『ココロの距離』幕間集
『桜、夕立ち、若葉の頃』-4
気づいた瞬間は意外に思えたものの、考えてみれば納得のいくことでもあった。彩乃が好感を感じるのだから、他の子が同じでもいっこうにおかしくない。まして奈央子は、誰よりも長く、近いところで柊を見てきている。……そのことに今、かすかだが確実に、嫉妬している。
もし奈央子が本気でアプローチしたら、誰だってOKするだろうと思う。今は気づいていないのかもしれないけど柊だって、きっと嫌ではないはずだ。奈央子はこんなに可愛いし、いい子だし……何より彼自身、今でもあんなに頼るほどなのだから、特別な気持ちが心のどこかにはあるに決まっている。
朝礼が始まるまで貸した本の話で盛り上がりながらも、奈央子をうらやましいと思う気持ちは、胸の奥をちりちりと焦がすように息づいている——今はまだ、完全に消すことはできそうにない。
思っていた以上に羽村柊を好きになりつつあったらしいことに、自分でも驚いた。
そしてそれは、沢辺奈央子に対しても言えることだった。羨望や嫉妬を自覚すればするほど、彼女にこういう気持ちを感じてしまうのは辛い、とも思えてくるから。
すぐに行動に移すのは難しいかもしれない。
……けれどたぶん、きっとそのうち、柊と他の男子を同じレベルで考えられるようになるはず。そしたら絶対に奈央子を応援しよう、と心に決めた。
「え、ちょっと、……もう一度言ってくれる?」
彩乃は思わずそう聞き返していた。奈央子の言ったことはちゃんと聞こえていたが、内容が信じられなかったのだ。
高2の夏休み。補習授業の帰りに夕立ちに遭い、雨宿りに入った喫茶で、チーズスフレに目を落としたまま、さっきの発言を奈央子は繰り返す。
「だから、柊が付き合うことにしたんだって、同じ高校の子と」
「——なにそれ、いつそんなことになったのよ」
「期末のちょっと後だったかな、告白されたって言いに来て」
「期末の後? 2週間以上前じゃない」
それだけの間、奈央子は口に出さないどころか、そぶりにも見せなかった。彩乃でさえ、今聞かされるまでわからなかったほどに。
「なんで言ってくれなかったの、……ていうかまさか羽村、あんたに相談したの?」
「うん、告白されたんだけどどうしよう、って」
口調はなにげないが、相変わらず視線はスフレに向けたままで、こちらを見ようとはしない。
「それで、なんて言ったの」
「すごい嬉しそうだったから、『そんなに嬉しいんだったら付き合えば?』って言っただけよ。まあ写真見たことあるけど可愛い子だから嬉しいのもわかるし、それに」
「そうじゃないでしょ、奈央子。なんでそこで言わなかったのよ」
早口な言葉を彩乃はさえぎる。ぴたりと口を閉ざした奈央子は、しばらく沈黙した後、ようやく目を上げて彩乃を見て、呟くように言う。
「しょうがないじゃない」
そして、微笑んだ。けれど彩乃の目には、笑いながら泣いているように見えてしまう。笑みの形を保とうとする口元が、かすかに震えていたから。
胸を塞がれる心地がして、しばらく黙った。
それでもなお、二人の行動に納得がいかない感情は強く、結局はその気持ちを口に出す。
「信じらんない。あんたも羽村もなに考えてんの」
加減したつもりだったけど、それでもかなり激しい言い方になってしまったのは否めない。奈央子はずいぶんと驚いたように目を丸くして、それから再び笑みを浮かべる。今度は苦笑いだった。
しょうがないよ、と彼女はもう一度言う。
「まるっきり気づいてないんだから。ひょっとして程度に思ったことだって、たぶん一回もない。わたしのこと幼なじみ以上に考えてない、いい証拠よ」
「……そうかも、しれないけど」
実際、中学の3年間を見てきた彩乃としても、柊の鈍感ぶりは呆れを通り越していっそ感心するほどだと思っている。卒業する頃にはほぼ100パーセントと言えるほど、奈央子が柊を好きなことに周りは気づいていたというのに。
もっとも奈央子本人も、そこまで広まっていたとは思っていないかもしれない。当人が隠してこそいなかったけど大っぴらにはしたがっていなかったのを察して、いつしかその件については周囲が見守る態勢に入っていたから。彩乃ができる限り口止めをしていたのもいくらかは影響していただろう。
けれど今となっては、それこそが余計なお世話だったんじゃないかという気がしてならない。逆に、柊が嫌でも気づくぐらいの騒ぎにしてやるべきだった、とまで思う。
確かに、奴は奈央子のことを女の子として見てはいないのかもしれないが……それは、身近すぎるから考えたことがないだけであって、奈央子の気持ちを知れば、考えてみる可能性もあるのではないか。
そう言ってみたが、即座に「無理」と返される。
作品名:『ココロの距離』幕間集 作家名:まつやちかこ