『ココロの距離』幕間集
『桜、夕立ち、若葉の頃』-5
「あり得ないよ、そんなこと。……きっと困らせるだけにしかなんない。幼なじみですらいられなくなるなら、今のままでわたしはかまわない」
「奈央子、……ほんとにそれでいいの?」
「いいの」
きっぱりとうなずいて、後は口をつぐむ。彩乃も黙って奈央子を見つめ返した。
……本当はもっと、いろいろ言いたいのだけど、口には出せなかった。今後気持ちを伝えるつもりは一切ないと、言葉以上に表情で宣言している奈央子を見たら。
こんなにもどかしく感じたのは、奈央子が高校を公立ではなく、今の女子高にすると言い出した時以来だ。彩乃自身は小学生の頃から、姉の着ていた制服が可愛くて憧れていたから、高校はそこにすると決めていた。けれど奈央子が同じ進路を選ぶとは、それまで一度も思わなかった。成績から考えても進学校で有名な、そしてなにより柊が行くはずの公立に、進むことを疑っていなかったから。
普段、たいていのことは隠さず話してくれる彼女なのに、あの時は妙に秘密主義で、なかなか理由を説明してくれなかった。やっと聞き出せたのは受験の1ヶ月前。
『ちょっと、距離を置きたくなったの、あいつと』
それきり、今と同じように黙ってしまった奈央子に、彩乃はやはり何も言えなかったのである。
彼女がどれだけ、幼なじみを好きなのか——傍目からは物足りないほど静かに、けれど誰もかなわないほどに長く辛抱強く抱えてきた奈央子の想いを、誰よりも彩乃は知っているつもりだ。だからこそ、あの時も今も……こんなふうに、想い続けることに疲れたようなため息をつく彼女に自分が言える言葉などないと、思わざるを得ない。
奈央子にこんな表情はさせたくないのに、何もできない自分が悔しい。彼女さえ任せる気になってくれたら、どんな手を使ってでも柊に奈央子の価値を再認識させてやるのに。けれど、奈央子当人がそれを望まないのでは、彩乃のお節介の出番もない。
特別に好きな気持ちはとっくになくなっているけど、奈央子が想い続けるのはわかると思う程度には柊を認めてもいるのだ——あのすさまじい鈍感さを除けば、だが。彼はけっこう女子に親切だし、珍しいほど正直な奴で、嘘とかごまかしとは縁遠い。
親友の言い分は尊重したいと思うけど、やはり、納得のいかない気持ちはくすぶってしまう。
1年半前の奈央子は、言葉にこそしなかったが、柊への想いを断ち切るという考えも持っていただろう。そうでなければ距離を置く必要も、必然性もなかったはずだ。
そして、距離を置いたことが効を奏さなかったのは明らかで、通う学校が違う以外、二人の関係は何も変わっていない。おそらく今後も、ほぼ確実に変わることはないだろう——奈央子への柊の態度は。
しかし奈央子にとってそれは、絶対に辛い場合の方が多いのではないのだろうか。柊と「彼女」との関係が続いている間中、奈央子はこんな顔をしょっちゅうしていなければいけないのか。
それは、すごく理不尽だと思った。
「……奈央子がいいって言うなら、しょうがないけどさ。ねぇ、だったらこの際もっと前向きになろうよ。クラスの子が時々やってる合コンに行くとか」
今の今、こういう提案を今することには正直ためらいがある。けれど黙っていたくなかったし、他に言いようがない気がした。
実際、彼女ができた相手を想い続けるのは、純愛とか言えば聞こえはいいけど、やはり前向きとは言いがたいと彩乃は思う。自分を異性として意識してもらえないと思い定めているのなら、いっそ気持ちを切り替える試みをしていく方が、よほど建設的なのではないだろうか。
そう思って、あえて言ってはみたものの、当人がこの場でうなずくとは考えなかった。だが予想に反して奈央子は「そうだね」と穏やかに応じた。
「それか、くーちゃんに頼もうかな。何回か、誰か紹介しようかって言われてるし」
穏やかな中にほんの少しだけ混じる、苦々しさ。そういうふうに前向きになることが必要だとは思っていても、実行できる自信が持てないのかもしれない。長年の気持ちはちょっとやそっとで変えられるものではないと、繰り返し思い知ってきたからだろう。
口に出すだけでもずいぶんな進歩だとは思いながら、心の底では、彩乃も同じ心配を感じていた。
「ほんと!? うわぁ……あ、ともかくおめでとう」
久しぶりの電話で報告を聞いた直後、彩乃は勢い込んでそう言った。近いうちに決まるだろうとは思っていたものの、当人の口から聞くとやはり安心するし、嬉しい。まさか二重におめでたい展開になるとまでは、予想していなかったけど。
電話の向こうはしばらく沈黙した後、抑えた声で「……うん」とだけ返してきた。あきらかに、泣くのを懸命にこらえている様子だった。
作品名:『ココロの距離』幕間集 作家名:まつやちかこ