春雨 03
泣きながら何度も同じ言葉を繰り返していた彼女。
一緒にいた年月は決して短くはないし、もっと楽しい想い出はいくつもあったはずなのに。
思い出すのは、あの時の泣き顔だけ。
何度も「ごめんなさい」と呟いていた彼女。
欲しい言葉は、そんな言葉なんかじゃなかったのに。
今日は『テニスをしよう』の企画だった。このこっ恥ずかしい題名は何とかならないものか。
「あれ?」
俺は休憩と称してコート脇のベンチに座っていた。
テニスを楽しむメンバーの様子を眺めて、とある人物がいないことに気が付く。
「どうしたの? 克哉?」
見ると、めぐみがジュースの缶を手にして立っていた。
「隣、座っていい?」
一応聞くが、彼女は俺の返事を待たずにベンチの隣に腰掛けた。
缶は最近出たばかりのジュースだった。俺には甘すぎて自分からは飲まない。
「いや、今日はいないんだなと思って」
「誰が?」
「お子様」
「…?」
言葉の意味が分からなかったのかめぐみは困った様に眉を寄せてこちらを見た。俺は彼女の持っていたジュースを奪い取ると、それを口に含む。
「…うわっあまっ。良くこんなの飲めるよな」
「克哉が黙って飲んだんでしょ? どうして私が文句言われるのよ」
「一口だけ欲しかったんだよ。仕方ねーな。自分で買いに行くか…。
自販機ってどこにあった?」
「コート出て左に行った方。休憩所があって何人かいたから、行けばわかると思うわ」
めぐみはややあきれながらも丁寧に教えてくれた。
俺はズボンにあったポケットから財布を取り出して中身を確認する。小銭しかない財布には百円玉が3つと十円玉が2つ。一円玉が何枚か。
貧相な財布だが自分のジュースを買うくらいの金は入っていた。俺は金網に囲まれていたコートから出ると、左に向かって歩き出す。
夏に近づいたこの時期、昼間だと気温は25℃近くにもなる。半袖を着ていても、屋外で運動となると汗もかくし喉も渇く。
先程までラケットを持ってテニスコートをかけずり回っていたのだ。おまけに甘ったるいジュースのせいで、ますます喉が水分を欲していた。
少し歩くと、見覚えのある顔が何人か、缶を片手に話し込んでいる姿が見える。同じサークルのメンバーだ。ほとんどが男で、地面に直接腰掛けて話している。
彼らの横に目的の自販機があった。俺がそちらへ近づいて行くと、彼らが俺に気付いた。「よお、克哉。お前もジュース買いに来たのか?」
声を掛けてきたのは俺と同じクラスの森崎徹だった。まだ熱心に話し込んでいるメンバーもいるなか、彼だけが俺の方へと近寄ってきた。
「ああ、喉乾いたんだ。それよりお前ら、いつからここにいるわけ?」
「あーかれこれ20分位かな。つい盛り上がってさ。ほら、克哉もそんなリーダーみたいなこと言ってないで、一緒に休憩しようぜ」
「リーダーみたいじゃなくて本当にリーダーなんだよ」
こいつは俺にリーダーを押しつけた奴の一人だ。本当はこんな面倒な役割を引き受けたくなかったのに、知らぬ間に組織票が集まって俺がリーダーに決まっていたのだ。
「まあまあ、こっちに来いよ」
森崎に引っ張られて他の男どもが作っている円の端に座らされそうになる。
「ちょっと待てよ。俺は飲み物買いに来ただけなんだよ」
俺は森崎の手をやんわりほどくと、立ち上がって、すぐ横にあった自販機の前に立つ。 森崎はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、その場はおとなしくなった。
自販機の前で考え込む。
スポーツドリンクと炭酸飲料。どちらにしようか。
ここはやっぱりすっきりとスポーツドリンクで行こうか?
