呼ばれる時間帯。もうすっかり暗くなった中、歩きで帰途についていた。
というのも、その夜は何人かが集まって飲み屋へと流れ込んだからだ。
久しぶりに酒を飲んで、みんなと騒いだ。突然の催しだった為、集まる人数も少ない。実はここの所、飲み会だと、運転手をしなければならず、酒が飲めない事も多かった。雰囲気だけでも楽しめるがやはり物足りない。今回は参加人数もそれほど多くなく、自分の車で来てる奴も多かったから、思いっきり酒を飲ませてもらった。
酒は弱くはない。はっきりいって、2~3杯では顔色1つ変わらない。それでもほのかにいい気分になって、意味のないことで騒いで。そうしたらすっきりした。
サークルでは慣れないリーダー役を押しつけられ、授業でも専門的な実習が増えたり、自分が思っていたよりもストレスが溜まっていたらしい。
といっても一応今回も飲みながらも全体の様子を気にはしていたが。それでも人数が少ない分楽だった。