夢路を辿りて
その青年、仙石喜代志は、あの土手で光彦と出会ってからというもの、絵の道具などで何かと光彦の世話になっているうちに、光彦も昔、自分と同じように画家を目指した時期があり、社会人になってもなかなかその夢が捨てられなくて、結局はこうして未練がましくも、いまは画材店をやっているのだと聞いた。
そんな話しから、その当時に描き掛けたままの数点の絵を見せてもらったのだが、光彦が言うように、あまりに自分の画風やタッチが似ていることに驚いて、以来彼は、絵を描いていて行き詰まると、いろいろと光彦に相談していたこともあり、いつしか彼は光彦のことを“先生”と呼ぶようになっていたのである。
そんな仙石青年は、一度東京の有名芸術大学を卒業したのだが、やはり芸術家の道は厳しく、母が暮らすこの地の大学で、母の当初からの願いであった法律家を目指すため、再度大学に入り勉強していたらしかった。しかしそれでも、昔の光彦同様に画家への夢が捨てられなくて、母には内緒で絵を描き続けるため、家からはかなり離れたこの場所で、時間を見ては絵を描いていたというわけだ。
そして今回、フランスのあるビエンナーレ展の募集に、先刻の絵の具を取りに来た際に描いていたという彼の絵が、めでたく賞を受けたということなのだが、そのビエンナーレ展はなかなか権威のあるもので、いわば世界の画家たちにとっての登竜門にもなっていて、そんなことから、あちらの画廊との契約の話しまで決まったというのだ。
いつもは口数の少ない仙石青年だったが、やはりその喜びは大変なものだったのだろう。光彦の店に報告にやって来て、かれこれ2時間が過ぎようとしていた。彼が店の中でこれほど長く、そして自分の身の上話しまでを話すのは、恐らくこれが初めてだろうと思いつつも、光彦も他人事とは思えないほど嬉しくて、話しをはずませてしまっていたのだ。
「先生のおかげです。」
「私は何もしていないよ、君の努力と才能の結果なのだからね。」
「いいえ、先生のおかげなんです。」
「先生のくださったあの絵のおかげで、ボクの迷いも消えて一心に打ち込めたのですから。」
「仙石君、そんなことないだろう。もう…大袈裟だなぁ。」
「とにかくこれがやっとスタートだよ、もっともっと頑張らないとね。」
「はい。先生、本当にありがとうございました。」
仙石青年は興奮したままの口調で、そう話しながら顔を上げると、目からは滝のように涙が流れ、鼻水までが混ざったグショグショの顔になっていたが、それでも口元や目元には笑みを絶やさないでいた。