懐から財布を取り出すと、小銭を探る。
その最中も横から話し声が聞こえていた。どうやら最近つきあい始めたカップルの話で盛り上がっているらしい。当の男もその場にいて、のろけ話を聞き出されていた。
まったく、女ならともかく、いい年した男が白昼堂々と恋愛話に花を咲かせるなよな。 ガコンと音がして缶が出てくる。俺はしゃがんでそれを取ると、さっさとこの場から逃げ出そうとした。
が、やはり森崎に留められた。
「ほら、克哉もこっち来いよ」
あいつが俺を引き留める理由はだいたい想像がつく。
俺は仕方なく彼らと一緒にその場に座る。手に持っていた缶を開けると、一気に喉に流し込んだ。
「克哉、こいつさあ、えりちゃんに浮気がばれて修羅ばったらしいぜ。ばっちり本人に目撃されてんの」
「でもお前だってこの前アリバイ作りに協力してやっただろ?」
ひとしきり浮気の話で盛り上がった後、今年入ったばかりの高梨が口を開いた。
「そういえば鷹凪先輩って彼女いないんすか?」
やたらと人なつっこいキャラクターのこいつは、誰とでも気兼ねなく会話をする。俺も何度か話した事があるが、感じのいい奴だと思う。
たまに遠慮なくこういう質問をしてくるが。俺のことは暗黙の了解というか、今までわざわざ聞いてくる奴はいなかったのだ。
「…別にいないよ」
「えーじゃあ、めぐみ先輩とは付き合ってないんですか?」
他の誰かが遠慮して聞いてこないこともこうして堂々と聞ける所はすごいと思う。
俺が恋愛の話を嫌う理由のうちの1つはここにある。必ずめぐみとの関係を疑われる事。
いままで面倒で曖昧にかわしてきたが、いい加減はっきり言っておく方がいいだろう。
めぐみは否定するといい顔はしないが…
「めぐみとは何もないよ。あいつとは友達以上の関係はない」
「えー、俺先輩達は付き合ってると思ってましたよ。感じ良くないですか?」
周囲の視線が集まる。こういう注目のされかたは何とも居心地が悪い。
「本当に何にもないよ。お互いそういう感情はいっさい持ってない。何ならめぐみにも聞いてみろよ」
ここまではっきり言えばさすがの高梨も半信半疑ながらも信じたようだ。
確かに俺たちは仲がいい。一般的な男女の友達以上に親しいという自覚はあった。が、俺にしてみれば、あいつは友達以上には見た事はない。きっとこれからもないだろう。
「じゃあ、めぐみは今フリーってこと?」
横から口を出したのは森崎だった。彼だけではなく何人かの男の視線が痛い。ようするにこいつらは俺を押しとどめてこの質問がしたかったのだろう。
「さあ、彼氏がいるって話は聞かないけど」
曖昧な返事をする。ここで密かに期待する男も少なくない。めぐみに恨まれそうな気がしたが、俺はもう男避けの友人役はお役ご免にしたかった。
そんな先輩達の思惑など知らない高梨は、俺をからかえないと分かって標的を替えたようだ。
「そういえば片桐先輩は霧杢とうまく言ってるんですか?」
それまでどちらかといえばおとなしかった片桐が口を開いた。
「ああ、すげえうまくいってるよ」
「向こうから告白されたって本当ですか?」
「そうそう、呼び出されて突然言われて。速攻でオーケーしたよ」
鼻の下を伸ばすような口調でいう奴を見て、美智の顔が脳裏に浮かんだ。
「へえ、羨ましいなあ。片桐先輩は美智とも付き合ってたじゃないですか? 別れた直後に霧杢でしょ? もてもてで羨ましいなあ」
一緒にいた年月は決して短くはないし、もっと楽しい想い出はいくつもあったはずなのに。
思い出すのは、あの時の泣き顔だけ。
何度も「ごめんなさい」と呟いていた彼女。
欲しい言葉は、そんな言葉なんかじゃなかったのに。
今日は『テニスをしよう』の企画だった。このこっ恥ずかしい題名は何とかならないものか。
「あれ?」
俺は休憩と称してコート脇のベンチに座っていた。
テニスを楽しむメンバーの様子を眺めて、とある人物がいないことに気が付く。
「どうしたの? 克哉?」
見ると、めぐみがジュースの缶を手にして立っていた。
「隣、座っていい?」
一応聞くが、彼女は俺の返事を待たずにベンチの隣に腰掛けた。
缶は最近出たばかりのジュースだった。俺には甘すぎて自分からは飲まない。
「いや、今日はいないんだなと思って」
「誰が?」
「お子様」
「…?」
言葉の意味が分からなかったのかめぐみは困った様に眉を寄せてこちらを見た。俺は彼女の持っていたジュースを奪い取ると、それを口に含む。
「…うわっあまっ。良くこんなの飲めるよな」
「克哉が黙って飲んだんでしょ? どうして私が文句言われるのよ」
「一口だけ欲しかったんだよ。仕方ねーな。自分で買いに行くか…。
自販機ってどこにあった?」
「コート出て左に行った方。休憩所があって何人かいたから、行けばわかると思うわ」
めぐみはややあきれながらも丁寧に教えてくれた。
俺はズボンにあったポケットから財布を取り出して中身を確認する。小銭しかない財布には百円玉が3つと十円玉が2つ。一円玉が何枚か。
貧相な財布だが自分のジュースを買うくらいの金は入っていた。俺は金網に囲まれていたコートから出ると、左に向かって歩き出す。
夏に近づいたこの時期、昼間だと気温は25℃近くにもなる。半袖を着ていても、屋外で運動となると汗もかくし喉も渇く。
先程までラケットを持ってテニスコートをかけずり回っていたのだ。おまけに甘ったるいジュースのせいで、ますます喉が水分を欲していた。
少し歩くと、見覚えのある顔が何人か、缶を片手に話し込んでいる姿が見える。同じサークルのメンバーだ。ほとんどが男で、地面に直接腰掛けて話している。
彼らの横に目的の自販機があった。俺がそちらへ近づいて行くと、彼らが俺に気付いた。「よお、克哉。お前もジュース買いに来たのか?」
声を掛けてきたのは俺と同じクラスの森崎徹だった。まだ熱心に話し込んでいるメンバーもいるなか、彼だけが俺の方へと近寄ってきた。
「ああ、喉乾いたんだ。それよりお前ら、いつからここにいるわけ?」
「あーかれこれ20分位かな。つい盛り上がってさ。ほら、克哉もそんなリーダーみたいなこと言ってないで、一緒に休憩しようぜ」
「リーダーみたいじゃなくて本当にリーダーなんだよ」
こいつは俺にリーダーを押しつけた奴の一人だ。本当はこんな面倒な役割を引き受けたくなかったのに、知らぬ間に組織票が集まって俺がリーダーに決まっていたのだ。
「まあまあ、こっちに来いよ」
森崎に引っ張られて他の男どもが作っている円の端に座らされそうになる。
「ちょっと待てよ。俺は飲み物買いに来ただけなんだよ」
俺は森崎の手をやんわりほどくと、立ち上がって、すぐ横にあった自販機の前に立つ。 森崎はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、その場はおとなしくなった。
自販機の前で考え込む。
スポーツドリンクと炭酸飲料。どちらにしようか。
ここはやっぱりすっきりとスポーツドリンクで行こうか?
