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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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『ココロの距離』幕間集

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『気分転換、もしくは休息の一日』-2

 夏からこちら、企業説明会や就職セミナーと、少しでも暇があれば就職活動にいそしんでいる。卒業論文の準備も、厳しいと評判の担当教授の元でずいぶん真面目にやっているようだ。休日は休日で、バイトを集中的に入れているからたぶんあまり休んでいない。疲れているのは当然だった。
 元来かなりマイペースな柊がそこまで気合いを入れているのは、きっちり4年で卒業、なおかつ新卒で就職するために他ならない。卒論はともかく就職に関しては、いまだ厳しい不況を早くも実感させられているからでもあるだろうが、意地もだいぶあるのだろうと感じていた。言うまでもなく、姉の公美に対しての。
 去年、大手の法律事務所に就職した彼女は、来年には正式に弁護士になると聞いている。自分もせめて新卒で就職を果たさなければ格好がつかない——というよりは、何を言われるかわからないと危惧しているに違いない。
 奈央子の目から見ても、公美の弟への態度や言葉が、相当に手厳しいのは確かだ。
 ……先週会った時にも、柊に連絡しようとした奈央子に対し、実際には『あんなのはどうでもいいから』と言った。ストレートに伝えると彼は確実に落ち込んでしまうから違う言い方をしたが、本当はどう言われたか察していたかもしれない。
 彼女なりに真面目に心配するからこその極端な言動なのだと、奈央子にはわかっている。だが、年中「あんなの」呼ばわりされる当人からすれば、素直にそうは思えないだろう。だから、柊が意地になるのもある程度はうなずける。
 ——けど、わたしに対してまでそんなふうに思う必要なんかないのに。
 柊が自分に対し、引け目とも言うべきコンプレックスを持っているらしいことには、今の形で付き合い始めてから気づいた。
 子供の頃から、公美を初めとして身内には事あるごとに比べられていたから、そういう傾向があるのは認識していた。だが、奈央子が思うよりずっと、彼にとっては根の深い問題であったらしい。
 是が非でも新卒で就職しようと頑張るのはいいけど、その動機が公美や自分への意地から起こっているというのは、何か違う気がしてしまう。
 そもそも、彼は自身を過小評価しすぎている。
 点数では全体的に奈央子の方が上まわっていたとはいえ、成績は充分に優秀と言えるレベルだった。気を抜かず普通に頑張れば、問題なく就職できるはずだ。柊が人に与える、明るくて人好きのする印象は、成績以上に就活の助けになると思う。
 ……しいて言うなら素直すぎるから、多少は場に応じた発言をする練習をした方がいいかもしれないが。
 それはそれとして、奈央子が一番好きなのは、彼のそういう性質なのだ。誰も真似できない、裏表がかけらもないまっすぐさ。たとえ、そのせいで社会に出て損する事態に陥ったとしても、柊が変わらない限り、絶対に見捨てたりはしない。
 奈央子自身はそう思っているのに、彼には、口にはしないけれど確かに抱えている引け目が、今でもあるのだ。
 ……だから、もしかして遠慮しているのかもしれないと、1時間ほど前のことを奈央子は思い返す。
 中華料理店を出た時、店の前の通りは思わず目を見張るほどの混雑だった。土曜日の夜で、市内一の繁華街という条件がそろえば無理もない。
 手前の人の流れは駅とは逆方向で、その向こうが駅へ向かう人波だった。流れの隙間を目を凝らして探していたら、先に見つけたらしい柊に強く腕を引かれた。やや引きずられるように流れを横切り、駅方向への人波に混じり——いつの間にか抱き寄せられていた肩が、いくらか混雑がましになってきたあたりでもそのままであることに気づいて慌てた。
 『……ねえ、もう大丈夫だから』と言いながらはずそうとした手は、さらに強く肩を引き寄せた。さすがに奈央子が文句を言おうとした時、
 『いいじゃん、たまには』
 妙に熱っぽく耳元でささやかれて、その瞬間、抵抗できなくなってしまった。結局、カフェに着くまでされるままになっていたのだったが——
 テーブルに両肘を置く体勢で、柊の顔をのぞき込む。ほんの少し斜めになっている横顔は、目を閉じているといつも以上に童顔に見える。当人は嫌がるだろうが、こうしていると子供の頃とあまり変わらない。……けれど、彼はもう子供じゃなくて、あと2ヶ月で21歳の成人だ。
 自分たちが、直接的な触れ合いに関しては、一般のカップルよりかなり頻度が低いだろうという自覚はある。淡白というよりは、そういう気になることが少ないというのが本当だ。二人きりでいてもキスさえあまりしょっちゅうはしない。
 ましてや、それ以上のことは——初めてそうなったのだって今年の初め、交際1年が過ぎてからで、その後は今に至るまで、1度しかしていない。
 そんな調子だから、人前ではいまだに、手をつなぐこともめったにないのが普通だった。
 自分からは照れくさいからしないし、柊からも普段はあまり触れてくることはない。ましてや、先ほどみたいに強引とも言える行動はまず取らない。
 世間並ではなくても、自分たちはそんなふうでいいと思っていた。一緒にいるだけで充分、満たされた気持ちになれるから。
 だが、そう思っているのは実は自分だけで、もしかしたら柊には我慢を強いていたのではないだろうか? 彼だって男なのだから、そういう欲求が世間並にあったっておかしくはない。けれど、奈央子があまりそういうことを求めていないのを感じ取っているから、抑えているのではないか——もしそうだとしたら。
 これまで、頭に浮かぶ時はあってもさほど深く考えはしなかったことを、初めて真剣に悩んでいた。
 20年以上身近にいても、わからないことはなくならないものだなと時々思う。しかし、本当に彼が自分に遠慮しているのだとしたら、少し寂しい。そういうふうに思わせてしまっていることが辛い。
 ひどく申し訳ない気持ちが湧いてきて、柊の頭にそっと手を添える。
 いかにも恋人同士といった感じでべたべたするのは恥ずかしい。けれど、たまになら……今日ぐらいのことなら、してもいいのに。
 軽く髪をひと撫でした途端、彼のまぶたが開く。奈央子は仰天して手を離した。何度肩を揺すっても頬をつついても起きなかったくせに、なぜこのタイミングで目を覚ますのか。慌てて椅子に座り直し、平静を装うため深呼吸した。


 柊が頭を起こした時、奈央子は向かいで伏し目がちにコーヒーを飲んでいた。一瞬だけ状況がわからず戸惑ったが、すぐに今いる場所を思い出す。
 「……あれ、今何時?」
 「ちょうど9時。ここに来て45分」
 げ、と思わず言ってしまった。
 「うわごめん。おれ寝過ぎ」
 「コーヒーとっくに冷めちゃってるわよ、新しいの買ってこようか」
 「いやいい、これで——う、にが」
 慌てて口をつけたコーヒーはかなり苦かった。普段ブラックで飲むことはない。
 「当たり前でしょ。砂糖もミルクも入れてないんだから……なに、変な顔して」
 「そっちこそ。何か言いたいことあんじゃない?」
 「ミルクこぼれてる」
 と言われて反射的に手元を見て、トレイの惨状に気づく。新しいミルクを取りに行き席に戻るまで、ちょっと不可解な気分だった。