懐から財布を取り出すと、小銭を探る。
その最中も横から話し声が聞こえていた。どうやら最近つきあい始めたカップルの話で盛り上がっているらしい。当の男もその場にいて、のろけ話を聞き出されていた。
まったく、女ならともかく、いい年した男が白昼堂々と恋愛話に花を咲かせるなよな。 ガコンと音がして缶が出てくる。俺はしゃがんでそれを取ると、さっさとこの場から逃げ出そうとした。
が、やはり森崎に留められた。
「ほら、克哉もこっち来いよ」
あいつが俺を引き留める理由はだいたい想像がつく。
俺は仕方なく彼らと一緒にその場に座る。手に持っていた缶を開けると、一気に喉に流し込んだ。
「克哉、こいつさあ、えりちゃんに浮気がばれて修羅ばったらしいぜ。ばっちり本人に目撃されてんの」
「でもお前だってこの前アリバイ作りに協力してやっただろ?」
ひとしきり浮気の話で盛り上がった後、今年入ったばかりの高梨が口を開いた。
「そういえば鷹凪先輩って彼女いないんすか?」
やたらと人なつっこいキャラクターのこいつは、誰とでも気兼ねなく会話をする。俺も何度か話した事があるが、感じのいい奴だと思う。
たまに遠慮なくこういう質問をしてくるが。俺のことは暗黙の了解というか、今までわざわざ聞いてくる奴はいなかったのだ。
「…別にいないよ」
「えーじゃあ、めぐみ先輩とは付き合ってないんですか?」
他の誰かが遠慮して聞いてこないこともこうして堂々と聞ける所はすごいと思う。
俺が恋愛の話を嫌う理由のうちの1つはここにある。必ずめぐみとの関係を疑われる事。
いままで面倒で曖昧にかわしてきたが、いい加減はっきり言っておく方がいいだろう。
めぐみは否定するといい顔はしないが…
「めぐみとは何もないよ。あいつとは友達以上の関係はない」
「えー、俺先輩達は付き合ってると思ってましたよ。感じ良くないですか?」
周囲の視線が集まる。こういう注目のされかたは何とも居心地が悪い。
「本当に何にもないよ。お互いそういう感情はいっさい持ってない。何ならめぐみにも聞いてみろよ」
ここまではっきり言えばさすがの高梨も半信半疑ながらも信じたようだ。
確かに俺たちは仲がいい。一般的な男女の友達以上に親しいという自覚はあった。が、俺にしてみれば、あいつは友達以上には見た事はない。きっとこれからもないだろう。
「じゃあ、めぐみは今フリーってこと?」
横から口を出したのは森崎だった。彼だけではなく何人かの男の視線が痛い。ようするにこいつらは俺を押しとどめてこの質問がしたかったのだろう。
「さあ、彼氏がいるって話は聞かないけど」
曖昧な返事をする。ここで密かに期待する男も少なくない。めぐみに恨まれそうな気がしたが、俺はもう男避けの友人役はお役ご免にしたかった。
そんな先輩達の思惑など知らない高梨は、俺をからかえないと分かって標的を替えたようだ。
「そういえば片桐先輩は霧杢とうまく言ってるんですか?」
それまでどちらかといえばおとなしかった片桐が口を開いた。
「ああ、すげえうまくいってるよ」
「向こうから告白されたって本当ですか?」
「そうそう、呼び出されて突然言われて。速攻でオーケーしたよ」
鼻の下を伸ばすような口調でいう奴を見て、美智の顔が脳裏に浮かんだ。
「へえ、羨ましいなあ。片桐先輩は美智とも付き合ってたじゃないですか? 別れた直後に霧杢でしょ? もてもてで羨ましいなあ」